Metal guitarist

 

 

 

 

 

Firewind – Gus G (ガス・G)

 

 

Gus G (ガス・G)は、ギリシャ出身の

メロディック・スピード・メタル、パワー・メタルバンド

Firewindの中心人物。

多くのバンドをかけもちし、世界一多忙なギタリストと

呼ばれていたが、自身のバンドに専念するため

他のバンドをすべて脱退。

2010年、かのオジー・オズボーンのバンドに、

ザック・ワイルド脱退後正式メンバーとして迎えられた

 

 

Firewind – World On Fire
     
 

 

Firewind – Gus G guitar solo and ‘Fire and the Fury’
     

 

 

 

 

Angra – Kiko Loureiro (キコ・ルーレイロ)

 

 

 

 

アングラのラファエル・ビッテンコートと共にバンドの

中心人物。

ギタープレイとしてフルピッキングによる速弾きから

レガートなどのテクニカルなプレイも難なくこなす。真骨頂は

両手を駆使したタッピングであり、ギター・ソロなどで指板を

縦横無尽に駆け巡る彼のタッピングは彼の大きなトレード

マークになっているとも言える。

また単にテクニカルなだけでなく、バラードの曲で伴奏として

タッピングを使用して、キーボードのような音を奏でるという

発想も出来るアイデアマンでもある。ボサノヴァやジャズなどの

演奏にも長けており、幅広い順応性を持っていると言える。

 

 

Angra – Carry On
     

 

 

Kiko Loureiro  No Gravity – Escaping
     

 

 

 

 

Adagio – Stéphan Forté (ステファン・フォルテ)

 

 

フランス出身の、ネオクラシカルメタルバンドAdagio

(アダージョ)の中心人物。

音楽好きの家庭に育ち、14歳でイングヴェイ・マルムスティーンに

多大な影響を受け、音楽修行のためCMCNという有名な

音楽学校で理論と実践を身につける。

2001年、デビュー・アルバム『Sanctus ignis』をリリース。

サウンド的には、ネオクラシカルメタル、プログレッシヴ・

メタルというジャンルだけでは形容しづらい、独創的かつ

重厚な雰囲気がある。

ヴォーカルにデヴィッド・リードマン(PINK CREAM69)、

キーボードにリチャード・アンダーソン(Majestic、元Firewindのアポロ・

パパサナシオが在籍していた)が参加した。

 

 

Adagio – Sanctus ignis
     

 

 

Stéphan Forté – The Shadows Compendium
     

 

 

 

 

Helloween – Sascha Gerstner (サシャ・ゲルストナー)

 

 

ドイツ出身のギタリスト。ヘヴィメタルバンド、

ハロウィンのギタリストとして活動している。

13歳にギターを始め、17歳には故郷でスタジオ

ミュージシャンとして活動するようになる。

1998年にクリス・ベイとガンマ・レイのドラマーである

ダニエル・ツィマーマンの新プロジェクト、フリーダム・

コールに加入する。2001年まで活動するが、

サシャは自分のスタイルに口出しするメンバーに

不満を持ち、脱退する。

 

2002年にプロデューサー、チャーリー・バウアファイントの

紹介でマイケル・ヴァイカートと出会い、ローランド・グラポウが

脱退してギタリストが不在だったハロウィンに加入し、

2003年の「Rabbit Don’t Come Easy」からレコーディングにも

参加した。

 

 

Helloween – Paint A New World
     

 

 

Helloween – Sascha Gerstner’s Guitar Solo
     

 

 

 

 

 

Cain’s Offering – Jani Liimatainen (ヤニ・リーマタイネン)

 

 

フィンランド出身のミュージシャン、ギタリスト。

元ソナタ・アークティカのギタリスト。ガンズ・アンド・

ローゼズやメタリカに触発され、12歳でギターを始める。当初は

王道のロックギタースタイルを標榜していたが、イングヴェイ・

マルムスティーンの音楽に触れたことで、それまでのギター

スタイルが一変し、1日6~10時間もの練習を続け、高度な演奏

技術を身に付ける。

音楽性の相違と自身の兵役問題が重なったため、10年以上在籍

していたバンドを脱退(正確には解雇)した。

 

2年を経て2009年に新バンドCAIN’S OFFERING(ケインズ・オファリング)と

いうバンドを立ち上げた。

Vo.にストラトヴァリウスのティモ・コティペルト、Key.に元ソナタ・

アークティカのミッコ・ハルキン(Symfonia)というラインナップで、

アルバム『Gather the Faithful』をリリース。本格的なシーン復帰を

果たした。

 

 

Sonata Arctica – FullMoon
     

 

 

Cain’s offering – Dawn of Solace
     

 

 

 

 

 

Wintersun – Jari Mäenpää (ヤリ・マーエンパー)

 

 

フィンランドのヘヴィメタルミュージシャン。

メロディックデスメタル/ヴァイキングメタルバンド、

ウィンターサンをソロプロジェクトとして立ち上げた

人物であり、現在は同バンドのヴォーカリスト兼

ギタリスト兼キーボーディストとして活動している。

また、フルタイムメンバーが加入し、バンド形式に

移行する前はベーシストも兼任していた。

ウィンターサンを立ち上げる前は、ヴァイキング・

メタルバンド、エンシフェルムで活動していたことでも

有名。エンシフェルム結成前にはImmemorialという

バンドに参加し、ソロアーティストでもあった。

元々、ウィンターサンとエンシフェルムを両立して活動

するつもりであったものの、2004年1月にエンシフェルムを

脱退することを決めた。これは、エンシフェルムの

ツアー日程とウィンターサンのアルバムレコーディングの

日程がブッキングしてしまったためである。

 

 

Wintersun – Starchild
     

 

 

Jari Maenpaa – Memory
     

 

 

 

 

 

Stratovarius – Matias Kupiainen (マティアス・クピアイネン)

 

 

フィンランド・ヘルシンキ出身のヘヴィメタルバンド、

ストラトヴァリウスのギタリスト。

4歳からギターを始め、シベリウス・アカデミーで音楽議論と

音楽技術を学んだ。ヘルシンキ・ポップ・ジャズ音楽院でも

音楽を学んでいる。

2006年、グラインド・コアユニットのFist in Fetusを結成。

2007年にはフィンランドのメタルフェスティバルにも出場

している。

ヘルシンキの音楽スタジオを所有しており、ミキサーや

音楽プロデューサーとしての活動や、Shred Circusなどの

音楽プロジェクトでも活動していたが、2008年春に

ストラトヴァリウスのギタリストのティモ・トルキが事実上

脱退したため、ベーシストのラウリ・ポラーの紹介で後任

ギタリストとしてストラトヴァリウスに加入した。

 

10年ほど前はスピードメタルが好きで、ストラトヴァリウスの

ファンでもあったとのこと。26歳の時、脱退したティモ・トルキ

(解散を宣言、REVOLUTION RENAISSANCEを始動させたが、

残ったメンバーが結束し新生ストラトヴァリウス誕生となる)に

かわりバンドに加入。

超絶ギター・テクニックはもちろんのこと、楽曲の半分以上を

手掛けている。

 

 

Stratovarius – Unbreakable
     

 

 

Matias Kupiainen – The Attitude Medley
     

 

 

 

 

Children of Bodom  – Alexi Laiho (アレキシ・ライホ)

 

 

フィンランドのメロディックデスメタルバンド、

チルドレン・オブ・ボドムのフロントマンの中心メンバー。

ほとんどの楽曲の作詞・作曲を手掛けている。

チルドレン・オブ・ボドムの他にいくつかのバンドにも参加。

1998年には、インペイルド・ナザリーンに加入し、2000年まで

在籍、1枚のアルバムに参加した。

1997年にガールフレンド(のちに結婚)のキンバリー・ゴスと、

パワーメタルバンド、シナジーを結成。

ギタリストとして活動していたが、メンバーがそれぞれのバンド

での活動等に専念しているため活動再開の目途が全く立たず、

事実上の解散状態となった。

 

2004年には、元シナジーのトミー・リルマンとパンク・ロック

バンド・Klamydiaのヴェサ・ヨキネンと共に、プロジェクトバンド・

Kylähullutを結成し、活動している。しかし、双方とも現在は、

目立った活動は行われていない。

 

 

※2022年8月追記 

アレキシ・ライホは2020年12月29日、自宅にて41歳の若さで

亡くなった。

2021年1月4日、公式Facebookへの投稿で、ライホは前の週に

死亡したと公表された。正式な死因は明らかにされておらず、

ヘルシンキの自宅で「晩年の長期にわたる健康問題」により

亡くなったとだけ述べている。

死亡日は後に2020年12月29日であることが確認された。

 

シナジーのフロントウーマンであり、妻のキンバリー・ゴスは

自身のインスタグラムでライホの死因を「アルコールによる

肝臓と膵臓の結合組織の変性」と公表した。

さらに、鎮痛剤、オピオイド、不眠症の薬の混合物が体内から

発見された。死因はフィンランド語で

「maksan rasvarappeutuminen ja haiman sidekudostuminen

(肝臓および膵臓の結合組織の脂肪変性(退行性病変))」として

公表されており、より正確な英訳は脂肪肝疾患と膵臓線維症。

ライホの姉は、家族が詳しい死因を非公開にすることを望んで

いると反論。これに対しゴスは、ファンに情報を開示するべきか

どうか決めるのは、法的には未亡人の自分であると主張した。

そして「この悲劇が同じ悪魔と闘っている、多くの人の命を

救うのに役立つのであれば迷わずに公表したい」と、その

意図を説明した。

ライホの遺灰は、亡くなってから1年後の2021年12月8日、

ゴスによって個人的な追悼式が行われた1日後に埋葬された。

 

 

Children Of Bodom – Are You Dead Yet?
     

 

     

 

Alexi Laiho performs In Your Face Live at EMGtv