今回はアメリカ、南アメリカで90年代にデビューし、
2000年前半にかけて活動していたニュー・メタルバンドを
ご紹介します。
Deftones
Deftones(デフトーンズ)はアメリカのオルタナティヴ・メタルバンド。
子供の頃からの友人であり、カリフォルニア州サクラメントの
マクラッチー高校出身で、市内のスケートボード・シーンを介しての
仲間同士でもあったチノ・モレノ(Vo、G)、
ステファン・カーペンター(G)、エイブ・カニンガム(Ds)の3人は、
チ・チェン(B、1970年7月15日-2013年4月13日)を得て、
1988年デフトーンズを結成する。
1995年リリースのデビュー・アルバム『Adrenaline』は、ニュー・メタル、
ポスト・ハードコアの方向性が色濃く反映されたものとなり、
AllMusicのDaniel Gioffreは「デフトーンズのデビュー・アルバム
『Adrenaline』は、10トラックすべてに抑圧されたエネルギーが
爆発しており、混沌の真っ只中にあった同時代の多くのバンドとは
異なり、非常にコントロールされている。音楽も機械的であったり
魂が抜けたように聞こえるということなく的確に編成されており、
長年バンドの培ってきたものと、クラシックな音楽スタイルなど
あらゆる要素をうまく融合させている」と述べた。
アルバムから『7 Words』、『Bored』のシングルがリリースされ、
『Adrenaline』は1996年のトップ・ヒートシーカーズの23位に達し、
イギリスBPIによりゴールド、RIAAよりプラチナに認定された。
1997年、2ndアルバム『Around the Fur』をリリース。アルバム
タイトル曲『Around the Fur』の他『My Own Summer』、
『Be Quiet and Drive (Far Away)』のシングルがリリースされた。
アルバムはビルボード200で29位、トップ・ヒートシーカーズで
1位に達し、オーストラリア、イギリスでゴールドに認定され、
1999年6月24日RIAAによりゴールド認定され、彼らの最初の
ゴールド・アルバムとなった(その数週間後7月7日に『Adrenaline』
がゴールド認定された。2011年6月7日にはプラチナ・アルバムに
認定されている)。
2000年、『White Pony』をリリース。フランク・デルガド
(サンプリング、サウンドエフェクト)が加入してからの最初の
アルバムとなる。また、このアルバムよりチノ・モレノがヴォーカルに
加えリズム・ギターを担当している。
この『White Pony』はこれまでのニュー・メタル、ポスト・ハードコア
からニューウェーブ、ドリームポップ、トリップ・ポップなどの
シューゲイザーの影響を受けた音楽性と変化しており、それに加えて、
オルタナティヴ・メタル、グルーヴ・メタルなどを取り込んでいくと
いった、バンドの分岐点と考えられるアルバムとなった。
アルバムからは『Change(In The House Of Flies)』、
『Back To School(Mini Maggit)』、『Digital Bath』の3枚の
シングルがリリースされた。他 『Knife Prty』、メイナード・ジェームス・
キーナン(トゥール、ア・パーフェクト・サークル)をフィーチャーした
『Passenger』、『Pink Maggit』(『Back to School (Mini Maggit)』)
を収録。
アルバムはビルボード200で3位に達しRIAAによりプラチナ認定され、
3枚目のプラチナ・アルバムとなった。
『White Pony』はバンド史上最も商業的成功をおさめたアルバムと
なった。
2008年、創設メンバーであるチ・チェンが自動車事故の後遺症に
より昏睡状態に陥る。
2010年、アルバム『Diamond Eyes』をリリース。チ・チェンの後任と
してセルジオ・ベガが加入。『Beauty School』を含む前11曲の
アルバムからはシングル『Rocket Skates』、アルバムタイトルの
『Diamond Eyes』、『Sextape』、『You’ve Seen the Butcher』が
リリースされ、iTunesのデラックス・エディションには『Do You
Believe』(カーディガンズのカヴァー)、『Ghosts』(ジャパンの
カヴァー)、『Caress』(Drive Like Jehuのカヴァー)が収録されて
いる。
2012年『Koi No Yokan』をリリース。アート・ロック、プログレッシヴ・
ロック、ノイズロック、アートパンクの流れをくむエクスペリメンタル・
ロックやシューゲイザーなどの影響を受けた、前回のアルバムとは
サウンド的に異なるものとなり、批評家からの肯定的な評価を受けた。
『Koi No Yokan』はビルボード200で11位に達し、アルバムから
『Leathers』、『Tempest』、『Swerve City』の3枚のシングルが
リリースされた。このアルバムリリース後の翌年4月13日、
2008年11月の自動車事故以来昏睡状態であったチ・チェンが
故郷のサクラメントの病院で42歳の若さで死去した。
2014年4月13日、チ・チェンが亡くなって一年目の記念日に、
バンドは長期にわたり棚上げされていたアルバム『Eros』
(未発表アルバム)からのトラック『Smile』をYouTubeで公開した。
Deftones – Bored
Deftones – Be Quiet And Drive (Far Away)
Deftones – Digital Bath
Disturbed
Disturbed(ディスターブド)は、アメリカのヘヴィメタルバンド。
1994年にイリノイ州シカゴでBrawlの名の下、Dan Donegan
(ダン・ドネガン、G)、Steve “Fuzz” Kmak(スティーヴ”ファズ”
クマック、B、2003年脱退)、Erich Awalt(Vo)、Mike Wengren
(マイク・ウェングレン、Ds)により結成される。
デモテープの制作後、Erich Awaltが脱退。バンドは地元イリノイ州
シカゴの音楽出版社「Illinois Entertainer」に新しいヴォーカルの
募集を掲載する。
1996年、オーディションによりデイビット・ドレイマンが加入、
バンド名をディスターブドに変更する。
2000年にジャイアント・レコードと契約。ジョニー・Kとの共同
プロデュースにより同年デビュー・アルバム『The Sickness』を
リリース。アルバムからのシングル『The Game』は、2002年北米
で公開された映画「ドラゴンボールZ とびっきりの最強対最強」
のサウンド・トラックに収録されている。
アルバムはビルボード200で20位に達し、リリース以来、アメリカ
で400万枚以上のセールスを記録、2008年9月23日にRIAAより
マルチ・プラチナに認定されている。
2002年『Believe』をリリース。アルバムからはシングル『Prayer』
(ビルボード・ホット100で58位)、『Remember』、『Liberate』の
シングルがリリースされた。アルバムはビルボード200で1位となり、
バンド初のナンバーワン・アルバムとなった(以降、リリースする
スタジオ・アルバムは5連続でナンバーワン・アルバムとなって
いる)。
2008年9月23日にはRIAAによりダブルプラチナに認定されている。
2005年リリースの『Ten Thousand Fists』は、プロデューサーである
ジョニー・Kとの共同プロデュースによる最後のアルバムとなる。
また、2003年に脱退したスティーヴ・クマックの後任ベーシストとして
ジョン・モイヤーがこのアルバムより参加する。
アルバムからは『Land Of Confusion』 (Genesis Cover)、
アルバムタイトル曲『Ten Thousand Fists』をはじめ、『Guarded』、
『Stricken』、『Just Stop』の5枚のシングルがリリースされた。
アルバム『Ten Thousand Fists』のサポート・ツアーをした後、
バンドは活動休止に入る。
2007年2月、活動休止を終えたバンドは曲を書きはじめ、イリノイ州
シカゴにあるGroovemaster Studioでアルバムの制作を開始する。
2008年、ダン・ドネガンによるバンド初のセルフ・プロデュースと
なるアルバム『Indestructible』をリリース。同年3月、最初のシングル
として『Inside The Fire』が60以上のラジオ局で初登場、その翌日、
デジタル・ダウンロードでリリースされた。同年5月にはミュージック・
ビデオがバンドのウェブサイト上でリリースされた。『Inside The Fire』
は、グラミー賞の最優秀ハードロック・パフォーマンス賞にノミネート
された。
2010年『Asylum』をリリース、アルバムはこれまでのバンドの音楽性
に加え、新たな方向性を意味するものとなった。デイビット・ドレイマン
はシングルリリースされた『Another Way To Die』に言及し
「地球温暖化が世界的な大災害など、地球上に明らかに影響を
及ぼすことを我々は認識することが必要」と述べている。
その他『Asylum』、『The Animal』、『Warrior』など4枚のシングルが
リリースされた。
2011年7月、バンドはBサイド集のコンピレーションアルバム
『The Lost Children』をリリース後に活動休止に入る。
2015年に活動再開を発表、アルバム『Immortalized』をリリースした。
Disturbed – Voices
Disturbed – The Game
Disturbed – Down With The Sickness
Coal Chamber
Coal Chamber(コール・チェンバー)はアメリカのニュー・メタル、
オルタナティヴ・メタルバンド。
1992年、カリフォルニア州ロサンゼルスでDEZ Fafara
(デズ・ファファーラ)とMiguel”Meegs” Rascón(ミゲル・ラスコン)
はShe’s In Painというバンドを結成。1993年Coal Chamberに
バンド名を変更する。
1994年ドラマーのMike Cox(マイク・コックス)、ベーシストの
レイナ・フォスを得てラインアップが完了。
The Roxy Theatre、Whisky A Go Goでのライヴは地元で評判となり、
1994年後半、Coal Chamberのデモはフィア・ファクトリーの
ディーノ・カザレスの後押しもありロードランナー・レコードとの
契約に至る。
1996年、初回開催のオズフェストのセカンド・ステージに出演が
決定する(メイン・ステージのアーティスト、バンドはオジー・
オズボーン、スレイヤー、ダンジグ、バイオハザード、セパルトゥラ、
フィア・ファクトリー、ナルコティック・ジプシー)。
1997年、セルフタイトルのデビューアルバム『Coal Chamber』を
リリース。
1997年、ミュージックビデオ・ディレクターのNathan “Karma” Cox
により『Loco』のミュージックビデオが製作された。
1998年『Loco』はイギリスのシングルチャートで最高81位に達した。
アルバムはアメリカでは50万枚以上のセールスを記録。RIAAにより
ゴールド認定され、バンドの最も成功したアルバムとなった。
1999年、2ndアルバム『Chamber Music』をリリース。前アルバムの
ニュー・メタルのイメージから一歩踏み出し、ゴシックメタルから
インスパイアされた作風となっている。
2002年、3rdアルバム『Dark Days』をリリース。アルバムリリース直後、
ベーシスト、レイナ・フォスが育児に専念するためにバンドを脱退。
後任として、最初の2枚のアルバムで彼女の妊娠中に代理をつとめた
Nadja Peulen(ナジャ・ピューレン)が加入した。
2002年5月、テキサス州、ラボックでのショーでファファーラと
ラスコンがステージ上で口論となり、各メディアはCoal Chamberが
分裂したと書き立てた。
バンドは「Last Call with Carson Daly」(NBCのトーク番組)と、
American Head Charge、Lollipop Lust Kill、Medicationとの
サマーツアーの出演までになんとかもちこたえたが、これがバンドの
最後のプレイとなった。
バンドは2003年に解散。デズ・ファファーラはメタルバンド
DevilDriverのヴォーカルとして活動する。
2011年9月、Coal Chamberオフィシャルサイトに、オーストラリアの
サウンドウェーブのショーに出演するため、デズ・ファファーラ(Vo)、
ミゲル・ラスコン(G)、マイク・コックス(Ds)、チェラレア・ハーパー
(B)のラインアップでバンドを再結成すると発表した。
2013年10月31日、チェラレア・ハーパーの後任としてナジャ・
ピューレンが正式にバンドに加入したことが発表された。翌年
ナパーム・レコードと契約、バンドは新しいアルバムのレコーディング
を開始した。
2014年12月に完成したアルバムのタイトルは『Rivals』であることが
明かされ、前回のアルバムリリースからゆうに13年の歳月を経て
2015年『Rivals』がリリースされた。トラック4の『Suffer in Silence』は、
ミニストリーのアル・ジュールゲンセンがフィーチャーされている。
現在のラインアップ
・DEZ Fafara(デズ・ファファーラ,本名:Bradley James Fafara,Vo)
・Miguel Rascón(ミゲル・ラスコン,G)
・Mike Cox(マイク·コックス,Ds)
・Nadja Peulen(ナジャ・ピューレン,B)
Coal Chamber – Loco
Coal Chamber – Shock The Monkey(Peter Gabriel cover feat. Ozzy Osbourne)
Coal Chamber – Fiend
Papa Roach
Papa Roach(パパ・ローチ)は、アメリカのロックバンド。
1993年1月、ヴァカヴィル高校でジャコビー・シャディックス(Vo)と
デイヴ・バックナー(Ds)がサッカー場で出会い、音楽の話で意気
投合する。後にトロンボーン奏者のベン・ルーサー(1993年3月に
脱退、近隣のヴァンデン高校出身のギタリスト、ジェリー・ホートン
が加入)とベーシスト、ウィル・ジェームスが加わりバンドを結成する。
1994年、1stEP『Potatoes for Christmas』をリリース。
1995年、『Gerber』、『DIRTYcutFREAK』の2曲で構成されたEP
『Caca Bonita』(アルバム『Old Friends from Young Years』のデモ・
トラックとしてのちに改良される)をリリース。
1997年、デビュー・アルバム『Old Friends from Young Years』を
リリース(2005年にファンクラブ版がリリースされ、ボーナス・トラック
として『Tightrope(Rock Demo)』が収録されている)。
1998年、EP『5 Tracks Deep』をリリース。翌年EP『Let ‘Em Know』
(のちにアルバム『Infest』に収録される『Legacy』、『Snakes』、
『Binge』、『Tightrope』(隠しトラックとして収録されている)を含む
全5曲を収録)をリリースし注目を集める。
これらの成功により、バンドはドリームワークスとの契約を獲得。
2000年『Infest』をリリース、メジャーデビューを飾る。
アルバムはアメリカで300万枚、全世界で700万枚以上のセールスを
記録しトリプル・プラチナを獲得。バンドのベストセラー・アルバムと
なった。アルバムからシングル『Last Resort』、『Broken Home』、
『Between Angels and Insects』、『Dead Cell』がリリースされた
2012年、アルバム『The Connection』をリリース。ビルボード200で
17位に達し、2015年の時点でアメリカで109万枚以上のセールスを
記録した。アルバムからは『Where Did the Angels Go』、『Before
I Die』他、4枚のシングルがリリースされた。
2015年、アルバム『F.E.A.R.』をリリース。ハードロック、ラップ・ロック、
オルタナティヴ・ロック、インダストリアル・ロックなど多様な音楽要素
を持ったこのアルバムはビルボード200で15位、イギリスのアルバム
チャートで13位となった。アルバムタイトル曲『Face Everything And
Rise』は先行シングルとして2014年11月にデジタル・リリースされ、
メインストリーム・ロック・チャートで1位に達した。
その他、2015年1月には『Falling Apart』が、2015年4月には『Gravity
(feat.Maria Brink)』がシングル・リリースされた。
Papa Roach – Tightrope
Papa Roach – Last Resort
Papa Roach – Between Angels And Insects
Mudvayne
Mudvayne(マッドヴェイン)は、アメリカのヘヴィメタルバンド。
1996年にイリノイ州ブルーミントンでショーン・バークレー(B、
1998年脱退。後任としてライアン・マルティニーが加入)、
マシュー・マクドナー(Ds)、グレッグ・トリベット(G)、
チャド・グレイ(Vo)により結成された。
アルバムアート、フェイスペイントやボディーペイント、マスクや
服装、その革新的な音楽で知られている。
1990年代後半のアンダーグラウンドの音楽シーンで人気を呼び、
EP『Kill, I Oughtta』をリリース。
2000年、デビューアルバム『L.D.50』をリリース。
バンドはオビチュアリー、エンペラー、モトリー・クルー、
アリス・イン・チェインズ、パール・ジャム、キング・クリムゾン、
ポーキュパイン・トゥリー、そしてメタリカなどのアーティストから
インスピレーションを受けたという。アルバムからは『Dig』、
『Death Blooms』、『Nothing to Gein』などのシングルがリリース
された。
バンドは『Kill, I Oughtta』(EP)や『Lost and Found』、
『The New Game』、セルフタイトル・アルバム『Mudvayne』
までのセールスはアメリカで約300万枚、全世界で600万人以上の
セールスを記録、2000年のデビューから2000年前半にかけて
国際的な商業成功をおさめた。
シングルでは『Dig』はRIAAよりゴールド認定された。
『Not Falling』はビルボード・メインストリームチャートで11位、
『World so Cold』(16位)、『Fall into Sleep』(4位)、
『Scarlet Letters』(7位)、『Scream with Me』(3位)、『Dull Boy』
(17位)、『Do What You Do』(2位)、『Forget to Remember』
(8位)、『Happy?』は1位にそれぞれチャートインした。
また、2005年リリースのアルバム『Lost and Found』からのシングル
『Determined』は2006年グラミー賞最優秀メタル・パフォーマンス賞
にノミネートされた。
2006年、マッドヴェインのヴォーカリスト、チャド・グレイと、
ギタリストのグレッグ・トリベット、Nothingfaceのギタリスト、
トム・マクスウェルは、弟のダイムバッグ・ダレルの死後、音楽
業界から遠ざかっていた元パンテラ、ダメージプランのドラマー、
ヴィニー・ポールを説得し、バンドに迎えスーパーグループ、
ヘルイェーを結成する。
2010年、バンドはチャド・グレイが参加するヘルイェーのツアーや
アルバムリリースのため、少なくとも2014年まではバンドを活動休止
することを発表した。
2012年にベーシストのライアン・マルティニーは、コーンのベーシスト、
レジナルド・アーヴィツの育児休暇のため、代理メンバーとしてツアー
に参加した。
2015年、Songfactsのインタビューで、グレイは「現時点で、フルメンバー
によるマッドヴェインの再開は非常に考えにくい」ことを述べた。
Mudvayne – Dig
Mudvayne – Death Blooms
Mudvayne – Not Falling
Bruthal 6
Bruthal 6は、アルゼンチンのニューメタル、インダストリアル・
メタルバンド。
1998年にアルゼンチン、ブエノスアイレスでSementhalの名の下
結成された。
1990年代はスラッシュメタル・スタイルだったが、ニューメタル、
グルーヴメタル、オルタナティヴ・メタルと、その音楽スタイルは
長年にわたって変化してきた。最近の傾向としてはインダストリアル・
メタル路線となっている。
1998年、デモ『Sangre Para La Bestia』(Blood To The Beast)を
リリース。『Sangre para la Bestia』、『Neanderthal』、
『Autodevastación』、『Pecadores por Naturaleza』の4トラック
を収録。
2001年、デモ『Insert More Coins』をリリースする。
バンドはDiscos Milagrososと契約。ブエノスアイレスにあるスタジオ
La Nave de Osebergでファーストアルバムのレコーディングに
とりかかるが、アルバムをリリースするにあたって、法的にSementhal
という名前が使えなかったためバンド名をBruthal 6と変更する。
2006年にはセルフタイトルのデビュー・アルバム『Bruthal 6』を
リリース。アルバムに収録されている『Smells Like Teen Spirit』は
ニルヴァーナのカヴァー曲で、ミュージックビデオがリリースされている。
2011年、アルバム『Augenblick』をリリース。トラック1『Una Vez Mas』、
トラック2『Aferrado Al Dolor』、トラック4『Despertare』、トラック8
『Libertad』など全11曲を収録。
バンドメンバーは、Nazareno
Mingone(ナサレノ・ミンゴーネ、Vo)、
Xavier Aguero(ザビエル・アグエロ、G)、Silvio Escalante
(シルビオ・エスカランテ、B)、Javier Olmos(ハビエル・オルモス、G)、
Ezequiel Giménez(エセキエル・ヒメネス、Ds)。
Bruthal 6 – C.U.P
Bruthal 6 – Smells Like Teen Spirit(Nirvana Cover)
Bruthal 6 – Fuego
Staind
Staind(ステインド)は、アメリカのロックバンド。
1995年にマサチューセッツ州スプリングフィールドで
ジョニー・エイプリル(B)、アーロン・ルイス(Vo,G)、
マイク・マッショック(G)、ジョン・ワイソッキー(Ds)により
結成された。バンドはこれまでに7枚のアルバムをリリースし、
世界中で1500万枚のレコード・セールスを記録している。
1993年、ヴォーカリスト、アーロン・ルイスとギタリスト、
マイク・マッショックは、ニューイングランドのエリアで催された
クリスマス・パーティーで会いステインドを結成する。
マッショックはドラマー、ジョン・ワイソッキをバンドに誘い、
そして、ルイスはベースギター・プレーヤーとのコネクションを
持っていた。そして1995年初めにバンドのオリジナル・ラインアップ
を完成させる。
1995年2月に初のライヴを行う。バンドは粗く、暗い、内省的な
へヴィメタルをプレイした。
1996年、デビューアルバム『Tormented』をセルフリリースする。
アーロン・ルイスは「私たちがヘヴィメタルバンドになったのは、
ファーストアルバム『Tormented』からでした。それまではボストンの
ハードコアシーンで活動をしていたが、レコード契約がなかった
私たちがその時取り組まなければならなかった音楽がそれでした。
そうしなければ我々には何も起こっていなかった。
ボストンのハードコアのミュージック・シーンで競争しようとすると、
本当に重い音を書いてしまうが、その重さの根源にあるのはへヴィメタル
だった。『Dysfunction』は『Tormented』からの大きな一歩でした」と
当時を振り返った。
1999年、バンドはレーベルFlip / Elektraから2ndアルバム『Dysfunction』
をリリース。『Suffocate』、『Just Go』、『Me』、『Home』の
シングルをリリース。『Tormented』の『Mudshuvel』は、『Mudshovel』
とわずかにつづりを変えたバージョンが収録された。
『Mudshovel』はホット・メインストリーム・ロックトラックで
10位、ホット・モダン・ロックトラック(オルタナティヴ・ソング)
で14位となった。アルバムはニューメタル、オルタナティヴメタル
のスタイルと考えられ、歌詞は怒り、憂鬱をテーマに書かれている。
2001年リリースのアルバム『Break the Cycle』はカナダ、
ニュージーランド、イギリスのアルバムチャートで1位、
アメリカのビルボード200で1位に達し、アメリカで500万枚以上の
セールスを記録、マルチ・プラチナアルバムを獲得。イギリスでも
プラチナ、カナダではダブル・プラチナを獲得した。
アルバムからはシングル『It’s Been Awhile』、『Fade』、『Outside』、
『For You』、『Epiphany』の5枚のシングルがリリースされた。
『It’s Been Awhile』はビルボード・ホット100で5位に達し、
アメリカのAIAA、オーストラリアのARIAでゴールド認定された。
『Break the Cycle』は全世界で800万枚のセールスを記録し、
バンド史上最も商業的成功をおさめたアルバムとなった。
2011年、セルフタイトルアルバム『Staind』をリリース。
アルバムからはシングル『Not Again』がリリースされ、ビルボード・
メインストリーム・ロック・チャートで7週連続で1位となった。
2015年の時点で、バンドは無期限活動休止となっている。
Staind – Just Go
Staind – Mudshovel
Staind – For You
Mushroomhead
Mushroomhead(マッシュルーム・ヘッド)は、1993年アメリカの
オハイオ州クリーブランドで結成されたヘヴィメタルバンド。
1995年、セルフ・プロデュースによるデビュー・アルバム
『Mushroomhead』をリリース。
バンドは結成以来、ラインアップの変更を繰り返しており、
ジェフリー・ハトリックス(Vo、ジェフリー・ナッシングとして
ソロ活動もしている)とスティーブ・フェルトン(Ds)だけが
一貫して唯一のオリジナル・メンバーとなっている。
2014年『The Righteous & the Butterfly』をリリース。アルバム
から『Qwerty』、『Out of My Mind』のシングルがリリースされた。
アルバムはビルボード200で22位に達し、トップ・ロック・アルバム
チャートで5位、トップ・ハードロック・アルバムチャート、
インディーズ・アルバムチャートで1位に達した。
2003年の『13』以来、リリースするアルバムはすべてビルボード・
チャートにランクインしている。
Mushroomhead – Bwomp
Mushroomhead – Solitaire Unraveling
Slipknot
Slipknot(スリップノット)は、1995年アメリカのアイオワ州デモインで
結成されたヘヴィメタルバンド。
1995年、ショーン・クラハン(パーカッション)とポール・グレイ
(ベース、1972年4月8日-2010年5月24日)はThe Pale Onesと
いうバンドを結成。ジョーイ・ジョーディソン(Ds)らが加わり、
バンド名をSlipknotと変更する。1997年にはストーン・サワーで
活動していたコリィ・テイラー(Vo)が加入する。
1999年、デビューアルバム『Slipknot』をリリース。
2004年リリースのアルバム『Vol. 3: (The Subliminal Verses)』
からはシングル『Duality』、『Vermilion』、『Vermilion Pt. 2』、
『Before I Forget』、『The Nameless』がリリースされ、
『Before I Forget』は2004年のグラミー賞最優秀メタル・
パフォーマンス賞に輝いた。
2008年リリースのアルバム『All Hope Is Gone』はイギリスの
アルバムチャートで2位、オーストラリア、ニュージーランド、
スウェーデン、本国アメリカのアルバムチャートで1位に達した。
アルバムタイトル曲『All Hope Is Gone』や『Psychosocial』、
『Sulfur』他5曲のシングルがリリースされたこのアルバムは、
2人の創設メンバーであるポール・グレイ(B、2010年5月24日死亡)、
ジョーイ・ジョーディソン(Ds)が参加した最後のアルバムと
なった。
バンドはデビューアルバムから2008年リリースの『All Hope Is
Gone』まで連続してRIAAよりプラチナ・アルバムと認定されて
いる。
Slipknot – (Sic)
Slipknot – Wait And Bleed
Slipknot – Spit It Out
System Of A Down
System Of A Down(システム・オブ・ア・ダウン)は、アメリカの
ロックバンド。
1993年にカリフォルニア州ロサンゼルス市ハリウッドで、
出身校が同じローズ & アレックス・ピリボス・アルメニアン・
スクールであったサージ・タンキアンとダロン・マラキアンは
ソイル(Soil)というバンドを結成。シャヴォ・オダジアン(B)、
アンディ・ハチャトゥリアン(Ds、1997年脱退。後任として
ジョン・ドルマヤンが加入)が加入、1994年にバンド名を
システム・オブ・ア・ダウンに変更、活動開始する。
2001年リリースのアルバム『Toxicity』からシングル・リリース
された『Chop Suey!』は、2002年のグラミー賞最優秀メタル・
パフォーマンス賞にノミネートされた。アルバムはビルボート200
で1位に達しトリプル・プラチナに輝いた。アルバムタイトルの
『Toxicity』や『Aerials』のシングルもビルボードホット100に
ランクインした。
2005年リリースのアルバム『Mezmerize』からのシングル
『B.Y.O.B.』は『Chop Suey!』のセールスを突破し、RIAAより
プラチナ認定され、彼らのベストセラー・シングルとなった。
System Of A Down – Sugar
System Of A Down – Spiders
System Of A Down – Chop Suey!
90年代中期から2000年初頭にかけて、ニュー・メタルはヒップホップ、
オルタナティヴロック、ファンクやインダストリアル・ロックなどの
さまざまな要素を持つグルーヴ・メタルの派生としてアメリカ、
ヨーロッパの音楽シーンに出現し、多数のバンドやアーティストが
活動した。
グランジの影響を受けた内向的な歌詞ながらも、そのダウナーで
暗いサウンドとは違い、パワフルでアップテンポ、ヘヴィさを前面に
出したスタイル。ギター・ソロを排除し、ギターリフに基づいた
その音は多くのニュー・メタルバンドがダウンチューニングされた
7弦ギターを使用し、重くゆがんだ音を出していた。
歌唱スタイルはクリーンヴォーカルやスクリーム、時にはDJを
フィーチャーしたり、背景にエレクトロニック・ダンス・ミュージック
の影響を受けたラップと様々であった。
中には奇抜なコスチュームや過激なパフォーマンスのバンドも
多数存在したが、その見た目とはうらはらにキャッチーで
親しみやすいメロディーであったニュー・メタルはNWOAHM
(New Wave ofAmerican Heavy Metal)の一部として認識され
人気を博した。
コーンやリンキン・パークなど、かつてニュー・メタルと称されて
きたバンドの多くがこの呼ばれ方を拒否していたという事実が
あったが、リンプ・ビズキットのヴォーカリスト、フレッド・ダーストは
その呼び方を肯定した。そして「ニュー・メタルは人々に親しんで
もらえた。それだけでも意味があったと思っている」と述べた。
またコール・チェンバーのヴォーカリスト、デズ・ファファーラも、
「新しい音楽として、サブジャンルに関わることを誇りに思って
いる」と述べ、ニュー・メタルのバンドと呼ばれることを肯定して
いる。
アメリカのロックミュージック・シーンが迷走を続けていた90年代
後期、彼らは突如として現れ、ニュー・メタルはその独創性に
溢れた音楽でたちまち話題となり、アメリカのロックミュージック・
シーンに新風を巻き起こしました。
ニュー・メタルバンドとして一躍有名になり名声を手に入れた
その後も彼らは新しい音楽を追及し続け、進化を遂げながら
活動を続けています。