Melodic rock / AOR~カナダ、アメリカ編

 

 

 

寒い冬が通り過ぎて

やっと暖かい春がきました。

桜咲くこの季節になると

改めて思います。

日本の四季っていいな!って。

 

今回は80年代から90年代にかけて活動していた

北アメリカのメロディック・ロック、

AOR(Album-Oriented Rock)のバンドを

ご紹介します。

 

 

AOR(Album-oriented rock)は、ロックアーティストに

よるアルバムを主体としたアメリカのFMラジオ・フォーマット

の用語。

70年代半ば、プログレッシヴ・ロックを扱っていたFMラジオ局

から発展し、アルバムを商業的にアピールするため研究と正式な

プログラミングを用いてロックのフォーマットを構築し、

良質のアルバムを紹介した。

ソフト・ロックなどのAOR(アダルト・オリエンテッド・

ロック)はこちら

 

 

 

 

 

 

Harem Scarem

Harem Scarem(ハーレム・スキャーレム)は、カナダの

ハードロックバンド。

1987年にカナダ、オンタリオ州でピート・レスペランス(G)、

ハリー・ヘス(Vo)、ダレン・スミス(Ds)、マイク・ジオネット(B)

により結成された。

1991年、セルフタイトルのデビュー・アルバム『Harem Scarem』を

リリース。カナダのアルバムチャートで68位に達した。

アルバムから5枚のシングルがリリースされ、『Honestly』は68位、

Slowly Slipping Away』は25位とカナダのシングルチャートに

それぞれランクインした。

1993年、2ndアルバム『Mood Swings』をリリース。

以前のアルバムと比べ、ややハードなサウンドになったこの

アルバムはカナダのチャートで85位、シングル『No Justice』も

カナダのシングルチャートで59位に達した。

そして『Mood Swings』はとくに日本での人気を得るきっかけとなり、

バンドのデビュー・アルバム『Harem Scarem』は、翌1994年に日本で

リリースされた。

バンドは1990年代初頭、日本と母国カナダで人気を博し、これまで

13枚のスタジオ・アルバムに加え、数々のライヴ・アルバム、

コンピレーション・アルバムをリリースしている。

 

 

Harem Scarem – Slowly Slipping Away

 

Harem Scarem – Distant Memory

 

Harem Scarem – Saviors Never Cry

 

 

 

 

 

Firehouse

Firehouse(ファイアーハウス)は、アメリカのハードロックバンド。

1989年、ノースカロライナ州シャーロットでC. J.スネア(Vo)、

ビル・レバーティ(G)、ペリー・リチャードソン(B、2000年に脱退、

2004年後任としてアレン・マッケンジーが加入)、 マイケル・

フォスター(Ds)により結成された。

1990年、セルフタイトルのデビュー・アルバム『Firehouse』を

リリース。コンピュータ・ゲーム「Brütal Legend」のサウンド

トラックの一部として使用された『Overnight Sensation』を収録。

4枚のシングル『Shake & Tumble』、『Don’t Treat Me Bad』、

All She Wrote』、『Love of a Lifetime』がリリースされ、

アルバムはカナダ、日本、シンガポールでゴールド、アメリカで

ダブル・プラチナに認定された。

また、1992年開催の第19回アメリカン・ミュージック・アワードの

Favorite Heavy Metal/Hard Rock New Artistを受賞した。

1992年、2ndアルバム『Hold Your Fire』をリリース。

『Reach for the Sky』、『When I Look into Your Eyes』などの

ヒット・シングルを収録したこのアルバムはビルボード200で

23位に達し、RIAAよりプラチナに認定された。

1995年『3』というタイトルの3rdアルバムをリリース。全体的に

ソフトな音を特徴とし、パワーバラードの『Here For You』、

I Live My Life for You』などのシングルがヒットした。

1990年代、バンドは日本、タイ、インド、マレーシア、フィリピン、

インドネシア、およびシンガポールと、主にアジアを中心に人気が

高かった。また、南米とヨーロッパの人気を獲得した。

現在のメンバーはC. J.スネア、ビル・レバーティ、マイケル・

フォスターのオリジナル・メンバーと、アレン・マッケンジー

(B,2004-)となっている。

バンドは1990年代後半から2000年代初頭を通してアルバムを

リリースし続け、そのほとんどが日本でチャート・インした。

 

 

Firehouse – Overnight Sensation

 

Firehouse – Reach for the Sky

 

Firehouse – Hold The Dream

 

 

 

White Lion

White Lion(ホワイト・ライオン)は、アメリカのハードロック

バンド。

1983年、ニューヨークでデンマーク出身のマイク・トランプ(Vo)と、

アメリカのスタテン島出身のヴィト・ブラッタ(G)を中心に

ニッキ・カポッツィ(Ds)、フェリックス・ロビンソン(B)の

ラインアップで結成された。

1984年にエレクトラ・レコードと契約するが、レーベルは彼らの

アルバムに関心を示さず、アルバムは棚上げされた。

そのエレクトラからGrand Slamm Recordsレコードが権利を買い

取り、翌1985年、アメリカでデビューアルバム『Fight to Survive』を

リリース、アメリカのビルボード200で151位、イギリスのアルバム

チャートで72位に達した。アルバムからはシングルとして

『Broken Heart』がリリースされた。

アルバムにはダークな曲『All the Fallen Men』、『Kid of 1,000

Faces』もあり、トランプは「このような曲を非常に誇りに

思っている」と述べた。

また、アルバムは日本でビクター・レコードよりリリースされた。

1987年、アトランティック・レコードと契約。2ndアルバム

『Pride』をリリース。『Lonely nights』や『Wait』(ビルボード・

ホット100で8位)、『Tell Me』(58位)、『When The Children Cry

(3位)を収録したこのアルバムはビルボード200で11位に達し、

カナダでプラチナ、アメリカでダブル・プラチナに認定された。

1989年、3rdアルバム『Big Game』をリリース。

Broken Home』、『If my mind is evil』などを収録、シングル・リリース

された『Little Fighter』(In Memory Of The Rainbow Warrior)、

ゴールデン・イヤリングのカヴァー『Radar Love』はビルボード・

ホット100で59位に達した。

『Big Game』はイギリスのアルバムチャートで47位、カナダの

アルバムチャートで第28位、ビルボード200で19位に達し、

RIAAよりゴールドに認定された。

1991年『Mane Attraction』をリリース。シングル『Love Don’t

Come Easy』がメインストリーム・ロックチャートで24位に達し、

イギリスのアルバムチャートで31位に達したが、ビルボード200で

61位とトップ20に到達することが出来ず、セールスも前作には

及ばなかった。

これが最後のアルバムとなり、1992年のツアーを最後にバンドは

解散する。

ヴィト・ブラッタはあるインタビューで「私は以前から、

グランジがハードロックやグラムメタルのムーヴメントを殺した

のではなく、ムーヴメントは自らを殺したのだと言ってきました。

80年代のハードロックはLAバンドのムーヴメントで始まりました。

それから2回目の波が来て、クラシックな70年代のロッカーはシーンに

乗っかろうと自身のラベルを付け替え、LAバンドに同調しました。

そして、3回目の波は来ました。そして4回目、5回目と、隔年ごとに

来る波はプールを薄めていきました。

レーベルは群がり、多くの劣った派生バンドが契約された。

結局、それらはすべて内側に向けて破裂した。

がらくたによる雑音によって本物の音はかき消され、聴こえることは

ありませんでした」と述べている。

1999年、マイク・トランプはソロ活動開始後、以前のスタジオ・

アルバムからのバンドの最大の3ヒット『When The Children Cry』、

『Wait』、および『Little Fighter』を含む曲の再録音バージョンの

アルバム『Remembering White Lion』をリリース。

マイク・トランプ以外のオリジナルメンバーは1991年のアルバム

『Mane Attraction』を最後に脱退。元のバンドの再結成には関心が

なかったため、トランプは新たなメンバーでホワイト・ライオンを

再結成し収録した。この時からホワイト・ライオンを改革しようと

するトランプの長きにわたる戦いが始まる(アルバムは2004年、

法律上の問題のためトランプの名前をフィーチャーした

”Tramp’s White Lion”のバンド名の下『Last Roar』として

再リリースされた)。

2003年10月、トランプはオリジナルメンバーでホワイト・ライオンの

再結成を表明するが、この声明はすぐに他の元メンバーによって

拒否された。その後トランプは、ヴィト・ブラッタが再結成に

関与したくないと拒否したことを明かした。すでにヨーロッパでの

サマー・フェスティバルが予定されていたため、トランプは

元メンバーのジェームズ・ロメンツォ、ジミー・ディグラッソと、

ウォーレン・デ・マルティーニ(RATT)をフィーチャーした新しい

「ホワイトライオン」の編成を試みたが、ヴィト・ブラッタは

名前の部分的な所有権を主張する訴訟を起こし、ツアーはキャンセル

されバンド再編は失敗に終わる。

トランプはのちに、自身の意欲があるにもかかわらず「オリジナル・

メンバーによるホワイト・ライオンの再結成は決してありません」と

コメントしている。

2006年には『Cherokee』と『When the Children Cry』の

アコースティック・バージョン、『Deep In Love With You』、

Early Warning』、『Ride Through The Storm』、

Rock You Tonight』など、ホワイト・ライオンの4枚のアルバム

からの曲や未発表曲、チャートインしたシングルの全てのデモを

含めたコンピレーション・アルバム『Anthology 83–89』が

リリースされた。

2007年、ヴィト・ブラッタはニューヨークのあるラジオ番組で、

彼がホワイト・ライオンの再結成に関りたくないとマイク・トランプ

が発言したことに言及し、これまで拒否していなかったことを

明らかにした。彼が参加することができなかったのは「父が病気で

危篤状態であったことに加え、手首の負傷により不可能であった」

ことが真相であると述べた。また、彼は音楽業界に戻るための扉を

閉めていないことを付け加えた。

2008年、Frontiers Recordsより『Return of the Pride』を

リリース。これは、ホワイト・ライオンの1991年リリースの

『Mane Attraction』以来のスタジオ・アルバムで、オリジナル

メンバーであるマイク・トランプと新しいラインアップによる

最初のスタジオ・アルバムである。

Never let you go』などを収録。シングルとして『Dream』、

Live Your Life』がリリースされた。

2013年の時点で、バンドは活動を停止している

 

最終メンバー

・マイク・トランプ(Vo、1983-2013)

・ジェイミー・ロウ(G、2004-2013)

・トロイ・パトリック・ファレル(Ds、2004-2013)

・クラウス・ランゲスコフ(B、2004-2013)

・ヘニング・ワーナー(Key、2004-2013)

 

 

White Lion – Broken Heart

 

White Lion – Tell Me

 

White Lion – Till death do us part

 

 

 

 

Tesla

Tesla(テスラ)は、アメリカのハードロックバンド。

1981年、カリフォルニア州サクラメントでCity Kiddという

ロックバンドで活動していたブライアン・ウィート(B)と

フランク・ハノン(G)は、1984年、ジェフ・キース(Vo)、

Tommy Skeoch(G)、Troy Luccketta(Ds)のラインアップで

バンド名をTesla(テスラ)と変更する。

バンド名は電気工学の発明家、ニコラ・テスラに由来する。

1986年リリースのアルバム『Mechanical Resonance』をリリース。

『Modern Day Cowboy』、『Little Suzi』、『Gettin’ Better』などの

シングルがリリースされ、アルバムは1989年10月5日、RIAAより

プラチナに認定された。

1989年、2ndアルバム『The Great Radio Controversy』をリリース。

時代は折りしも1980年代のヘヴィメタル・ブームで、その影響を

受けつつ、それだけではなくブルース・ロックの要素やラヴ・

バラードなどを組み合わせたアルバムとなった。

シングル『Love Song』、『Heaven’s Trail (No Way Out)』、

Hang Tough』、『The Way It Is』、『Paradise』がリリースされた。

パワー・バラード『Love Song』はビルボードホット100で10位、

メインストリーム・ロックチャートで7位に達した(アルバムは

1998年7月23日、RIAAによってダブルプラチナに認定された)。

1990年、バンドはライヴアルバム『Five Man Acoustical Jam』

をリリース。エレキギターの代わりにアコースティックギターを

使用したアルバムからの最大のヒット曲『Signs』は、Five Man

Electrical Bandのカヴァー。

1991年『Psychotic Supper』をリリース。

Edison’s Medicine』(メインストリーム・ロックチャートで20位)、

『Call It What You Want』(19位)、『Song and Emotion』(13位)、

『What You Give』(7位、ビルボード・ホット100で86位)の

シングルがリリースされ、アルバムはアメリカでプラチナ、

カナダでゴールドを獲得した。アルバムは1993年11月5日、

RIAAによりプラチナ認定された。

1994年『Bust a Nut』をリリース。インナー・サークルもカヴァー

したジョー・サウスの『Games People Play』を収録

(1998年再リリースされた『Bust a Nut』の日本盤にはボーナス・

トラックとしてレッド・ツェッペリンのカヴァー『The Ocean』が

含まれている)。

『Bust a Nut』は2011年11月号のGuitar World誌の

「Top 10 Guitar Albums of 1994」の読者投票で第10位に

ランクインした。

アルバムは1995年3月16日、RIAAよりゴールド認定された。

このアルバムをリリース後に、バンドは活動を休止する。

 

 

バンドは2000年に再結成を発表。2004年には通算5枚目となる

スタジオ・アルバム『Into the Now』をリリースする。

アルバムからはシングル『Caught In A Dream』(メインストリーム・

ロックチャートで21位)、『Words Can’t Explain』(35位)が

リリースされ、『Into the Now』はビルボード200で31位に達した。

2008年『Forever More』をリリース。シングル『I Wanna live』を

収録。

2013年6月にはiTunesでニュー・シングルとして『Taste My Pain

をリリース(2014年リリースの『Simplicity』日本盤にボーナス

トラックとして収録)。

2014年にはシングル『So Divine』を収録した『Simplicity』が

リリースされた。

バンドは、これまでリリースされたすべてのアルバムが、

ビルボード・チャートの40位以内にチャート・インしている

 

 

Tesla – Modern Day Cowboy

 

Tesla – Love Song

 

Tesla-Changes

 

 

 

 

Slaughter

Slaughter(スローター)は、アメリカのハードロックバンド。

1988年、ネバダ州ラスベガスで、元ヴィニー・ヴィンセント・

インヴェイジョンのマーク・スローター(Vo,G)とダナ・ストラム

(B)により結成された。

1990年、マーク・スローター、ダナ・ストラム、ティム・ケリー

(G、1963年1月13日-1998年2月5日)、ブラス・エリアス(Ds)の

ラインアップでクリサリス・レコードよりデビュー・アルバム

『Stick It to Ya』をリリース。『Spend My Life』、『Up All Night』、

Mad About You』、『Fly To The Angels』を収録。

マーク・スローターとダナ・ストラムによって書かれた『Up All Night』は

シングルとしてリリースされた

また、バンドは1991年公開のアメリカ映画「ビルとテッドの地獄旅行」

のための曲『Shout It Out』をレコーディングするためオライオン・

ピクチャーズと契約。『Shout It Out』のミュージック・ビデオは

テレビやラジオなどでオンエアーされ好評を博した。

アルバムはアメリカのアルバムチャートで18位に達し、カナダで

プラチナ、1991年にはアメリカでダブル・プラチナに認定された。

1991年、バンドは第18回アメリカン・ミュージック・アワードの

Favorite Heavy Metal/Hard Rock New Artistを受賞した。

1992年、2ndアルバム『The Wild Life』をリリース。

シングル『Real love』はビルボードホット100で69位、アルバムは

ビルボード200で8位に達し、1992年9月8日にRIAAよりゴールドに

認定された。

バンドは3rdアルバム制作に取り掛かるが、1993年にギタリストの

ティム・ケリーが麻薬密売の容疑で逮捕され、ベーシストのダナ・

ストラムはバイク事故で手を負傷し、またリード・シンガーの

マーク・スローターが声帯の手術を受けるなど、バンドにさまざまな

トラブルが降りかかった。

アルバムは1994年2月に完成し、シングル『Searchin’』のミュージック・

ビデオはクリサリス・レコードによって制作された。

1665年、CMCインターナショナルより3rdアルバム『Fear No Evil』を

リリース。

1997年、サンクチュアリ・レコードより4thアルバム『Revolution』を

リリース。これがギタリスト、ティム・ケリーの最後のアルバムとなった。

1998年2月5日、ティム・ケリーが自動車事故で死去。後任ギタリストと

してJeff Blando(ジェフ・ブランド、元サイゴン・キック)が加入する。

1999年『Back to Reality』をリリース。『On My Own』を収録。

2003年、ブラス・エリアスが脱退。ヴィニー・ヴィンセント・

インヴェイジョンでマーク・スローターとダナ・ストラムのバンド仲間

だったボビー・ロックが代わりのドラマーとして、2004年までツーリング

メンバーとして参加した。

 

現在のメンバー

・マーク・スローター(Vo,G.1988-)

・ダナ・ストラム(B.1988-)

・ジェフ・ブランド(G.1998-)

・ゾルタン・チェイニー(Ds.2011-)

 

 

Slaughter – Fly To The Angels

 

Slaughter – Days Gone By

 

Slaughter – Real love

 

 

 

 

Trouble Tribe

Trouble Tribe(トラブル・トライブ)は、アメリカのニューヨークで

結成されたハードロックバンド。

1990年、セルフタイトルのデビュー・アルバム『Trouble Tribe』を

リリース。2つのヒット曲『Here Comes Trouble』、『Tattoo』と、

ビートルズのカヴァー『Dear Prudence』を収録している。

バンドはこのアルバムを最後に活動を停止している。

最終ラインアップ

・スティーヴ・ダレル(Ds)

・ジミー・ドリスコル(Vo)

・Adam Wacht(G)

・Eric Klaastad (B)

 

 

Trouble Tribe – Here Comes Trouble

 

Trouble Tribe -In the End

 

Trouble Tribe – Cold Heart

 

 

 

Kix

Kix(キックス)は、アメリカのハードロックバンド。

1980年代後半と1990年代初期に人気を博した。

1977年、メリーランド州ヘイガースタウンでShoozeというバンドで

活動していたドニー・パーネル(B)、ロニー”10/10″ ユンキンス(G)、

ブライアン・フォーサイス(G)、ドニー・スペンス(Ds)は1978年

バンドにスティーヴ・ホワイトマン(Vo)を迎え入れる。

バンドは地元のファン層を構築し、アトランティック・レコードとの

契約に至る。

1981年、ドニー・パーネル、スティーヴ・ホワイトマン、ブライアン・

フォーサイス、ロニー”10/10″ ユンキンス、ジミー”チョコレート”

チャルファント(Ds)のラインアップで、バンド名をキックスと変更し、

セルフ・タイトルのデビュー・アルバム『Kix』をリリースする。

1983年、アルバム『Cool Kids』をリリース。

Hot Child in the City』のニック・ギルダーによって書かれたシングル

Body Talk』がリリースされた。

アルバムはビルボード200の177位に達した。

1985年『Midnite Dynamite』をリリース。『Cold Showe』を収録。

1988年、バンドはドニー・パーネルの曲の多くをレコーディング

するためにスタジオ入りする。同年9月『Blow My Fuse』をリリース。

アルバムからタイトル・トラック『Blow My Fuse』、『Cold Blood』、

Get It While It’s Hot』、『Don’t Close Your Eyes』などの

シングルがリリースされた。

ドニー・パーネルとBob Halligan, Jr.、John Palumboの共作のバラード

『Don’t Close Your Eyes』は自殺防止のメッセージが込められており、

メインストリーム・ロックチャートで16位、ビルボードホット100で11位に

達した。アルバムはビルボード200で46位、アルバムはRIAAよりプラチナに

認定された。

1991年リリースのアルバム『Hot Wire』をリリース。

Cold Chills』を収録。アルバムからは、タイトル曲『Hot Wire』、

『Girl Money』、『Tear Down the Walls』、『Same Jane』のシングル

がリリースされた。

『Hot Wire』はビルボード200で64位に達したが、アルバムセールスも

20万枚と前回に及ばなかった。

さらに1995年リリースのアルバム『$how Bu$ine$$』は、グランジの

音楽シーンに影響された内容となり、その結果商業的に振るわず

バンド内の亀裂をもたらし、このアルバムを最後にバンドは

長期的な活動休止となった。また、創設メンバーであり、ソング

ライティングで中心的存在であったドニー・パーネルが参加した

最後のアルバムとなった。

 

 

1996年、リード・ヴォーカルのスティーヴ・ホワイトマンは

メリーランド州、ボルチモアのチャリティーギグで会った

ビリー・アンドリュース(G、2003年脱退)と、ディーン・クラマー

(G)、ネッド・メローニ(B、2003年マーク・シェンカーに交代)、

ジェフ・バレル(Ds、2003年ジミー”チョコレート”チャルファント

に交代)らとロック・バンド、ファニー・マネーを結成。

メリーランド州、バージニア州、ウェストバージニア州、

ペンシルベニア州などのエリアで活動、キックスのカヴァーや

オリジナル曲をプレイしている。

1998年、ブライアン・フォーサイスは脱退したGreg Fidelman

(Rhino Bucketではグレッグ・フィールズとクレジットされている)に

代わりRhino Bucketに加入。2006年リリースのアルバム

『And Then It Got Ugly』より参加している。

2003年後半、キックスはソングライター、バンドリーダーであった

ドニー・パーネルを除くメンバーで再編成され、翌2004年9月、

スティーヴ・ホワイトマン、ブライアン・フォーサイス、

ロニー”10/10″ ユンキンス、ジミー”チョコレート”チャルファントの

オリジナル・メンバーに加え、ファニー・マネーのベーシスト、

マーク・シェンカーというラインアップで再結成された。

2014年、バンドは1995年の『$how Bu$ine$$』以来、19年ぶりの

アルバムとなる『Rock Your Face Off』をリリースした。

 

 

スティーヴ・ホワイトマンは、キックスに加入する前はレッド・

ツェッペリンのカヴァー・バンドに在籍していた。

また、彼は拠点とするボルチモアでヴォーカル・レッスンを行って

いることで広く知られており、彼の教え子の1人にリジー・ヘイルが

いる。

 

 

Kix – Don’t Close Your Eyes
     

 

Kix – Cold Blood

 

kix – Tear down the walls

 

 

 

 

Signal

Signal(シグナル)は、アメリカのポップメタル、ハードロックの

プロジェクトバンド。

1989年、ソングライターのジュディス・ランドール、

マーク・ベイカーとプロデューサーのピーター・マッキューンの

音楽プロジェクトとして始動。元キング・コブラのリードシンガー、

マーク・フリー(Unruly Child)に参加を要請。

ダニー・ジェイコブ(G)、エリック・スコット(B,Key)、

ジャン・ユーベナ(Ds)というラインアップでシグナルを結成する。

同年『Loud & Clear』をリリース。

バンドはこのアルバムをリリースした翌1990年に解散した。

2000年、ライヴアルバム『Signal Live』がリリースされた。

 

 

マーク・フリー(本名:Marcie Michelle Free、1954年4月12日-)

は、アメリカ、インディアナ州サウスベンド出身のミュージシャン、

シンガーソングライター。

1973年、19歳のときミシガン州フリントで専門的に声楽を勉強する。

1975年、21歳でネバダ州ラスべガスに移動。

1979年にドラマーのカーマイン・アピス(元オジー・オズボーン、

ヴァニラ・ファッジ、ベック、ボガート&アピス、ロッド・スチュワート)

に会ったフリーは、アピスが立ち上げたバンド、キング・コブラに

参加するため1983年、カリフォルニア州ロサンゼルスに移動。

1984年、キング・コブラに加入する。

1985年、バンドはデビュー・アルバム『Ready to Strike』を

リリース。1986年に2ndアルバム『Thrill of a Lifetime』をリリース

するが、フリーはこのアルバムを最後にキング・コブラを脱退する。

1987年、ハードロック、AOR※のプロジェクトバンド、シグナルに

参加(※「Album-Oriented Rock」。主にメロディアスなハードロック

を指す。またそのラジオ局やアルバム、アーティストの総称。

元々はアメリカで1970年代半ばより、プログレッシヴ・ロックの

アルバムを聴かせるFMラジオがはじまり、より大きな商業を

アピールするためロック形式のアルバムやシングル曲に焦点を

当てオンエアーした。

現在アメリカではAORラジオ局ごとで、現代のロックやクラシック

ロック、アダルト・コンテンポラリー、カントリーといった形式の

音楽をオンエアしている)。

1989年『Loud & Clear』をリリース後、バンドは解散する。

 

 

1990年、フリーはブルース・ゴーディ(G、元ストーン・フューリー、

ワールド・トレード)、ジェイ・シェイレン(Ds、エイジアハリケーン

ワールド・トレード)、ラリー・アントニーノ(B、パブロ・クルーズ

ハリケーン)、ガイ・アリソン(Key、ロジック、ワールド・トレード、

ドゥービー・ブラザーズ)とともにUnruly Childを結成。

翌1991年にインタースコープ・レコードと契約。

1992年『Unruly Child』をリリースする

1993年、フリーはNow and Then Recordsというイギリスのインディ

ーズ・レーベルから、ジュディスとロビン・ランドールの母娘コンビの

ソングライティングによるソロアルバム『Long Way From Love』を

リリース(1998年にFrontiers Recordsから再リリースされた

『Long Way From Love』のアルバムバージョンは、1993年10月に

イングランド、マンチェスターで開催されたロックフェスティバル

The Gods Of AORのライブパフォーマンスの一部が含まれている)。

まもなく、Unruly Childはレーベルから契約を解除される。

Unruly ChildはTwelve Pound Sledgeの名の下活動し、フリーは

他のアメリカのレーベルで再契約することを期待して、マテリアルを

書き溜めていた。これらのセッションからの曲は1996年にソロ・

アルバム『Tormented』(マーシー・フリー)としてリリースされた。

2002年、Unruly Childは『Undefeated』、『Down The Road』、

『Live Without Love』などの90年代前半からのデモ集と、新しい

トラックを追加した『The Basement Demos』をリリースする。

 

 

生まれてきてからというもの、ずっと性同一性障害で苦しんできた

フリーは1993年11月、マーシー・フリーとして活動を始める。

1995年に音楽業界から引退し、ミシガンの家族のもとに戻った。

その後、性別も女性として復活を遂げたフリーは、2009年9月に

ゴーディ、アリソン、シェイレン、アントニーノとともに

Unruly Childを再結成。

Frontiers Recordsと契約を締結。翌2010年『Worlds Collide』を

リリース。アルバムは批評家からの称賛を受けた。

2014年、バンドはレーベル”Unruly Records”を立ち上げ、アルバム

『Down the Rabbit Hole』をリリースした。

 

 

Signal – Does it feel like love

 

Signal – You Won’t See Me Cry

 

Signal – Go

 

 

 

 

Tyketto

Tyketto(タイケット)は、アメリカのハードロックバンド。

1987年、ダニー・ヴォーン(Vo、元Waysted)、

ブルック・セントジェームス(G)、ジミ・ケネディ(B)、

マイケル・クレイトン(Ds)により結成された。

1990年、バンドはゲフィン・レコードと契約。

1991年、シングル『Forever Young』を含むデビュー・アルバム

『Don’t Come Easy』をリリースする。

当時、バンドの音楽はホワイトスネイクやボン・ジョヴィなどの

バンドの中間に近い音と評された。

しかし1990年以降、グランジの大躍進によりバンドの活動にも

影がさし始め、ゲフィン・レコードからも契約解除される。

1994年、CMC Internationalと契約。2ndアルバム『Strength in

Numbers』をリリースする。

1995年、ヴォーカルのダニー・ヴォーンが脱退。後任として

スティーヴ・オージェリー(EX-Tall Stories、Journey)が加入する。

アルバム『Shine』をリリースするが、ライヴの観客数も減少し、

当時のロックミュージック・シーンの変化についていけず、

バンドは1996年に解散する。

2004年に再結成ツアーのため、完全なオリジナル・ラインアップで

活動を再開した。

2007年には、バンドは「オリジナルメンバーであるこの4人が

タイケットの名の下で活動する最後のラインアップになるであろう」

と述べた。

そしてデモ・テープや過去の未発表曲や代替バージョンからなる

アルバム『The Last Sunset 』をリリースするが、以前述べたにも

かかわらず翌2008年にはバンドはメンバーチェンジをし、活動を

再開する。

2012年、オリジナルメンバーの4人(ブルック・セントジェームスは

2014年脱退)に新たなメンバー、ボビー・リンチ(Key、2011年‐2012年

脱退)を加えたラインアップでアルバム『Dig In Deep』をリリースした。

 

 

Tyketto – Forever Young

 

Tyketto – Wings

 

Tyketto – Standing Alone

 

 

 

 

 

Giant

Giant(ジャイアント)は、アメリカのメロディック・ロックバンド。

1987年、ダン・ハフ(Vo,G)、ダンの弟のデヴィッド・ハフ(Ds)、

マイク・ブリグナーデロ(B)、アラン・パスクア(Key)により

結成された。

ハフ兄弟は、クリスチャン・ロックバンドのホワイトハートの

創立メンバーであった。

1989年『Last of the Runaways』をリリース。

シングル『I’m a Believer』はビルボード・ホット100で56位と

マイナー・ヒットに終わったが、アラン・パスクアとマーク・スピロに

よって書かれたパワーバラード『I’ll see you in my dreams』は20位と

ヒットした。

バンドは2枚のアルバムをリリース後、90年代初めに解散するが、

2000年に再結成した。

2001年『III』をリリース。

2010年、テリー・ブロック(Vo、Strangeways)、ジョン・ロス

(G、ウィンガー)を迎え、アルバム『Promise Land』をリリース。

ダン・ハフは、多忙なスケジュールのためバンドメンバーとして

クレジットされていないが、ゲスト・ミュージシャンとしてアルバムに

参加している。

アルバムからはタイトル曲『Promise Land』のシングル、ミュージック・

ビデオがリリースされた。

 

 

Giant – I’m A Believer

 

Giant – I’ll see you in my dreams

 

Giant – Stay