大人の空間 Ⅰ ~Progressive rock/Art rock

 

 

 

毎日暑い日が続きますが、今年の夏ももうすぐ

終わってしまうと思うと、この暑ささえ愛おしく思えてきて

なんだか寂しくなってしまいます。

 

今回は、1970年後半から1980年代に最も活躍した

イギリスのプログレッシヴ・ロック、アートロック

などのお気に入りのバンドやアーティストを

ご紹介します。

 

 

 


 

 

Asia

Asia(エイジア)は1982年に結成された、イギリスの

プログレッシヴ・ロックバンド。

キング・クリムゾンをはじめロキシー・ミュージック、

ユーライア・ヒープ、ブライアン・フェリー・バンド、U.K.、

ウィッシュボーン・アッシュなどあらゆるバンドのヴォーカル、

ベーシストとして活動していたジョン・ウエットン(Vo,B 

1949年6月12日生まれ※下記追記あり)は、

イエスのスティーヴ・ハウ(G)と、バグルスのメンバーとして

活動していたジェフ・ダウンズ(Key)、そして、エマーソン・

レイク・アンド・パーマーのカール・パーマー(Ds)とともに

スーパーグループ、エイジアを結成。

1982年、セルフタイトルのデビュー・アルバム『Asia』をリリース。

シングル『Only time will tell』は17位、『Heat of the Moment』は

ビルボード・ホット100で4位に達した。

アルバムはビルボード200とキャッシュボックスで1位となり、

9週連続ナンバーワンを維持(アルバムは全米で400万枚の

セールスを達成、1995年2月、RIAAよりマルチ・プラチナに

認定された)。全世界で1千万枚以上のセールスを達成し、

バンド史上最大の商業的成功をおさめたアルバムとなった。

翌1983年リリースの2ndアルバム『Alpha』からはシングル

『The Smile Has Left Your Eyes』が34位、『Don’t Cry』が

ビルボード・ホット100で10位にチャートインした。

アルバムはビルボード・チャートで6位、イギリスのアルバム・

チャートで5位、日本のオリコンチャートで4位となり、本国

イギリスでシルバー、アメリカでプラチナに認定された。

しかし、前作のセールスには及ばず、ハウとパーマーが

セッション・ミュージシャンに成り下がったと他が嘆く中、

Rolling Stoneは『Alpha』を「大量生産された商業的なアルバム」

として酷評した。

『Alpha』は思うような商業的成功を収めることができず、

さらに同年の10月にはウェットンはアルコール依存症が原因で

バンドを解雇されてしまう。

バンドは急遽グレッグ・レイク(ELP、元キング・クリムゾン

※2017年1月追記 2016年12月7日にがんにより69歳で死去)を

招集、レイクは1983年12月6日、東京、日本武道館で行われた

「Asia in Asia」と題したコンサートでウェットンの代理を務めた。

コンサートは衛星中継でアメリカのMTVを通し全世界に放送され、

その模様は後に『Asia in Asia(エイジア・イン・エイジア)』と

題して、ビデオ、レーザーディスクとなって販売された。

1984年初め、グレッグ・レイクはバンドを去り、入れ替わるかたち

でウェットンが復帰。次のアルバムの制作を開始するが、すぐに

スティーヴ・ハウが脱退。元ジェネシスのスティーヴ・ハケット

とともにGTRを立ち上げる。

後任としてマンディ・メイヤー(元ゴットハード、クロークス、

ユニソニック)が加入する。

1985年リリースの3rdアルバム『Astra』は本国イギリスで68位、

アメリカでは67位となったが、日本のオリコンチャートで15位に

達した。

アルバムからはシングル『Too Late』(メインストリーム・

ロックチャートで30位)と、『Go』(ビルボード・ホット100で

46位、メインストリーム・ロックチャートで7位)のシングル、

ミュージックビデオがリリースされた。

バンドは1986年に一旦解散。1990年に再結成し、その後も多く

のメンバー・チェンジを繰り返しているが、1990年以降から

一貫してのオリジナルメンバーはジェフ·ダウンズのみとなる。

 

 

2006年前半、ダウンズとその他のオリジナルメンバーの

ウェットン、パーマー、ハウの3人は再結成のためにイギリスに

集結。そして、オリジナルラインアップでの再結成での活動が

噂された後、バンドは25周年記念のためのCD、DVD制作と

ワールドツアーを予定していることを正式に発表した。

2007年3月には、オリジナル・ラインアップでは初となる

来日ツアーを果たし、バンドのオリジナル曲以外、各メンバー

のキング・クリムゾン、イエス、ELP、バグルス時代の代表曲も

演奏された。その模様を収録したライヴアルバム『Fantasia:

Live in Tokyo』は同年6月にイーグルレコードよりリリース

され、アルバムはオリコンチャートで109位に達した。

2013年1月10日に、スティーヴ・ハウはイエスや他のプロジェクト

に集中するためにバンドから引退することを発表し、オリジナル・

ラインアップでの活動は2013年をもって終了となった。

後任にサム・クールソンを迎え、バンドは継続を発表した。

 

 

2015年、ジョン・ウエットンはがんの摘出手術を受けたことを

発表した。そしてツイッター上で「私は、明日から化学療法を

開始します。がんは進行が速いから、手遅れになる前に

皆さんに定期的にがん検診を受けるよう強くお勧めします。

– あなたがその痛みに苦しまないために」 とコメントしている。

12月8日に、バンドは公式ウェブサイト上で2016年に活動に

戻ることを発表した。

※1月31日追記 ジョン・ウエットンはがんの長い闘病生活の末、

2017年1月31日、就寝中に死去した。67歳。

 

 

本国イギリス、ヨーロッパはもとより、バンドは日本での人気も

高く、『Rare』 (2000)、『Aura』 (2001)、『Silent Nation』 (2004)

以外のすべてのアルバムがオリコンチャート50位以内にランクイン

している。

 

 

Asia – Heat of the Moment

 

バンド名を冠したデビュー・アルバム『Asia』からの大ヒット曲

『Heat of the Moment』と『Only time will tell』(PVは元10㏄の

ゴドレイ&クレームが担当)。当時、これを聴いたときは全身に

鳥肌が立ちました!いつ聴いても彼らの音楽はスバラシイ!!

 

Asia – Only time will tell

 

メンバー全員が既に世界的なキャリア、知名度を得ていた

ミュージシャン達によるスーパーグループだったため、

デビューの時点からかなり注目されたことと思います。

彼らはそれまでの音楽性をこのバンド結成時にすべて一新し、

世界に向けてポップでメロディアスな音楽を発信し続けました。

 

 

Asia – Go

 

 

 

 

 

The Alan Parsons Project

The Alan Parsons Project(アラン・パーソンズ・プロジェクト)は、

1975年から1990年まで活動していたイギリスのプログレッシヴ・

ロックバンド。

1974年の夏、EMIレコードでアシスタント・エンジニアとして

ビートルズやピンク・フロイドなどの作品を手掛けていた

アラン・パーソンズはアビー・ロード・スタジオの食堂で、

ソングライター、セッションピアニストとして務めていていた

エリック・ウールフソンと出会う。

エドガー・アラン・ポーをテーマとする作品の構想を練っていた

ウールフソンに、コンセプト・アルバムの制作を持ちかけられた

パーソンズは1975年、ウールフソンとともにアラン・パーソンズ・

プロジェクトを立ち上げる。

セッション・メンバーとして元パイロットのイアン・ベアーンソン

(G)、デヴィッド・ペイトン(B,Vo)、スチュアート・エリオット

(Ds,EX-Steve Harley & Cockney Rebel)とレニー・ザカテク

(EX-Gonzalez)など、外部から多くのミュージシャンを起用した。

 

 

1976年、アビー・ロード・スタジオで収録したデビュー・アルバム

『Tales of Mystery and Imagination』を20世紀フォックス・レコード

よりリリース。アルバムからは3つのシングル『(The System of)

Doctor Tarr and Professor Fether』、『The Raven』、『To One In

Paradise』(ビルボードホット100で37位)がリリースされた。

また『The Raven』はデジタル・ボコーダを使用した初のロック曲

で、オープニングはEMIボコーダを通したアラン・パーソンズの

ヴォーカルとなっている。リード・ヴォーカルには俳優のレナード・

ホワイティングを起用した。

その他、セッション・ミュージシャンとしてアンブロージアの

デヴィッド・パック(G)、バーリー・ドラモンド(Ds)、

ジョー・プエルタ(B)、クリストファー・ノース(Key)が参加。

また、アンドリュー・パウエル(オーケストラの指揮、アレンジ)

など、パイロットとアンブロージアのすべてのメンバーを含む

ミュージシャンが参加した。

多くの協力を得て制作されたアルバムはアメリカのビルボード200

のチャートでトップ40の成功を収めた。

 

 

1977年、アリスタ・レコードと契約。アルバム『I Robot』を

リリースする。

このアルバムのコンセプトは、ロボットが従わなければならない

とする大原則「ロボット工学三原則」を唱え、自らの作品内の

設定として使用していたSF作家アイザック・アシモフの小説

『I, Robot』に基づいたもので、「人工知能」について哲学的な

テーマを探求したものとなっており、ウールフソンはアイデアに

熱心だったアシモフと実際に話をした。

作品の権利はすでにテレビや映画会社に移行していたため、

アルバムタイトルを彼の作品「I, Robot」から「,」を取り除いた

『I Robot』とした。

アルバムから『I Wouldn’t Want to be Like You』、『Don’t Let

it Show』、『Day After Day (The Show Must Go On)』の3枚の

シングルがリリースされた。アルバムはビルボード200で9位に

達しRIAAによりプラチナ認定された。

1978年、ギザのピラミッドをコンセプトとしたアルバム『Pyramid』

をリリース。ピラミッドパワーとツタンカーメンの関心が当時

アメリカおよびイギリスで広まっており、イギリスで流行しはじめた

ニューウェーヴというジャンルに着手したアルバムとなった。

アルバムはグラミー賞最優秀アルバム技術賞(クラシック以外)に

ノミネートされた。

1979年『Eve』をリリース。当初は「歴史上の偉大な女性」を

テーマとしたものを意図していたが、男性社会の中で女性が

直面する現実問題に焦点をあて、その強さと特性への評価と

いった、より広い概念に発展したものとなった。

ヒプノシス(イギリスのデザイン・グループ。ピンク・フロイド、

ジェネシス、レッド・ツェッペリンといった数々のアーティストの

アルバムカヴァーを手掛ける)によるアルバムのカヴァーアート

は、表紙に二人の女性と、裏表紙に一人の女性がヴェールを

着用しており、それぞれ顔に傷やただれがあり、その部分を

ヴェールで覆い隠している写真となっている。

このアルバムよりクリス・レインボウ(パーキンソン病との長い

闘病ののち2015年2月22日に68歳で死亡した)が参加する

(『Winding Me Up』)。

アルバムのオープニングのインストゥルメンタル曲『Lucifer』は

ヨーロッパで大ヒットし、ドイツの政治テレビ番組「Monitor」の

タイトル・トラックとして使用されている。

『Damned If I Do』はアメリカのビルボード・ホット100で27位に

達した。また、アルバムにはClare Torry(『Don’t Hold Back』)、

Lesley Duncan(『If I Could Change Your Mind』)がヴォーカル

として参加している(これが女性シンガーの参加した初のアルバムと

認識されているが、1977年のアルバム『I Robot』ですでに女性2人が

参加しており、ソプラノ担当でJaki WhitrenとHilary Westernの

名前がクレジットされている)。

アルバムはビルボード200で13位に達し、RIAAによりゴールド認定

された。

1980年『The Turn of a Friendly Card』をリリース。

『The Turn of a Friendly Card, Pt. 1』、『Snake Eyes』、『The Ace

of Swords』(インストゥルメンタル)、『Nothing Left to Los』、

『The Turn of a Friendly Card, Pt. 2』の5トラックに分かれている

アルバムタイトル曲『The Turn of a Friendly Card』や、

『Games People Play』、『Snake Eyes』、ウールフソンの最初の

リードヴォーカルとなった『Time』の4つのシングルがリリースされ、

アルバムはビルボード200で13位となった。

 

 

1982年『Eye in the Sky』をリリース。『Old and Wise』(UKシングル

チャートで74位)や『Psychobabble』(ビルボードホット100で74位)、

アルバムタイトル曲『Eye In The Sky』がシングルリリースされた。

『Eye In The Sky』はビルボードホット100で3位となり、バンド最大の

ヒットとなった。アルバムはビルボード200で7位となり、RIAAより

プラチナ認定された。これがバンドのベストセラーアルバムとなり、

最後のプラチナアルバムとなった。

1984年リリースの『Ammonia Avenue』をリリース。

タイトルトラック『Ammonia Avenue』をはじめ全9曲を収録した

アルバムからはシングル『Prime Time』、『Don’t Answer Me』が

リリースされ、『Don’t Answer Me』はUKシングルチャートで58位、

ビルボード・ホット100で15位となり、バンドがアメリカで成功した

最後のシングルヒットとなった。

1987年『Gaudi』をリリース。この後リリース予定だった

『Freudiana』はパーソンズによってスタジオアルバム・バージョン

として(また、プロジェクトのバッキング・ミュージシャンを

フィーチャーした非公式のプロジェクト・アルバムとして)制作

されたが、ミュージカルのプロジェクトとしての実現の可能性を

模索することに熱心だったウールフソンはそれをミュージカルに

変えようというアイディアを持っていた。

このことが、2人のアーティストの間に亀裂をもたらす。

パーソンズがソロ活動を続けて、プロジェクトの多くのメンバー

を引き連れて初の世界的なツアーに乗り出していた間、

ウールフソンはプロジェクトの音楽によるミュージカルの脚本

を制作し続けた。そしてウールフソンは自身のキャリアを追及

するため脱退、1990年プロジェクトは解散する。

 

 

エリック・ウールフソンは演劇やミュージカルの作家へと

キャリアを移行し、1990年EMIからアラン・パーソンズとの

共同制作による非公式アルバムとしてロック・オペラの

アルバム『Freudiana』をリリース。

その後はミュージカルの作曲家として1996年『Gaudi』、

1997年『Gambler』、2000年『Freudiana』と、2003年には

『Poe: More Tales of Mystery and Imagination』を発表と

精力的に活動を続けるが、2009年12月2日に腎臓がんにより

ロンドンの自宅で64歳で死去した。

1979年にレコーディングされ棚上げされていた『The Sicilian

Defence』は彼の死後、2014年アラン・パーソンズ・

プロジェクト・ボックスセットの一部としてリリースされた。

 

 

バンドは1970年代後期と1980年代初期を通して人気を獲得し

続け、デビューアルバム『Tales of Mystery and Imagination』

からアラン・パーソンズ・プロジェクトとして最後となる

アルバム『Gaudi』までスタジオアルバムを立て続けに

リリース。その15年にわたる活動の中で10枚のアルバムを

残した。

『(The System of)Doctor Tarr and Professor Fether』、

『I Wouldn’t Want to Be Like You』、『Damned If I Do』、

『Games People Play』、『Time』、『Eye in the Sky』、

『Don’t Answer Me』、『Prime Time』の8つのシングルは

全米トップ40のヒットを記録した。

彼らは本国イギリスよりも北アメリカとヨーロッパで支持

され、決してUKトップ40シングルまたはトップ20アルバムを

達成することはなかった。

 

 

アラン・パーソンズ・プロジェクトは一定の時期を除き、

その活動期間を通してライヴ活動をしたことがなかったが、

これはエリック・ウールフソンとアラン・パーソンズが作曲と

制作に集中していたことや、スタジオで使用されていた複雑な

機器をステージ上で演奏し再現するといったことが技術的に

困難なためであった。

1990年代にはデジタルサンプラーも進化し、バンドがアラン・

パーソンズ・プロジェクトとしてライヴ・パフォーマンスを

披露したのは1990年10月(プロジェクトが解散した時点)の

Night of the Promsが最初である。

1993年、アラン・パーソンズはソロ・アルバム『Try Anything

Once』をリリース。

同年、ウールフソンとパーソンズのプロジェクトが分裂後、

アラン・パーソンズ・プロジェクトとは全く別であるバンド、

アラン・パーソンズとしてライヴ活動を開始

(後に” アラン・パーソンズ・ライヴ・プロジェクト ”と

名前を変更)。パーソンズはヴォーカル、アコースティック・

ギター、キーボードをプレイしさまざまなラインアップで

ライヴ、ツアーを行っている。

1995年5月8日、オランダで開催されたWorld Liberty Concert

には、Mick Mullins(ex-Modern Romance)とChris Thompson

(ex-Manfred Mann’s Earth Band)をゲスト・ミュージシャン

に迎えアラン・パーソンズ・バンドとしてライヴを行った

(『Old And Wise』、『Sirius / Eye in the Sky』)。

他、Candy Dulferとのセッションも行われた(『Breakaway』、

『The Gold Bug』)。

2002年、アメリカ人シンガーP. J. Olssonをリードヴォーカルに

迎えた。

 

 

The Alan Parsons Project – Games People Play

 

アラン・パーソンズはかの有名なビートルズの『Abbey Road』や

ピンク・フロイドの『The Dark Side of the Moon』のレコーディング・

エンジニアをしていたというスゴイ経歴を持つアーティストです。

 

The Alan Parsons Project – Time

 

ファンキーなレニー・ザカテクの『I Wouldn’t Want to be Like You』や

クリス・レインボウの『Days Are Numbers』の繊細で美しい歌声も

とてもイイですが、何といっても『Time』や『Ammonia Avenue』、

『Eye in the Sky』などの、エリック・ウールフソンのあのピュアで

美しい歌声に心が癒されます。

 

The Alan Parsons Project- Eye in the Sky

 

 

 

 

 

Electric Light Orchestra

Electric Light Orchestra(エレクトリック・ライト・オーケストラ)は、

イギリスのプログレッシヴ・ロックバンド。

1970年にイギリスのバーミンガムでロイ・ウッドとジェフ・リンを

中心に結成された。

ビートルズに影響を受けた彼らの音楽は、古典的なポップに

クラシックと未来的なイコノグラフィーの融合という特徴を持つ。

1972年、ウッドの脱退後はすべての楽曲をジェフ・リンが手掛け、

弦楽器を抑えシンセサイザーによるオーケストレーションで独自の

世界を展開してきた。

1977年にリリースされた『Out of the Blue』は、『Turn to Stone』、

『Mr. Blue Sky』、『Sweet Talkin’ Woman』、『Wild West Hero』、

『It’s Over』の5枚のシングル・ヒットを記録、アルバムは

カナダでプラチナ、ドイツ、オランダではゴールド、アメリカでは

プラチナ、本国イギリスではマルチプラチナを獲得、400万枚

以上のセールスを記録し、バンド史上最も成功したアルバムと

なった。

大きな宇宙船のデザインのアートワークは長岡秀星

(2015年6月23日、心筋梗塞のため78歳で死去)によるもの。

その他『Telephone Line』、『Shine A Little Love』、『Don’t Bring

Me Down』、『Last Train to London』、『Hold On Tight』など、

多くのシングル・ヒット曲を生みだした。

とくにオリビア・ニュートン・ジョンをフィーチャーした1980年の

ミュージカル映画のサウンド・トラックである『Xanadu』は世界的

ナンバーワン・ヒットとなった。

 

 

Electric Light Orchestra – Mr Blue Sky

 

バンドが全盛期だった1970年代後半から80年代前半は

日本でもキャッチーでアップテンポなメロディが人々の心を掴んで

ラジオなどで頻繁に彼らの曲がかかっていました。

 

Electric Light Orchestra – Don’t Bring Me Down
     

 

1981年リリースのアルバム『Time』からのシングル

『Twilight』は、日本でもコマーシャルソングとして使用され、

また2005年のTVドラマ『電車男』のオープニング・タイトルにも

使用された、日本人にも大変なじみがある曲です。

 

Electric Light Orchestra – Twilight
     

 

 

 

 

 

Supertramp(Roger Hodgson)

Supertramp(スーパートランプ)は、1970年にデビューした、

イギリスのプログレッシヴ・ロックバンド。

1969年、イギリスのスウィンドン出身のキーボードプレイヤー、

リック・デイヴィスに才能を感じたオランダ人の大富豪

Stanley August”Sam”Miesegaesは彼のバンドThe Joint

への資金援助をしていた。

だが行き詰まった彼らに失望、バンドは解散しMiesegaesは

援助をやめてしまう。そしてデイヴィスに「バンドを作るならば

再び援助を再開する」というチャンスを与えた。

デイヴィスは、音楽新聞「メロディーメーカー」にメンバー募集の

広告を出し、ロジャー・ホジソン(ベース、ヴォーカル)、

リチャード・パーマー(ギター)が集まる。

デイヴィスとホジソンには、根本的に異なる背景と音楽の

ひらめきがあった。私立学校から音楽ビジネスへまっすぐ

進んで来た、ポップとサイケデリックが好きなホジソンと、

労働者階級でブルースとジャズに激しく傾倒していたデイヴィス

であったが、彼らはそれにもかかわらずオーディションの間に

意気投合した。

3人目のライターとしてパーマーが加わり、彼らは一緒に曲を

書き始める。そしてリック・デイヴィス(キーボード、ヴォーカル)、

ロジャー・ホジソン(ベース、ヴォーカル)、リチャード·パーマー

(ギター)、キース・ベイカー(ドラム、パーカッション すぐに

ロバート・ミラーと交代、その後1971年ケビン・カリー、1973年

ボブ・シーベンバーグに交代する)のラインアップでDaddyと

いうバンドを結成。Miesegaesはバンドへの資金援助を再び開始

する。Miesegaesの資金援助は2ndアルバム『Indelibly Stamped 』

(1971)まで続いた。

シングル『Dreamer』など8曲を収録した1974年のアルバム

『Crime of the Century』はMiesegaesに捧げたもの。

(Stanley August”Sam”Miesegaesは1990年に死去した)。

1970年前半にバンド名をスーパートランプ(「漂流者」の意味)と

変更(ウェールズの詩人、作家のウィリアム・ヘンリー・デイヴィス

によって1908年に公開された自伝「The Autobiographyof a

Super-Tramp」に由来する)。

1970年、セルフタイトルのデビュー・アルバム『Supertramp』を

リリースする。

バンドの音楽ジャンルは、当初プログレッシヴ・ロックとみなされて

いたが、彼らはのちに伝統的なロック、ポップとアート・ロックの

組合せを音楽に取り込んだ。

 

 

ロジャー・ホジソンは1950年3月21日、イングランドのハンプシャー、

ポーツマス生まれ、オックスフォードで育つ。

彼はイングランドのバッキンガムシア州近くのストウ・スクールで

エレキギターを学ぶ。彼が最初に手にしたギターは、彼が12歳の時

両親が離婚した際の、父からプレゼントされたものだった。

19歳でPeople Like Usというバンドでギタリストとして活動。

1969年、在籍していたArgosyというバンドが解散となり、

リック・デイヴィスがイギリスの音楽新聞「メロディーメーカー」

に出していたメンバー募集の広告を見たホジソンはオーディションを

受け、ベースに配属される。バンド名をDaddyとし活動をスタート。

その後スーパートランプとバンド名を変更する。

1979年にリリースされた『Breakfast in America』からは

シングル『The Logical Song』(ビルボードホット100で6位)、

『Goodbye Stranger』(15位)、『Take the Long Way Home』

(10位)、『Breakfast in America』(62位)がリリースされ、

それぞれヒットを記録。アルバムはビルボード・ポップチャートで

1位となり、スーパートランプの最も成功したアルバムとなった。

1983年、ホジソンはソロアルバムの制作と、彼の家族とともに

より多くの時間を過ごしたいとの理由によりバンドを脱退したことを

発表した。

1984年、ソロ開始後初のアルバム『In the Eye of the Storm』からは

『Had a Dream』、『Lovers in the Wind』がシングル・リリースされた。

彼は1990年、イギリスのロックバンド、イエスからリード・ヴォーカル

としてバンドに加入するよう持ち掛けられたがその申し出を断った。

1994年リリースのイエスのアルバム『Talk』に収録の『Walls』は

トレヴァー・ラビンとの共作であり、アルバムにロジャー・ホジソンの

名前がクレジットされている。

彼は長年にわたるベジタリアンである。

 

 

Supertramp – The Logical Song
     

 

アルバム『Breakfast in America』からの名曲

『The Logical Song』と、『Breakfast In America』は

それぞれシングルリリースされ、どちらも世界的大ヒットを

記録しました。

 

Supertramp – Breakfast In America

 

癒しのハイトーンの歌声は、Voice of Supertrampとも言われ

人々に親しまれました。

Give a Little Bit』、『The Logical Song』、

Breakfast in America』、『Take the Long Way Home』、

It’s Raining Again』、『Don’t Leave Me Now』のいずれも

ロジャー・ホジソンのセンスが光る名曲です。

 

Supertramp – It’s Raining Again