懐かしの’70~80S New wave – The Cars

 

 

 

70年代後半から80年代にかけて活動したロックバンド、

The Cars(カーズ)をご紹介します。

 

 

 

 

70年後半から80年初頭、アメリカではディーヴォ、ブロンディ、トーキング・

ヘッズ、B-52’sといった、イギリスのパンクの流れをくむ、ニュー・ウェイヴ

バンドが台頭していた。

彼らはパンクロックにシンセサイザーなどの電子楽器を取り入れ、よりポップに

アレンジした(日本でも70年代を代表するグループ、ドイツのクラフトワークや、

日本のイエロー・マジック・オーケストラをはじめとする電子音楽が流行し、

テクノポップまたはテクノ(ダンスミュージックとしてのテクノとは別)と

いう用語で呼ばれ、親しまれていた)。

 

 

その中でもカーズは、そのポップで親しみやすいサウンドでアメリカにおける

ニュー・ウェイヴをけん引する1バンドとして、80年代人気を博した。

また、その音楽性やファッションに影響を受けた後続のバンドも多い。

メンバー全員がシックでクールなファッションに身を包み、ギターを主体と

したロカビリーのサウンドに、当時主流となっていたシンセサイザーを

ブレンドさせたユニークな音楽性に加え、リック・オケイセックのポップな

ヴォーカルと、ベンジャミン・オールのアンニュイなヴォーカルが

バンドの持ち味であった。

 

 

60年代、リック・オケイセックはオハイオ州クリーブランドの音楽番組

The Big 5 Showに出演していた、グラスホッパーズというバンドの

リードシンガー兼ギタリストのベンジャミン・オールに初めて出逢う。

彼らは1968年、オハイオ州コロンバスで再会し、ID Nirvanaという

バンドで活動していたオケイセックはオールを誘い、彼らは一緒に

演奏をし始め、オハイオ州立大学とその周辺で演奏した。

コロンバスとミシガン州アナーバーでさまざまなバンドでプレイした後、

1970年代初頭にボストンに拠点を移す。

二人はMilkwood、Richard and the Rabbitsというバンドを経て、

サウスポーのギタリストのElliot Easton(エリオット・イーストン)と

一緒にCap’n Swingを結成した。

リック・オケイセックが30代前半、ベンジャミン・オールが30歳に

さしかかる頃、オケイセックは、彼の作曲スタイルにより適したバンドを

つくることを決意。

二人はエリオット・イーストン、元The Modern Loversのドラマー

David Robinson(デヴィッド・ロビンソン)、Richard and the Rabbitsで

一緒にプレイしたキーボーディストのGreg Hawkes(グレッグ・ホークス)と

ともに5人編成のバンド、カーズを結成。

バンドは1976年12月31日、ニューハンプシャー州のピーズ空軍基地で

最初のショーを行った。

1977年の初め、ニュー・イングランド中でプレイしデビュー・アルバムに

そなえて曲を書き溜めた。そして9曲のデモ・テープが録音され、その中の

『Just What I Needed』はボストンのラジオ局で頻繁に流された。

その甲斐あって、バンドはArista RecordsとElektra Recordsとの契約に

こぎつけた。

バンドはArista Recordsと比較して、ニュー・ウェーヴのアーティストが

より多く在籍するElektra Recordsと契約する。

1978年、デビューアルバム『The Cars』がリリースされ、ビルボード200で

25位に達した。アルバムアートワークは、プレイボーイ誌のモデルをしていた

当時17歳のロシア出身の作家、ロックシンガーのNataliya Medvedevaがモデル

となり、エリオット・ギルバートが撮影した。

『Just What I Needed』がアルバムからのデビューシングルとして

リリースされ、続いて『My Best Friend’s Girl』、『Good Times Roll』と

リリースされ3曲すべてがチャートインした。このアルバムには

『You’re All I’ve Got Tonight』、『Bye Bye Love』、『Moving in Stereo』

などの、ラジオなどで頻繁にかかった人気の曲が含まれていた。

 

 

『The Cars』(邦題:錯乱のドライブ/カーズ登場)。

あまり上手ではないが、唯一無二の声の持ち主リック・オケイセックと、

あまり声量がなさそうだが、魅力的な声の持ち主ベンジャミン・オールの

ヴォーカルが好対照で、それだけでとても楽しめたアルバム

でした(『Moving In Stereo』『All Mixed Up』)。

 

 

The Cars – Just What I Needed

 

My Best Friend’s Girl

 

The Cars – Good Times Roll

 

The Cars – You’re All I’ve Got Tonight

 

 

 

1979年にリリースされた2ndアルバム『Candy-O』はビルボード200で3位に

達し、前作『The Cars』よりさらに大きなヒットとなった。

アルバムアートワークは、雑誌プレイボーイの画家アルベルト・バルガスが

作成した。バルガスを使うというアイデアは、バンドのアーティスティック

ディレクターで、ピンナップのコレクターであるドラマーのデヴィッド・

ロビンソンからの案であった。モデルはキャンディ・ムーアという

アメリカ人モデルで、この絵を作成するため何枚か写真撮影が行われ、

撮影中のモデルの他のショットはデヴィッド・ロビンソンのインタビュー

見ることができる。

トップ20シングル『Let’s Go』をフィーチャーしたアルバムにはタイトル曲

Candy-O』が収録されている。

『Let’s Go』は、中盤とラストに-リズミカルな拍手の後「レッツ・ゴー!」と叫ぶ-

を特徴としているが、これは1962年のThe Routersの同名のインストゥルメンタルから

インスピレーションを得ている。

他2曲『It’s All I Can Do』、『Double Life』がシングルリリースされた。

 

 

2ndアルバムの『Candy-O』(邦題:キャンディ・オーに捧ぐ)。

名盤と言われたアルバムと、それにふさわしい素晴らしいアートワークは、

歴史に残るほどの作品と、私は信じて疑いません。

すでに彼らを高く評価していたので、このアルバムジャケットの

アートワークはモダンでおしゃれな感じがよく出ていて、彼らの音楽に

ぴったりだと思います。

これを書いた画家のアルベルト・バルガス氏は当時83歳と高齢のため

引退状態だったとのことですが、姪御さんがカーズのファンだったため、

説得されてこの絵を描いたというエピソードがあります。

 

 

The Cars – Let’s Go

 

The Cars – Candy-O

 

The Cars – Dangerous Type

 

 

『Candy-O』の成功に続いて、 1980 年バンドは3rdアルバム『Panorama』を

リリース。このアルバムは前作よりも実験的であると解釈され、

『Touch and Go』でトップ 40 ヒットを 1 つしか収録していなかった。

アルバムはアメリカで5位に達したが、The CarsとCandy-Oの批評家の

称賛は得られず、Rolling Stoneは「無理やり引っ張り出されたアルバム」と

表現した。

 

 

The Cars – Touch and Go

 

The Cars – Panorama

 

 

 

1981年、カーズはボストンのインターメディア・スタジオを買収し、

シンクロ・サウンドと改名した。そこで収録された唯一のアルバム

『Shake It Up』は、『Panorama』よりも商業的なアルバムで、

トップ10シングルでタイトルトラックの『Shake It Up』を生み出し、

『Since You’re Gone』のヒットシングルの他に、

Victim of Love』、『Think It Over』の4つのシングルがリリースされた。

1982年のツアーの後、バンドは2年間の休暇を取り、オケイセックと

ホークスはソロプロジェクトに取り組み、デビュー・アルバムをリリースした。

(オケイセック『Beatitude』(1982)、ホークス『Niagara Falls』(1983))。

 

 

The Cars – Shake It Up

 

The Cars – Since You’re Gone

 

 

 

2年間の活動休止を経て、バンドは再集結し、1984年に5thアルバム

『Heartbeat City』をリリース。シングル『You Might Think』のミュージックビデオは、

第1回MTVビデオ・ミュージックアワードでビデオ・オブ・ザ・イヤーを受賞した。

アルバムから6つのシングルがリリースされ、タイトルトラックの『Heartbeat City』の

他、ヒットシングルには『Magic』、『Hello Again』、『Why Can’t I Have You』が

含まれていた。その中でもベンジャミン・オールがリード・ヴォーカルのシングル

『Drive』のミュージックビデオは、俳優/監督のティモシー・ハットンが監督した。

1985年、ロンドン、フィラデルフィアで開催されたライヴエイドコンサートで

この曲を演奏し(バンドはフィラデルフィアのJFKスタジアムで『You Might Think』、

『Just What I Needed』、『Heartbeat City』など4曲を演奏)、その後、バンドで

最も成功したシングルとなり、ビルボードホット100で3位に達した。

 

 

The Cars – Magic

 

The Cars – You Might Think

 

The Cars – Hello Again

 

The Cars – Drive

 

The Cars – Why Can’t I Have You

 

The Cars – You Are the Girl

 

 

バンドは結果としてスーパースターの座を獲得し、別のヒットシングル

『Tonight She Comes』をリリースした後、ビルボードホット100で7位、

ビルボードロックトラックチャートで1位(最後の1位)を獲得した。

『Greatest Hits』の後、カーズはソロプロジェクトを追求するために再び休暇を

取った。エリオット・イーストンとベンジャミン・オールはデビュー アルバム

(それぞれ『Change No Change』と『The Lace』)をリリースし、オケイセックは

2番目のソロアルバム『This Side of Paradise』をリリースした。

1987年、カーズは6枚目のアルバム『Door to Door』をリリース。

彼らの最後の国際的なヒット曲『You Are the Girl』が含まれていた。

しかし、アルバムは以前のアルバムの成功に近づくことができなかった。

バンドは1988年2月に解散を発表した。

 

 

The Cars – Tonight She Comes

 

 

 

ベンジャミン・オールは1986年、初のファーストアルバム

『The Lace』をリリース。シングル『Stay the Nigh』は

ビルボード・ホット100で24位に達した。

2000年4月に、ベンジャミン・オールは膵臓がんと診断された。

同年、元メンバーとコンサートビデオのために集結。

2000年10月3日、53歳で膵臓がんのため、自宅にて家族と

バンド仲間に看取られながら死去した。

リック・オケイセックはオールへの追悼として『Silver』を

書いた。この曲はオケイセックの2005年のソロアルバム『Nexterday』に

収録されている。

 

 

Benjamin Orr – Stay The Night

 

 

リック・オケイセックは、カーズの創設メンバーであり、1978年から1988年に

かけて数多くのヒット曲をレコーディングした。

彼はリズムギターを演奏し、ほとんどの曲でリードヴォーカルを担当した

(残りのトラックはベーシストのベンジャミン・オールがリードヴォーカルを

務めていた)。

オケイセックはバンドの最年長メンバーで、1970年代にオールと作曲の仕事を

分担していたが、その後オケイセックが主なソングライターとなり、バンドの

ほぼすべての曲を書いた。時にはグレッグ・ホークスと共作者として

数曲のクレジットを共有した。

2010年、オケイセックはカーズの残ったオリジナルメンバーと再会し、

24年ぶりのアルバムをレコーディングした。『Move Like This』という

タイトルのアルバムは2011年5月10日にリリースされた。

ツアー後、活動休止。

2018年4月、バンドはロックの殿堂入り式典でのパフォーマンスのために

再集結。プレゼンターのThe Killersのブランドン・フラワーズから

紹介された。

 

 

 

 

 

カーズというバンドは、今までにないタイプのバンドでした。

デビュー当時はパワーポップ路線でしたが、2枚目のアルバムから

彼らは徐々に実験的な要素を取り入れ、自分らしい音楽を模索して

いきます。

たとえ批評家からたたかれても、商業的に失敗に終わっても、

自分たちの感性を信じて音楽をつくりあげてきたプライドが

リリースごとのアルバムから感じ取れます。彼らの音楽は

まさにオリジナルでした。

 

 

ベンジャミン・オールとリック・オケイセックは、バンドを解散

してからは特に疎遠になっていましたが、二人が和解したのは

オールが亡くなる直前のことでした。

長年の友人だったこともあり、オールが亡くなってからのオケイセックは、

彼なしでバンドを継続する意欲を無くしてしまったかのようでした。

2000年以降、残りのメンバーでバンドを再始動するという話が

持ち上がりましたが、オケイセックは固辞。トッド・ラングレンを迎え、

エリオット・イーストンとグレッグ・ホークス(デヴィッド・ロビンソンは

友好的に辞退)は新しいメンバーとともにバンドを再開しようとしましたが、

オケイセックが「The Cars」の名前を使うことを許さず、バンド名を

「The New Cars」とすることを余儀なくされました。

2006年にアルバムをリリースし、2007年にバンドは解散。

 

 

カーズが2010年に再結成したときも、彼らは新しいメンバーは

入れませんでした。皆にとってベンジャミン・オールはかけがえのない

存在だったので、新たにベースを迎えることなくそれぞれがオールの

パートを補いました。

 

 

カーズはFountains of Wayne、The Killersといったパワーポップ、

ポストパンク・リバイバルのバンドにリスペクトされています。

10年ほどの活動期間内に6つのアルバムをリリースと、活動期間は

短かったけれど、あらゆる音楽分野の後続ミュージシャンに影響を

与えています。

 

※追記 2019年9月15日、リック・オケイセックは自宅、ニューヨークの

タウンハウスで75歳で亡くなった。

前年に別居した妻、ポーリーナ・ポリスコワが夫のもとに訪ねてきたところ、

意識不明のオケイセックを発見。検死局は、オケイセックが自然死したと

報告した。彼は高血圧性心臓病と冠動脈疾患の両方を患っていた。

オケイセックには、前回の結婚から2人ずつ、全部で6人の息子がいた。

3人目の妻であるポーリーナ・ポリスコワとは『Drive』のミュージック

ビデオの共演がきっかけとなり結婚した。