All-female metal bands

 

 

 

今回は、70年代から2000年代にかけて活動していた

ヨーロッパ、日本、北アメリカ、南アメリカの

女性ハードロック、へヴィメタルバンドをご紹介します。

 

 

 


 

 

Girlschool

Girlschool(ガールスクール)はイギリスのロックバンド。

1975年、サウス・ロンドンのワンズワースで、学校の友達

同士のキム・マコーリフ(リズムギター、ヴォーカル)、

ダイナ・”エニッド”・ウィリアムズ(ベース、ヴォーカル)、

隣人などでカヴァー・バンド、Painted Ladyが結成される。

バンドは地元のパブなどでライブをしていた。

その後ペインテッド・レディは解散。しかし、音楽の

キャリアを追求することをやめなかったマコーリフと

ウィリアムズは銀行、パン屋のそれぞれの仕事を辞めて

バンドを再結成。2人はメンバーを募集する。

ギタリストのケリー・ジョンソン、ドラマーのデニス・

デュフォートを得て1978年バンドをスタート。

バンド名はポール・マッカートニー&ウイングスの

大ヒットシングル『Mull of Kintyre』のB面に収められた

曲のタイトル『Girls’ School』から取って”Girlschool”

(ガールスクール)とした。

1978年12月にはインディーズ・レーベル、City Records

よりファーストシングル『Take It All Away』をリリース。

シングルはラジオで紹介され、アンダーグラウンドの

ロックシーンで話題となる。

彼女たちの評判を耳にしたイギリスのロックバンド、

モーターヘッドのリーダー、レミー(2015年12月28日、

70歳で死去。 ※2015年12月29日追記)が1979年の

モーターヘッドのオーバーキル・ツアーにバンドを

オープニング・アクトとして起用した。これが、レミーと

ガールスクールとの永続的な交友関係の始まりであった。

 

 

1979年、バンドはユーライア・ヒープ、モーターヘッド、

ジューシールーシーなどが所属するイギリスのレーベル、

Bronze Recordsのオーディションを受ける。社長の

ジェリー・ブロンはオーディションに参加した時のことを

振り返り「私は早めに行き、リハーサル中のガールスクールの

演奏を聴いて私は感銘を受けた。彼女たちは特にルックスが

いいわけではなかったが、遠目から見たケリー・ジョンソンが

チャーリーズ・エンジェルの女優(ファラ・フォーセット)に

見えた。だが彼女たちは何かを持っていた…」と、その才能を

称えた。バンドはBronze Recordsと契約を締結する。

1980年、ヴィック・マイレのプロデュースによるデビュー・

アルバム『Demolition』をリリース。イギリスのアルバム

チャートで28位に達した。アルバムからは『Emergency』、

『Nothing To Lose』、『Race with the Devil』(The Gun Cover)

の3枚のシングルがリリースされた。

翌年、1981年2月MotörheadとGirlschoolのクレジットで

『St. Valentine’s Day Massacre (EP)』をリリース。

『Emergency』を含む『Please Don’t Touch』、『Bomber』の

3トラックを収録、イギリスのシングルチャートで5位に達した。

同年4月リリースされた2ndアルバム『Hit and Run』は、

タイトル・トラック『Hit and Run』のシングルとともにイギリス

でヒットし、アルバムは5位まで上昇した。

しかし、アルバムのレコーディングやプロモーション、コンサート

と過密なスケジュールはバンドメンバーを疲れさせ、悪影響を

与え始めた。

1982年3月『Wildlife(EP)』のリリース直後にベーシストの

イーニッド・ウィリアムズが脱退してしまう。

レミーの推薦で、パンクバンドの元ベーシストGil Weston

(ジル・ウェストン、1982年- 1987年)に交代した。

同年6月3rdアルバム『Screaming Blue Murder』をリリースする。

イギリスに戻って、引き続きレコーディング・セッションと

プロモーションの仕事の連続の日々が始まる。

しかし、ギタリストのケリー・ジョンソンはそういった日常や

バンドが4年間絶え間なくプレイしてきた音楽にも嫌気がさしていた。

1983年、バンドはアメリカにアピールするために、バンド本来の

スタイルであったバイカーロック・スタイルからグラムロックへと

大きく方向転換し、キーボード、コーラスとメロディーで満たされた、

非常に洗練されたサウンドの4thアルバム『Play Dirty』をリリース。

しかし、このアルバムは前作より攻撃性とパワーを大きく欠いて

いると不評を買い『Play Dirty』はイギリスのアルバムチャートの

トップ50にも入ることができなかった。

さらに、ZZトップのサポートをつとめたウェンブリー・アリーナの

惨憺たるパフォーマンスは、本国イギリスでのイメージダウンに

つながった。

そして、ツアーでの不健康な生活に耐えられず、アメリカ・ツアーを

終了する前にケリー・ジョンソンが脱退。バンドのビジュアル面と

音楽面で中心的存在と考えられていたジョンソンの脱退は大きな痛手

となり、アメリカでのアルバムのプロモーションにも影響した。

そして次のアルバムのレコーディングもないまま、レーベルから

契約を解除されてしまう。

 

 

このような困難な状況にもめげず、バンドは新たにマーキュリー・

レコードと契約。新メンバーとしてクリス・ボナッツィ(G)、

ジャッキー・ボディミード(Key,Vo)を迎え入れる。

5人体制となったバンドは1985年5thアルバム『Running Wild』を

リリースするがセールスは伸び悩み、マーキュリー・レコードから

契約を解除されてしまう。

本来の音楽スタイルに戻ることに決めたバンドは当面の目標として、

できるだけ多くのプレイをしてアピールし、ファンを取り戻すことに

努めた。そしてヴォーカルのマコーリフは4人のメンバーと1985年の

11月・12月、ブルー・オイスター・カルトのオープニング・アクトと

してイギリスツアーに臨んだ。

1986年、レミーのはからいでバンドはGWRレコードと契約。

プロデューサー、ヴィック・マイレと新しいアルバムの制作に取り

かかる。

1986年、6thアルバム『Nightmare at Maple Cross』をリリース。

バンドは4人編成となり、彼らの初期の作品のサウンドに戻った。

アルバムは評価されたがイギリスでチャートインすることができず、

北アメリカのリリースは翌年に持ち越された。

1988年7thアルバム『Take a Bite』をリリースするが、90年代に入り、

グランジなどの新しい音楽の流行により、それまでNWOBHMの分野で

活動していたバンドの大半は解散、または音楽性の方向転換を余儀なく

された。バンドはGWRから契約を打ち切られ、新たにレーベルを探す

までは公式に活動することができず活動停止する。

 

 

もはやガールスクールは公式に活動はできなくなったが、メンバーは

その後も音楽活動を続けた。

1990年12月、マコーリフ、ボナッツィ、デュフォートと、ベーシスト

のイーニッド・ウィリアムズが復帰、イギリスのシンガー、ト-ヤ・

ウィルコックスと組んでShe-Devilsを結成する。

数ヶ月後、同じメンバーでStrange Girlsの名の下、活動を再開する。

ドラマーがデュフォートからLydie Gallaisに交替。

Strange Girlsは1991と1992年にイギリスのクラブでプレイした。

1992年デュフォートが復帰。ジャッキー・カレラ(B)が加入し

ガールスクールとして活動を再開する。そしてインディーズ・レーベル

Communiqué Recordsから初のセルフプロデュースのアルバム

『Girlschool』をリリースする。

バンドは多くのメンバー・チェンジをし、ヨーロッパ・ツアーの後、

カレラをトレイシー・ラムに交替。

1992年の終わりにはクリス・ボナッツィがバンドを脱退する。

そして1993年、LAのバンド、World’s Cutest Killersというバンドで

プレイしていたケリー・ジョンソンがバンドに復帰する。

ガールスクールは1990年代にライヴ活動を続け、1999年8月6日、

ヴァッケン・オープン・エアに参加して最高潮に達した。

しかし1999年、ケリー・ジョンソンが友好的にガールスクールを

脱退する(1999年の時点で癌と診断されていたが、このことは

彼女の親しい友人と近親者以外には知らせておらず、彼女は

バンドを去るまで絶え間ないツアーをこなした)。

音楽面でも中心的存在であったジョンソンの脱退で、バンドは

その勢いを失っていく。

2002年ジョンソンの後任としてジャッキー・チェンバースが

加入した。

 

 

2007年7月15日、創設メンバーでキム・マコーリフとともに

ソングライティングに大きく貢献してきたギタリストの

ケリー・ジョンソンが脊髄がんにより49歳の若さでこの世を去った。

同年8月20日、バンドはジョンソンの友人やかつてのメンバーも

招き、ロンドンのRaymond Revuebarで追悼ライヴを行った。

2008年10月、プロデューサー、ティム・ハミルのサポートを

受け、バンド結成30周年と故ケリー・ジョンソンの功績を称えた

11thアルバム『Legacy』をリリース。NWOBHM、パンク、

ウェスト・コースト、オルタナティヴ・ロックなど様々なタイプの

曲を収録したアルバムとなった。

ゲストとしてHeaven&Hell、Twisted Sister、Motörheadが

参加。トラック7『Legend』はジョンソンに捧げた曲。

アルバムは高い評価を受け、ドイツのレーベルSPV/Steamhammer

が世界にむけてのリリースを約束した。

同年12月16日、ロンドンのアストリア2で結成30周年記念

ライヴを行った。

 

 

ガールスクールは1970年代後半から1980年代初頭にかけて

商業的成功をおさめ、世界中でカルト的な人気を集め後続の

多くのバンド、ミュージシャンに影響を与え続けている。

バンドは幾多のメンバー・チェンジを経て、ケリー·ジョンソン

を除くオリジナル・メンバー、キム·マコーリフ、イーニッド・

ウィリアムズとデニス・デュフォートは今もなお在籍して

おり、そのキャリアは30年以上に及ぶ。

 

Girlschool – Demolition Boys

 

Girlschool – C’mon Lets Go

 

Girlschool – Don’t Call It Love

 

Girlschool – Going Under

 

 

 

 

 

Rock Goddess

Rock Goddess(ロックゴッデス)は、イギリスのハードロック、

へヴィメタルバンド。1977年、ワンズワースで結成された。

メンバーは女性だけの3ピースバンドで、1980年代を通して

カルト的な人気を得る。

当時13歳と9歳の姉妹ジョディ・ターナー(Vo,G )とジュリー・

ターナー(Ds)は、友人トレイシー・ラム(B)を誘い

Rock Goddess(ロックゴッデス)を結成。オリジナル・

ラインアップが完成する。その後、2人目のギタリストとして

Donnica Colmanが加入(1982年脱退後Jackie Apperleyに交代)。

Apperleyが脱退後、バンドは3ピースバンドとして集中的に

リハーサルをした。そしてロンドンのアンダーグラウンドの

音楽シーンでサンプラーのための演奏をしていた。

一方、音楽店とリハーサルルームを所有していたジョディと

ジュリーの父でマネージャーのジョン・ターナーは、自身の

交友関係を駆使してバンドをプロモーションする。

1982年、レディング・フェスティバルに出演したバンドは

プロデューサーのヴィック・マイレの目にとまり、A&Mとの

契約を獲得する。

1983年2月、ヴィック・マイレのプロデュースによりセルフ・

タイトルのデビューアルバム『Rock Goddess』をリリース。

アルバムからシングル『I Didn’t Know I Loved You』がリリース

された。当時、ジュリー・ターナーは高校在学中の未成年で

あったため、ライヴ活動が制限された。

アルバムのリリース後、トレイシー・ラムがバンドを脱退する

(トレイシー・ラムは1987年に音楽活動をやめバンドを脱退した

ジル・ウェストンの後任としてガールスクールに加入。

バンドがレーベルを失い活動を停止していた1991年まで在籍。

1993年には再始動したガールスクールにジャッキー・カレラの

後任として加入。友人であるケリー・ジョンソンが脱退した直後

の2000年に脱退)。ラムの後任としてDee O’Malley(B,Key)が

加入。同年10月、2ndアルバム『Hell Hath No Fury』をリリース。

1986年、Dee O’Malleyが脱退。O’Malleyの後任としてJulia Longman

(B,1986 – 1987)、Beckie Axten(Key,1986 – 1987)が加入。

バンドは3枚目のアルバムをリリースされないままA&Mから契約を

打ち切られた。

1987年、フランスのレーベルJIDより3rdアルバム『Young and Free』

をリリース。アルバムからシングル『Love Has Passed Me By』、

『Jerry』がリリースされた。

(1994年、Magnum Music Groupはマスター・テープをもとに、

アルバム『The Lost Album』を再リリースした)。

しかし、克服しがたい問題のために、バンドはその後まもなく解散

する。

ジョディとジュリー姉妹はその後も音楽活動を続け、ジョディは

1994年、Braindanceとバンド名を変更し新しいラインアップで活動を

続けるが、1995年に再び解散する。

2013年3月、ジョディとジュリー姉妹、トレイシー・ラムのオリジナル・

ラインアップでバンドが再結成され、新しいアルバムに向けて

レコーディングを開始することが発表された。

現在アルバムはリリースしていないが、2017年5月19日に3トラック

EP『It’s More Than Rock and Roll』がリリースされた。

同年4月21日にはVintage TVを通じてタイトルトラックのミュージック・

ビデオ『It’s More Than Rock and Roll』がリリースされた。

 

Rock Goddess – Take Your Love Away

 

Rock Goddess – I Didn’t Know I Loved You

 

Rock Godess – Hold Me Down

 

 

 

 

 

SHOW-YA

SHOW-YA(ショーヤ)は、日本のハードロック、

へヴィメタル・バンド。

1982年、寺田恵子(Vo)、五十嵐”Sun-go”美貴(G)、

仙波さとみ(B)、中村”Captain” 美紀(Key)、

角田”Mittan”美喜(Dr)により結成された。

バンド名の由来は、居酒屋チェーンの庄や。

前身バンドの『メデューサ』時代、ことごとく音楽

コンテストに落選していた寺田と中村は「バンド名が悪い」

ということで意見が一致、その時飲んでいた居酒屋

「庄や」の名前が英語にすると「SHOW-YA」で”Show Ya”

(ショーをあなたに)になるということで決定した。

1985年、デビュー・アルバム『Masquerade Show』をリリース。

アルバムから先行シングルとして『素敵にダンシング(Coke Is It)』

がリリースされた。

当時、日本で女性だけのロックバンドは珍しく、1987年から

企画・主催を始めた女性アーティストのみを集めた野外イベント

「NAONのYAON」を東京・日比谷野外音楽堂で行うなど、

1986年にデビューしたプリンセス・プリンセスと共に

ガールズバンド・ブームの先駆け的な存在として注目を集め、

女性バンドの認知度を上げることに貢献した。

また、SHOW-YAの音楽はクラシック・ロックに深く根ざして

おり、ライヴではビートルズ、ドアーズ、ヤードバーズ、

レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルやAC/DCなどの

バンドのカヴァーもしている。

 

 

『Outerlimits』(1989年)と『Hard Way』(1990年)は、

初期のポップロックからへヴィメタルに音楽性が進化した

バンドの、最も成功したアルバムといえる。

『Outerlimits』の曲の歌詞のほとんどは安藤義彦によるもので、

バンドの8枚目のシングルとなる『限界 Lovers』、9枚目のシングル

私は嵐』がリリースされ、ともに昭和シェル石油のCMソングに

使用された。

『限界 Lovers』は日本で30万枚のセールスを記録、アルバムは

オリコンチャートで3位に達し、60万枚のセールスを記録して

バンドのベストセラー・アルバムとなった。

『Hard Way』は、アメリカ、ロサンゼルスのスタジオでボー・ヒル

(アリス・クーパー、ウィンガー、ヨーロッパ、ウォレント、ラット

など多くのアーティストを手掛けたプロデューサー)、ポール・

ウィンガーのプロデュースにより収録された。

歌詞は安藤義彦によるもので、音楽のアレンジはすべてバンド

メンバーが行った。

同年、バンドはロサンゼルス・タイムズの表紙を飾り、日本の

ヘヴィメタル・バンドのバウ・ワウやラウドネスの女性版で

あると紹介された。

バンドはレーベルとマネージメントによる多くのプロモーション

にもかかわらず、アメリカでのブレイクを果たせなかったが、

このアルバムは、日本のオリコンチャート4位に達した。

これが寺田恵子最後のスタジオ・アルバムとなる。

1991年、リードシンガーである寺田恵子が、新しい音楽を探索

したいという理由からバンドを脱退、ソロ活動を開始する。

その後バンドはオーディションにより、流暢な英語で歌えると

いうことで日系アメリカ人のステファニー・レイコ・ボルヘス

ヴォーカルに迎え、再びアメリカでのブレイクを試みようとした。

1996年、ボルヘスが脱退。ヴォーカルをYoshinoに変え活動を

続けるも、1998年にバンドは解散となる。

2005年、バンドの20周年記念を機にオリジナルメンバーで

再結成された。

 

SHOW YA – 水の中の逃亡者

 

SHOW-YA – 限界 LOVERS

 

SHOW-YA – Gambling

 

 

 

 

 

Phantom Blue

Phantom Blue(ファントム・ブルー)はアメリカのヘヴィメタル

バンド。

1987年、カリフォルニア州ロサンゼルスでレーサーXの

ポール・ギルバートとブルース・ブイエーからギターを学んだ

ギタリストのミシェル・メルドラム、ニコール・カウチと、

以前プロジェクトで一緒だったヴォーカルのジジ・ハンガック、

ドラマーのリンダ・マクドナルド(アイルランドと日本のハーフ)、

ベースのデブラ・アームストロング(1988年キム・ニールセン・

パーソンズに交代)により結成された。

わずか3ヶ月後に、マイク・ヴァーニーのシュラプネル・レコーズと

契約。シュラプネル・レコーズで最初で唯一の女性バンドであった。

Steve Fontano、ピーター・マリーノ、同レーベルのギタリスト、

マーティ・フリードマン(元Cacophony、Megadeth)との共同

プロデュースでセルフタイトルのファーストアルバム『Phantom Blue』

をリリース。

Roadrunner Recordsからヨーロッパにむけて『Why Call it Love』

のシングルとミュージック・ビデオがリリースされた。

『Why Call it Love』の成功に続いてヨーロッパ・ツアーも行われた。

1993年、ドン・ドッケンがメジャー・レーベル、ゲフィン・レコード

のTom Zutautにバンドを紹介し契約を締結。ミシェル・メルドラム

とニコール・カウチは新しいアルバムに向けて曲作りを始める。

レコーディングの前にカウチが脱退。メルドラムはアルバム

『Built to Perform』のギター・パートを首尾よくレコーディング

し、同年2ndアルバム『Built to Perform』をリリースする。

カウチの後任としてKaren Kreutzer(G)が加入。バンドは

ヨーロッパ・ツアーも成功をおさめ、アルバムからシングルと

ミュージック・ビデオ『Time to Run』がリリースされた。

しかし、バンドは翌1994年にゲフィン、レコードから契約を解除

されてしまう。そしてミシェル・メルドラム、ジジ・ハンガックが

バンドを脱退する。

唯一のオリジナルメンバーであったリンダ・マクドナルドは

メンバーを入れ替えてファントム・ブルーの名義で活動を続けるが、

バンドは2000年に活動を終了、2001年に解散を発表した。

その後バンドは2009年に一時的に再結成され、2008年5月21日に

亡くなったギタリストのミシェル・メルドラムの追悼コンサートを

行った。

元メンバーのジジ・ハンガックとニコール・カウチは、ミシェル・

メルドラムに敬意を表してウェブサイトwww.phantomblue.net

創設した。

 

 

ミシェル・メルドラムはミシガン州、デトロイト生まれ。

13歳のとき家族とカリフォルニア州、ロサンゼルスに移住する。

スコーピオンズの1976年のアルバム『Virgin Killer』を聴き、

‎ウリ・ジョン・ロートとマイケル・シェンカーに影響を受けた

メルドラムは14歳でギターを弾き始めた。

1985年にダーク・エンジェル、デス、ストラッピング・ヤング・

ラッドのドラマー、ジーン・ホグランとスラッシュメタルバンド

Wargodを結成。1985年と1986年にデモをリリース、3枚の

コンピレーションアルバムに曲を提供した。

1987年ファントム・ブルーを結成。

1989年シュラプネル・レコーズよりセルフタイトルのデビュー・

アルバムをリリースする。

また、メルドラムは自身のバンド、メルドラムという多国籍

ヘヴィメタルバンドを結成、アルバム『Loaded Mental Cannon』

(2002年)、『Blowin’ Up the Machine』(2007年)をリリース。

メルドラムの死後、3rdアルバム『Lifer』(2012年)がリリース

された。

 

Phantom Blue Why Call It Love

 

Phantom Blue – Going Mad

 

Phantom Blue – Time to Run

 

Phantom Blue – A Little Evil

 

 

 

 

 

Meldrum

Meldrum(メルドラム)は1999年後半、スウェーデンで

元ファントム・ブルーのギタリスト、ミシェル・メルドラム

(1968年9月28日-2008年5月21日)を中心に結成された多国籍

へヴィメタルバンド。

2001年、ミシェル・メルドラム(G)、モア・ホルムステン(Vo)、

Frida Ståhl(B)、フレドリック・ハーケ(Ds,メシュガーの

ドラマー、トマス・ハーケのいとこ)のラインアップでデビュー・

アルバム『Loaded Mental Cannon』をリリース。

アルバムには元シン・リジィのブライアン・ロバートソン、

タリスマンのマルセル・ヤコブ(1964年1月30日- 2009年7月21日)、

ヨーロッパのギタリストでメルドラムの夫、ジョン・ノーラムが

ゲストとして参加した。

2007年には、メルドラム、モア・ホルムステン、Frida Ståhlの

完全に女性だけで構成されたラインアップとなる。

ゲストミュージシャンとして長年の友人であるジーン・ホグラン

(ストラッピング・ヤング・ラッド、Dethklok。トラック1、2、

5、8のドラム)、モーターヘッドのレミー(トラック6のヴォーカル)、

リンダ・マクドナルド(ファントム・ブルー、The Iron Maidens、

トラック3、4、6、7、9、10、11のドラム)を迎え2ndアルバム

『Blowin’ Up the Machine』をリリースする。

2008年5月18日、ミシェル・メルドラムは突然倒れ、意識不明の

重体に陥った。

彼女すぐさまカリフォルニア州バーバンクのセント・ジョセフ

病院に運ばれたが、脳出血により嚢胞が大きくなり脳内に酸素や

血液が行きわたらなくなった結果、脳死状態となってしまう。

そして3日後の5月21日、脳の嚢胞の成長による合併症で、

彼女は夫、ジョン・ノーラムと息子ジェイク・トーマスを残し、

39歳でこの世を去った。

メルドラムの死後、2012年にジーン・ホグラン(Ds)、

Laura Christine(B,G)、Michele Madden(Vo)の

ラインアップで3rdアルバム『Lifer』がリリースされた。

 

Meldrum – Feeding the Hope

 

Meldrum – Purge

 

Meldrum – Get yours

 

Meldrum – Get Me Out of Here

 

 

 

 

 

Kittie

Kittie(キティー)は、カナダのへヴィメタルバンド。

カナダ、オンタリオ州ロンドンで、メルセデス・ランダー

(Ds,1984年1月25日-)とファロン・ボウマン(G, Vo,

1983年11月16日-)が体育の課外授業で出会い意気投合し

バンドを始める。メルセデスの姉であるモーガン・ランダー

(1982年1月6日-)がヴォーカル、リズムギターを担当。

ベースにはターニャ・キャンドラー(高校卒業を機にバンドを

脱退。新ベーシストとしてタレーナ・アットフィールドが加入)

というラインアップで1996年に結成された。

1999年、当時平均年齢17歳という若さで制作されたデビュー

アルバム『Spit』から2000年にリリースされた大ヒット・シングル

『Brackish』は、Official Top UK Singles Chartで最高46位、

『Charlotte』は60位となった。

このアルバムは全世界で125万枚を売り上げ、キティの名を

一躍有名にした。

リードシンガー、ギタリストのモーガン・ランダーによると、

すべての曲は彼女たちが14歳のころより書き込まれており、

当時はオルタナティヴ、グランジのバンド、コーン、ニルヴァーナ、

シルヴァーチェアーとアリス・イン・チェインズに傾倒していて、

これらのバンドに多大な影響を受けたと語っている。

アルバムはバンドの最大のセールスを記録、RIAAよりゴールド

認定された。

Generation Yの彼女たちのバンドは、90年代後半から2000年

初めに出現した”ニュー・メタル”シーンで頭角を現すが、

その後も常に新しい音楽を追及し、ツアーやアルバムリリースも

継続的に行い、新しいラインアップで進化し続けてきた。

 

 

American Active Rock radio hitsにはこれまでに『Brackish』、

『Charlotte』、『What I Always Wanted』、『Into The Darkness』、

『Funeral For Yesterday』のすべての楽曲がチャートインした

(50位までのRadio&Records Active Rock chartのランク内に

すべてチャート入りした)。そして『Funeral For Yesterday』

は、ビルボードのメインストリーム・ロック・トラック・チャート

で40位に達し、アメリカでのバンド最大のヒット・シングルとなった。

キティはアンダーグラウンドから出現したDIYのバンドとして、

瞬く間に国際的なロックスターとなった。

 

現在のメンバー

・Morgan Lander(モーガン・ランダー,Vo,G.1996-)

・Mercedes Lander(メルセデス・ランダー,Ds.1996-)

・Tara McLeod(タラ・マクロード,1984年4月27日-:G.2005-)

 

Kittie – Brackish

 

kittie – funeral for yesterday

 

Kittie – Cut Throat

 

 

 

 

 

Mystica Girls

Mystica Girls(ミスティ・ガールズ)は、メキシコのへヴィメタル

バンド。

2005年、メキシコシティでCinthya Blackcat(本名:Cinthya Monroy,

G)、Red Jane Bass(本名:Elizabeth Janne Cantu Aguillon,B)

を中心にMysticaが結成される。当初はIron Maiden、Metallica、

Machine Headなどのカヴァー・バンドとして活動していた。

若干のラインアップの変更後、バンドはオリジナルの曲を書き

はじめる。

2007年、Cinthya 、Red Jane、Alice Ñam(Ds)、Carmen(Vo)

のラインアップでMystica Girls(ミスティ・ガールズ)を結成。

2008年、Carmenが脱退。後任としてSofia Renie(Vo, Violin)が

加入する。同年EP『Diluvio』をリリース。

2011年、EP『Metal Rose』をリリース。

2012年、脱退したAlice Ñam、Sofia Renieの後任として

Yolanda Moreno(Ds)、Mon Laferte(Vo)が加入。

シングルとミュージックビデオ『The Conquest』をリリース。

同年、デビューアルバム『Metal Rose Featuring Mon Laferte』

をリリースする。Mon Laferteのヴォーカルによる『Metal Rose』、

My Dinner』、『Rabia』、『Mi sangre』、『Tortura』、

『Diluvio』を収録。

3代目ヴォーカルであるMon Laferteはソロシンガーでもあり、

ハードロック、ポップロック、オルタナティヴ・メタルといった

分野で活動。

2014年、創設メンバーのベーシスト、Red Jane Bassが脱退。

Kathy Whitewolf(キャシー・ホワイトウルフ)が新ベーシスト

として加入。2ndアルバム『Gates of Hell』をリリース。

2015年、Mon Laferteがバンドを脱退。Cinthya Blackcatがギター、

ヴォーカルを兼任した。

 

現在のメンバー

・Cinthya Blackcat(G,2005年 – 、Vo、2015年 – )

・Yolanda Moreno(Ds,2012-)

・Kathy Whitewolf(B,2014年-)

 

Mystica girls – My Dinner

 

Mystica Girls- Metal Rose

 

Mystica Girls – The Conquest

 

Mystica Girls – The Gates of Hell

 

 

 

 

 

Nervosa

Nervosa(ネルヴォサ)は、ブラジルのスラッシュメタルバンド。

2010年、ブラジルのサンパウロで、プリカ・アマラル(Vo,G)、

カレン・ラモス(G)、フェルナンダ・リラ(Vo、B)、

Fernanda Terra(Ds、2012年脱退、Jully Leeに交代)により

結成された。

2012年、デモ『Time of Death』をリリース。

2014年、ナパームレコードと契約。デビュー・アルバム

『Victim of Yourself』をリリース。

2013年、Jully Leeの脱退に伴い、新ドラマーのPitchu Ferrazが

加入した。

メンバーは3人体制で活動。

 

Nervosa – Masked Betrayer

 

Nervosa – Death

 

Nervosa – Into Moshpit

 

 

 

 

 

Astarte

Astarte(セレネ)はギリシャのブラックメタル/メロディック・

デスメタルバンド。

ギリシャのアテネ、アッティカで1995年9月にLlothの名の下

Maria Kolokouri(別名Tristessa、1977年4月6日-2014年8月10日)

を中心に結成された。

1997年、Psychoslaughter(ギリシャのバンド、Invocationの

ドラマー)とのセッションによるデモ『Dancing in the Dark

Lakes of Evil』をリリースする。

その後まもなく、バンド名をAstarte(セレネ)と変更。

バンド名は古代フェニキア人の愛と豊穣多産のギリシャの女神

Astarte(セレネ)に由来する。

オリジナルのラインアップはMaria Kolokouri(B,1997-2014,

Key,2000,Vo,2003-2014)、Nemesis(G)、Kinthia(G,Vo)。

1998年、Black Lotus Recordsによりデビューアルバム

『Doomed Dark Years』をリリース。以降バンドは5枚のアルバム、

1枚のシングルをリリースした。

Maria KolokouriはInsectedというブラックメタルバンドで一緒

に活動していたNick Maiisと結婚している。

 

 

 

2013年に、Astarteは2014年リリース予定の6thアルバム

『Blackdemonium』のレコーディングのためにスタジオ入り

する計画を発表していた。

だが2013年12月30日、Mariaの夫Nickは、彼女が白血病に

かかっており危篤状態であることをAstarteのFacebook上で

明らかにした。

2014年8月10日、NickはMariaが亡くなったことを発表した。

『The Ring (of Sorrow)』にゲストとして参加したディム・ボガー

のフロントマン、シャグラットや、Arch Enemyの元ヴォーカル、

アンジェラ・ゴソウからMariaの死を悼むコメントが寄せられた。

Mariaの死後、セレネの残されたメンバーは初期のバンド名

Llothに戻し活動を再開すると発表した。

2017年、Nick Maiis(Vo)、Panthimis(B)、Setesh(G)、

Vaelor(G)のラインアップでフルレンクスのアルバム『Athanati』を

リリースした。

彼女は、セレネのほぼ20年の活動期間を通して唯一のオリジナル・

メンバーであった。

 

Astarte – Black Mighty Gods

 

Astarte – Mutter Astarte

 

Astarte – Everlast

 

 

 

 

 

Crucified Barbara

Crucified Barbara(クルシファイド・バーバラ)はスウェーデンの

ハードロックバンド。1998年にストックホルムで結成された。

ベーシストIda Evileye(本名:Ida Stenbacka)とギタリスト、

Klara Force(本名:Klara Rönnqvist Fors)はヴォーカリストで

ドラマーのNicki Wicked(本名:Jannicke Lindström)とバンドを

結成。2001年にギタリスト、Mia Coldheart(本名:Mia Karlsson)

が加入する。

結成当初はパンクロックバンドだったが、ハードロックにその

スタイルを変えた。バンドはストックホルムのGMRミュージック

グループの目にとまり、2003年に契約を締結する。

2005年、デビュー・アルバム『In Distortion We Trust』を

リリース。アルバムから『Losing the Game』のシングルと

ミュージック・ビデオがリリースされ、Swedishcharts.comで

8位を獲得した。

2009年リリースの2ndアルバム『Til Death Do Us Party』の

制作にマット・リーベン(元イングヴェイ・マルムスティーン、

元セリオン)が参加。トラック5の『Jennyfer』ではヴォーカル

も担当した。

3rdアルバム『The Midnight Chase』は、日本(2012年5月23日)

とヨーロッパ(2012年5月28日)に向けてそれぞれリリースされ、

『Rock Me Like The Devil』と『Into The Fire』のミュージック・

ビデオがリリースされた。

2014年には4thアルバム『In The Red』がリリースされた。

2016年6月、バンドは「一緒にプレイすることの喜びを見いだせなく

なった」として解散を発表した。

 

Crucified Barbara – Losing the Game

 

Crucified Barbara – Heaven Or Hell

 

Crucified Barbara – Rock Me Like The Devil

 

Crucified Barbara – I Sell My Kids For Rock’N’Roll