80s Pop music / Dance pop

 

 

 

今回は、イギリスで80年代に活動したポップ・ミュージックの

サブジャンル、ダンスポップのバンド、アーティストを

紹介します。

 

 

 


 

 

Dead Or Alive

Dead or Alive(デッド・オア・アライヴ)は、イギリスのポップバンド。

1980年にリヴァプール出身のピート・バーンズを中心に結成された。

前身のバンド時代も含め、デビュー当初はゴシック・ロックとして

扱われていたが、ストック・エイトキン・ウォーターマンのプロデュース

を受けるようになり、Hi-NRGと、それを基盤として生まれたユーロビート

と称されるダンス・ミュージックに音楽性をシフトさせた1980年代中盤

からコンスタントに世界的なヒットを飛ばした。全世界での総売り上げは

2000万枚を超える。

 

 

1985年にストック・エイトキン・ウォーターマンのプロデュースの下、

Hi-NRGをポピュラーに進化させた2ndアルバムである『Youthquake』

をリリース。このアルバムが世界的ヒットを記録し、音楽評論家が

彼らの音楽を指してユーロビートと呼び始めたようである。しかし、

本当にユーロビートの最初の事例であるかどうかは不明である。

1980年代後半から1990年代前半にかけてのバブル景気真っ只中の

ディスコ・ブームに乗り、日本においても絶大な人気を誇っていた。

リーダーであるピート・バーンズの妖艶さに加え、容姿とは裏腹な

野太いボーカルが印象的である。

1980年代後半において最新鋭かつ最高峰の音楽制作機材であった、

YAMAHA DX7、PPG Wave、Fairlight CMIをサウンドの中核に据え、

打ち込み中心で音楽制作を行っていたが、打ち込みの工夫により

ロックのような力強さを持たせていた。

しかし、1990年代後半に入るとピートが過剰な整形手術が原因で

体調を悪化させ、治療のために自作の著作権まで売り払ったこと

などが元で活動は停滞。2010年の『Fragile』が事実上ラストアルバム

となる。

翌2011年に公式のFacebookページ上で実施されたファンとの質疑応答

で、ピートが「デッド・オア・アライヴの再結成はない」ことを明言し、

既にバンドとしては解散状態であることが明かされた

そして、ピートが2016年に死去したことで、再結成の可能性は無くなった。

 

 

Dead Or Alive – You Spin Me Round

 

Dead Or Alive – Brand New Lover

 

Dead Or Alive – Come Home (With Me Baby)

 

 

 

 

 

The Human League

The Human League(ヒューマン・リーグ)はイギリスのバンド。

1980年代、イギリスで巻き起こったニュー・ウェイヴのサブジャンル、

シンセポップを代表するグループとして人気を博した。

1977年、シェフィールドでPhilip Oakey(Vo,Key)を中心に結成。

ニュー・ウェイヴのブームの中、シンセサイザーとシーケンサーに

よるテクノポップのユニットとして活動する。幾度かのバンド名の

変遷を経てヒューマン・リーグの名で1979年にデビュー。

翌年にグループが分裂し、一方はヘヴン17を結成した。

『Don’t You Want Me』が1981年に全英チャート1位(Music Week)、

翌年に全米チャート1位(Billboard Hot 100)を記録した。続いて

リリースされた『Mirror Man』、『Keep Feeling Fascination』

は共に全英チャート2位(Music Week)を記録している。

ミュージックビデオによるプロモーション戦略により、第2次

ブリティッシュ・インヴェイジョンの先駆け的存在となる。

1986年にはジャム&ルイスをプロデューサーに迎えた『Human』が

再び全米チャート1位(ビルボード Hot100)を記録した。

1995年にリリースされた『Tell Me When』は全英チャート6位

(Music Week)のヒットを記録している。

 

現在のメンバー

・Philip Oakey(Vo,Key 1977年-)

・Joanne Catherall(Vo,1980-)

・Susan Ann Sulley(Vo,1980-)

 

 

The Human League – Don’t You Want Me

 

The Human League – (Keep Feeling) Fascination

 

The Human League – Human

 

 

 

 

 

Rick Astley

Rick Astley(リック・アストリー、1966年2月6日-)はイギリス

のシンガー、ソングライター、ラジオ・パーソナリティー。

イギリスのランカシャー州生まれ。5歳のときに両親が離婚し、

アストリーは父親のもとで育った。彼は地元の教会の聖歌隊に

入り、10歳のとき音楽のキャリアがスタートする。

16歳の時、父親のガーデニングの仕事で運転手として働き、

夜にはレクリエーション施設などでビートルズなどをカヴァー

していたバンドでドラムをプレイした。

1985年、アストリーはギタリスト、デヴィッド・モリスとFBIと

いうソウルバンドを結成。

彼らは地元では有名で、自分たちの音楽を作ってパブやクラブで

ライヴをしたり、幾多のローカル・タレントコンテストに出場

してシャドウズの曲をプレイし優勝する。

そしてリードシンガーがバンドを脱退したとき、アストリーは

リードヴォーカルを担当することを申し出る。

華奢なルックスに似合わない、ソウルフルな彼の声は当時

「リッチー&ビューティーな歌声」と言われていた。

バンドは音楽プロデューサーのピート・ウォーターマンに

見出される。Stock Aitken Waterman(SAW)で知られる

ピート・ウォーターマンはギタリスト、ソングライターとして

モリスを含むバンドメンバーのほとんどを雇い、彼らをロンドン

に呼んだ。そしてMike Stock、Matt Aitkenのプロダクション

チームの指導の下、レコーディング・スタジオでアシスタント・

エンジニア(レコーディング・スタジオで雑用などの業務をする

人。海外では俗語でTea-boyなどと呼ばれたりする)として

雇われ、レコーディング・プロセスについて学ばせた。

SAWはアストリーをこの仕事に雇った理由は、彼の内気を克服

するためであった。

 

 

PWL(Pete Waterman Limited)レコードとRCAレコード

よりリリースされた初のシングルはリサ・カーターとの

コラボレーションによる『When You Gonna』で、チャート

インすることはなかった。

ソロとしての初のシングルのオファーがあったのは1987年1月

で、その年の8月に『Never Gonna Give You Up』をリリース。

アストリーの特徴的な太い声がダンス・ポップと結合され成功を

おさめ、イギリスのチャートの5週連続で上位にとどまる。

そしてその年の最も高い売り上げを記録したシングルとなった。

また、『Never Gonna Give You Up』はアメリカ、オーストラリア、

西ドイツなど24カ国でチャートの上位を獲得するなど、世界中で

ヒットした。

1988年のBPIアワード(今はブリット・アワードと呼ばれている)

でベスト・ブリティッシュ・シングルを獲得した。

10月には2枚目のシングル『When You You Need Somebody』を

リリース。西ドイツとスウェーデンを含む7カ国で1位を獲得した。

1987年、デビューアルバム『Whenever You Need Somebody』

をリリース。アストリーが書いた4曲を収録したこのアルバムは、

イギリスとオーストラリアで1位に輝き、アメリカでは10位と

なった。イギリス(BRI)とカナダ(Music Canada)では

クワドラプルプラチナ、アメリカ(RIAA)でダブルプラチナに

認定された。

シングル『It Would Take a Strong Strong Man』がリリース

され、カナダのシングルチャートで 1位、ビルボードホット100で

10位に達した。

1988年、アルバム『Hold Me in Your Arms』をリリース。

アストリーは、1990年までイギリスの音楽プロデューサー・チーム

Stock Aitken Watermanと提携したが、彼は「どこにでもいる、

普通の男の子」のイメージから脱却し、ダンス・ポップから彼が

情熱を向けているソウル・ミュージックに音楽の転換を図るため

Stock Aitken Watermanと決別する。

このジャンルの変動は、彼のイメージも変えさせた。そして成熟

した情熱的なミュージシャンとして現れた。

1991年、アルバム『Free』をリリース。エルトン・ジョンとの

コラボレーション2曲を含むアルバムは、スペインのPromusicaeに

よりゴールド、イギリスのBPIよりゴールド認定された。

シングル『Cry for Help』はイギリスとアメリカで7位に達した。

アルバムはイギリスで9位、アメリカで31位を獲得。

『Cry for Help』はイギリスまたはアメリカの最後のトップ10

シングルとなり、『Free』はアストリーの成功をおさめた最後の

アルバムとなった。

1993年、アルバム『Body & Soul』をリリース後、アストリーは

家族との時間を持つため、音楽業界から引退する。

その時点で、レコード・セールスは世界で約4,000万枚を突破

していた。

 

 

アストリーが2007年にカムバックした時、4chan(英語圏を対象と

した画像掲示板)を介して別の動画にアクセスさせる、いわゆる

”つり行為”が多発しており、そのアクセス先にリック・アストリーの

『Never Gonna Give You Up』のミュージック・ビデオへのリンクが

張られているという「Rickrolling」(リックロール)と呼ばれる

インターネット現象が起きた。

アストリーの『Never Gonna Give You Up』のミュージックビデオに

感銘を受けた者も多数出現し、リックロールの流行によりアストリー

本人への注目も集まることとなる。

2008年11月に行なわれたMTVヨーロッパ・ミュージック・アワード

では大量のオンライン投票により「Best Act Ever(過去最高の歌手)賞」

を受賞してしまう事態となるが、この異常な状況に対してアストリー本人

は「I just felt it was a bit of a daft award.(ちょっとばかりふざけた

賞だなと思うだけ)」とし、「I think MTV were thoroughly rickrolled

(MTVは完全にリックロールされたんだと思う)」と述べたが、その

一方で、自分に投票してくれた人々に対して感謝の言葉も述べている。

 

 

Rick Astley – Never Gonna Give You Up

 

Rick Astley – Whenever You Need Somebody

 

Rick Astley – Together Forever

 

 

 

 

 

Bros

Bros(ブロス)はイギリスのバンド。

1986年、サリー州キャンベリーで1968年生まれの双子のルーク・ゴス

(Ds)とマット・ゴス(Vo)に学友のクレイグ・ローガン(B)の

3人により結成された。バンド名は「brothers」の略。

マットの天才的な歌唱と新感覚のサウンドが若者の心を捉えた。

1987年(ヨーロッパ発売。アメリカと日本は翌1988年リリース。)に

出したセカンドシングル『When Will I Be Famous?』が全英シングル

チャート2位となり、アルバム『Push』も大人気になり、再発売した

シングル『I Owe You Nothing』が1位となる。

1989年にクレイグが脱退。ゴス兄弟のみのグループとなる。

2ndアルバム『The Time』 もヒット。日本でもオリコン洋楽アルバム

チャートで1989年11月6日付の1位を獲得するなどビートルズや

ベイ・シティ・ローラーズ以来のアイドルと期待され人気があった。

東京の両国国技館でのコンサートも成功。スクーターヤマハ・ジョグ

のコマーシャルでもおなじみとなった。

1991年3rdアルバム『Changing Faces』をリリース。

アメリカでは同じCBSに所属するマイケル・ジャクソンに似ていると

され、本格的に売り出してもらえなかった。音楽的には非常に優れていた

が1992年に解散。

2017年8月にロンドンとマンチェスターで、クレイグを除く2人で30周年

記念公演を行った。

 

 

Bros – When will i be famous
     

 

Bros – I Owe You Nothing

 

Bros – Too Much

 

 

 

 

 

Bananarama

Bananarama(バナナラマ)は、イギリスのポップグループ。

1981年、カレン・ウッドワード、サラ・ダリン、シヴォーン・ファーイ

により結成された

デビューのきっかけは、セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズ

とポール・クックが使っていたリハーサル・スタジオの上の部屋に彼女達

が住んでいたことによる。彼らの助けにより『Aie a Mwana』のデモテープ

が作られ、後にデビューシングルとなった。

その後ストック・エイトキン・ウォーターマンとのコラボレーションにより

『Venus』などのヒットを飛ばした。

1987年のシングル・ヒット『I Heard A Rumour』はMichael Fortunatiの

1986年のヒット曲『Give Me Up』(Michel Jean Machtergaele、Mario Nigro、

Pierre Nigro作詞・作曲)とコード、一般的な構造、メロディ(主にコーラ

につながるブリッジの部分)が同じ。

1988年にシヴォーンが結婚で脱退。その穴を埋める形でジャッキー・

オサリバンが加入したが別バンドSlippery Feetを結成するため脱退。

以降はカレンとサラのデュオとしての活動が続いている。

 

 

Bananarama – Love In The First Degree

 

Bananarama – Venus

 

Bananarama – I Heard A Rumour

 

 

 

 

 

Frankie Goes to Hollywood

Frankie Goes to Hollywood(フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド)

は、イギリスのバンド。

1980年、リヴァプールでニュー・ウェイヴ・バンドとして結成された。

グループ名は、フランク・シナトラが音楽界から映画界に進出することを

伝える新聞記事の見出しから派生した「都へ出てきて堕落する」という

ニュアンスの慣用句的隠語に由来する。

プロデューサーのトレヴァー・ホーンに見出され、1983年にZTTレーベル

からデビューした。メンバーはホリー・ジョンソン(Vo)、ポール・

ラザフォード(Vo, Key)、ブライアン・ナッシュ(G)、ピーター・ギル

(Ds)、マーク・オトゥール(B)。

デビュー曲の『Relax』はSM行為を描写した歌詞内容や排尿音などが

問題となり、BBCのほか多くの国の放送局(NHKも含む)で放送禁止と

なったが大ヒットを記録する。

『Relax』は1980年代を代表するヒット曲としてディスコや80’s系の

コンピレーションCDに収録されていることが多いほか、日本のCMでも

使用されたことがある。

次のシングル『Two Tribes』は当時の米ソ冷戦と核戦争の危機をテーマ

にした曲で、全英で9週連続1位を記録した。またロナルド・レーガン

大統領とコンスタンティン・チェルネンコ書記長のそっくりさんが

土俵上で取っ組み合いをするミュージック・ビデオが話題を呼んだ。

 

 

Frankie Goes To Hollywood – Welcome To The Pleasuredome
     

 

Frankie Goes To Hollywood – Relax

 

Frankie Goes To Hollywood – The Power Of Love

 

 

 

 

 

Modern Romance

Modern Romance(モダン・ロマンス)は、イギリスのポップ・バンド。

1977年、Leyton Buzzardsというパンク・パロディーバンドに在籍して

いたGeoffrey Deane(Vo)とDavid Jaymes(B)を中心に結成された。

Leyton Buzzards時代にインディーズ・レーベルSmall Wonder Records

からリリースしたシングル『19 and Mad』が不発に終わり、バンドは

イギリスのタブロイド紙「The Sun」が主催したコンテストに出場し優勝。

賞品の一部としてChrysalis Recordsとの契約を獲得する。

1979年、Chrysalis Recordsより『Saturday Night Beneath The Plastic

Palm Trees』をリリース。「トップ・オブ・ザ・ポップス」(イギリスの

BBCで放送されていた生放送音楽番組)に出演したにもかかわらず53位

どまりとなり、これもヒットしなかった。

Chrysalis Recordsとの関係も気まずくなり、やがてバンドは解散する。

DeanとJaymesはロンドンのクラブで人気を集めていたエレクトロニック・

ダンス・ミュージックを取り入れる。そして新しいマネージャーを見つけ、

ビジネス・アート・プロダクションという会社を立ち上げてWEAレコード

と契約する。

1980年、Geoffrey Deane、David Jaymes、Robbie Jaymes(Key)、

Paul Gendler(G)、Tony Gainsborough(Ds)、John Du Prez(Trumpet)、

Michael John Mullins(Backing Vo、G)のラインアップでModern Romance

(モダン・ロマンス)としてリリースした初のシングル『Modern Romance』、

2ndシングル『Tonight』が失敗に終わり、バンドはエレクトロニック・

サウンドを抑えベース、パーカッション、ブラスを強調したラテンアメリカ

のダンスミューシック・スタイルに変更する。

ドラマーがTony GainsboroughからAndy Kyriacouに変更。新しいラインアップ

でデビューアルバム『Adventures in Clubland』をリリース。シングル

Everybody Salsa』はUKチャートのトップ20(12位)、『Ay Ay Ay Ay Moosey

はトップ10(10位)にランクインした。

アルバム『Adventures in Clubland』はヒットしなかったが、アメリカで

『Everybody Salsa』にラップをのせたバージョン『Can You Move』が

billboard Dance Club Songsで2位となった

(2008年、Wounded Bird RecordsによりCD『Adventures in Clubland』

が再リリースされた)。

このアルバムをリリース後、Geoffrey Deaneがソロ活動に専念するため

バンドを脱退。これまでバッキング・ボーカルをつとめていた

Michael J. Mullinsがリード・ヴォーカルを引き継ぐ。

1982年、シングル『Best Lives of Our Lives』をリリース。UKチャート

4位を獲得。バンド最高のヒットとなる。

1983年、2ndアルバム『Trick of the Light』をリリース。

David JaymesとMichael J. Mullinsによって書かれたバンド初のバラード

曲『Walking in the Rain』、『Leave Me On My Own』を収録。

アルバムはイギリスでは45位どまりだったが、バンドにとっては最も

成功したアルバムとなり、リリースから6週間で10万枚以上のセールス

を記録しゴールド・ディスクの認定を受けた。このアルバムをリリース

後、John Du Prezが脱退。

同年リリースの3枚のシングル『High Life』(8位)、

Don’t Stop That Crazy Rhythm』(14位)、『Walking in the Rain』

(7位)もUKチャートのトップ10にランクインした。

『Best Lives of Our Lives』と『Walking in the Rain』はシルバーディスク

を獲得した。

バンドはレーベルWEAとの交渉が決裂、1984年にRCAと契約する。

これにより、バンドは明るい色のスーツや短めのヘアスタイルから

ロングヘア、レザー・ジャケットへイメージチェンジし、シングルと

して『Just My Imagination』(The Temptationsの1971年のヒット曲

Just My Imagination (Running Away with Me)』のカヴァー)を

リリースしたがヒットしなかった。

1985年、バンドは最後のアルバムとなる『Burn It!』をリリースするが

アルバムは商業的に失敗する。シングルとしてアルバムに未収録の曲

Tarzan Boy』(イタリアのイタロ・ディスコ・ダンス音楽グループ

Baltimoraのカヴァー)がリリースされた。

1985年、バンドは最もヒットした曲を集めてリミックスしたシングル

『Best Mix of Our Lives』をリリースして活動を停止した。

 

 

バンドは初期の頃から解散までの間、さまざまな音楽要素を取り入れて

きたため路線変更も著しく、アルバムごとに音楽スタイルも変化して

いる。

80年代に6枚のアルバムをリリース。8つのUKトップ40シングルを持つ。

 

アルバム

・『Adventures in Clubland 』(1981年、ベネズエラ1位、ゴールド認定)

・『Modern Romance』(1982年、ドイツ盤)

・『Trick of the Light 』 (1983年、 UKチャート53位)

・『Party Tonight』(1983年、UKチャート45位)

・『Juanita』(1983年、日本盤)

・『Burn It!』(1985年)

 

シングル

・『Everybody Salsa』(1981年、UKチャート12位)

・『Ay Ay Ay Ay Moosey』(1981年、10位)

・『Queen of the Rapping Scene (Nothing Ever Goes the Way You Plan)

(1981年、37位)

・『Cherry Pink and Apple Blossom White』(1982年、15位)

・『Best Years of Our Lives』(1982年、4位)

・『High Life』(1983年、8位)

・『Don’t Stop That Crazy Rhythm』(1983年、14位)

・『Walking in the Rain』(1983年、7位)

 

 

バンドメンバーのその後の活動

Geoffrey Deaneはモダン・ロマンスを脱退した後1983年にGeoff Deane &

The Valley Girls名義でシングル『Navy Lark』をリリースし、さらに

その後ソロ名義で『What About Romance』をリリース。ディヴァインに

『You Think You’re A Man』を提供した。Deaneはその後脚本家、テレビ

プロデューサーへと転身し『Birds of a Feather』、『 Babes in the Wood』、

『Friday Night with Jonathan Ross』、『Chef!』、『Last Man Standing』、

『A Many-Splintered Thing』といったテレビ番組の脚本を書いた。

翌2006年にはエルトン・ジョンの映画会社Rocket Picturesのために映画

『It’s a Boy Girl Thing』の脚本を提供した。

 

 

David Jaymesはバンドをやめた後、音楽産業の経営・コンサルティング側に

回った。ジャクリーン・ビセットとジェームズ・ノートンが主演した

2004年の映画『Fascination』では音楽監修を務めた。JaymesはJohn Du Prez

との共同作業も行なっており、コマーシャルや映画作品のための作曲を

一緒に手がけている。

これまでにマネジメントを担当したアーティストには、シネイド・オコナー、

Justin Adams、Miles Hunt(The Wonder Stuff)、Republica、Drum Club

などがいる。

2010年、ジェイムズは『I Put a Spell on You』をカヴァーしたハイチ地震の

チャリティ・シングルの制作に関わり、Shane MacGowan、ニック・ケイヴ、

クリッシー・ハインド、ジョニー・デップと一緒に仕事をした。

 

 

Michael J. Mullinsは、1985年にバンドが解散した後、音楽業界で活動を

続けた。1985年、イギリスのテレビのトークショーWogan(1982年から

1992年までBBC1で放送された)に出演したジョニ・ミッチェルと

Good Friends』(オリジナル・ヴァージョンはマイケル・マクドナルド

とのデュエット)をデュエットした。

現在はクリフ・リチャードのバックコーラスをつとめている。

1988年12月10日、「トップ・オブ・ザ・ポップス」のライヴでクリフ・

リチャードとともに『Mistletoe and Wine』(1988年、UKクリスマス・

チャート1位)を歌った。

1995年5月8日には、オランダで開催されたWorld Liberty Concertに

アラン・パーソンズ・バンド(アラン・パーソンズ・プロジェクト)の

メンバーとして出演し『Old And Wise』、『Sirius / Eye in the Sky』を

歌った。

2000年代に入ると、Peter HowarthとKeith Murrellとともに「MHM」と

いうプロジェクトを立ち上げた。

彼はHowarthとの共作『Last Goodbye』(2012年)をレコーディングし、

2人ともヴォーカルを担当した。

 

 

2001年、『Ay Ay Ay Ay Moosey』以降参加していたAndy Kyriacou

(Ds)が、新たなメンバーでモダン・ロマンスを再結成した。

再結成メンバーの中に、オリジナル・メンバーは1人もいなかった。

2002年、新編成のモダン・ロマンスは、かつてのモダン・ロマンスの

ヒット曲の再録音が大部分を占めるアルバム『Back on Track』を

リリースした。このアルバムは、後に、若干の曲の入れ替えなどを

行なった上で『Moves 2 Fast』と改題して再発された。

 

 

Modern Romance – Best Years Of Our Lives
     

 

Modern Romance – Walking in the Rain

 

Modern Romance – Burn It!
     

 

 

 

 

 

Pet Shop Boys

Pet Shop Boys(ペット・ショップ・ボーイズ)は、イギリスの

シンセポップ・デュオ。

1981年、ロンドンで結成された。

メンバーはNeil Tennant(ニール・テナント、Vo、1954年7月10日 – )、

Chris Lowe(クリス・ロウ、Key、1959年10月4日 – )の2人。

デビュー当初のユニット名はWest End。その後、共通の友人が

ペットショップで働いていたことからPet Shop Boysと改名した。

1984年にエピックから『West End Girls』でデビューしたが、この時

は全く売れなかった。

1985年にパーロフォンに移籍後、2曲目としてリリースした

『West End Girls』のポップアレンジバージョンが大ヒット、

その後、米国、カナダ、フィンランド、香港、レバノン、イスラエル、

ニュージーランド、ノルウェーで第1位になり、世界中で約150万枚

のセールスを記録セールスを記録。『West End Girls』は今日まで、

最も知られているペットショップボーイズの曲となっている。

『West End Girls』で一躍有名になった彼らは1986年3月24日、

先行シングルとして『Love Comes Quickly』をリリース。

『Love Comes Quickly』はUK Singles Chartで 19 位に達した。

同年6月、デビューアルバム『Please』をリリース。全英3位となる。

シングルとして『Opportunities (Let’s Make Lots of Money)』、

Love Comes Quickly』、『Suburbia』がリリースされた。

バンドはヨーロッパツアーを発表した。しかし諸事情によりツアー

はキャンセルされた。

1987年、2ndアルバム『Actually』をリリース。

Heart』、『Rent』、ニール自身の体験が基になっている宗教的な

曲『It’s a Sin』や、ニールが敬愛するダスティ・スプリングフィールド

とデュエットした『What have I done to deserve this?』

(邦題:「とどかぬ思い」)4曲がシングルとしてリリースされた。

1988年、3rdアルバム『Introspective』をリリース。ブレンダ・リー

のカヴァー『Always on my mind』が全英1位となった。

『Domino Dancing』、『Left To My Own Devices』、『It’s Alright』、

のシングルがリリースされ、いずれもヒットした。

『Introspective』はバンドの2番目に売れたアルバムで、全世界で

450万枚以上のセールスを記録した(5thアルバム『Very』 は500万枚

以上のセールスを記録)。

1989年には初のワールド・ツアーを行う。

1990年、4thアルバム『Behaviour』をリリース。『So Hard』、

Being Boring』、『How Can You Expect to Be Taken Seriously?/

Where the Streets Have No Name (I Can’t Take My Eyes off You)』、

Jealousy』のシングルがリリースされた。

1991年のパフォーマンスツアーの後、バンドは同年の11月に

コンピレーション・アルバム『Discography』をリリースして

休みを取ることにした。このコンピレーション・アルバムでは

新しいオリジナルの曲がなかったため、多くのファンは彼らが

分裂していると思った。

しかし、1993年バンドはファンの前に戻って来て、バンドの

イメージを一新したアルバム『Very』をリリースした。

このため、批評家からは『Behavior』が多くの人がダウナーな

サウンドのアルバムと考えるように『Very』はアッパーなサウンド

のアルバムとみなされている。

アルバムからは『Can You Forgive Her?』、『Go West

ヴィレッジ・ピープルのカヴァー)、『Liberation』、

I Wouldn’t Normally Do This Kind Of Thing』、

Yesterday, When I Was Mad』のシングルがリリースされ、

いずれも大ヒットした。

 

 

2009年、ロンドンで音楽への偉大な功績が認められ、ブリット・

アワードを受賞。

2013年、バンドは長年在籍していたパーロフォンからコバルト・

レーベル・サービスに移籍した。

2016年、Pet Shop Boysは、ビルボード誌の1976年のチャート

開始以来、40年間でナンバーワンのダンスポップデュオ / グループ

として認められた。

2017年、NMEのGodlike Genius Awardを受賞した。

 

 

Pet Shop Boysは、世界中で1億枚以上のレコードを販売しており、

ギネスブックでイギリスの音楽史上最も成功したデュオとして

挙げられている。

また、ブリット・アワードの受賞歴3回と、これまで数々の賞に

輝いている。

42枚のトップ30(22枚のUKチャートトップ10シングル

『West End Girls』(ビルボードホット100で1位)、『It’s a Sin』、

『Always on My Mind』、『Heart』を含む)シングルヒットを

持つ。絶賛を受けたカヴァー曲のヒットとして『Always On My Mind』、

『Where the Streets Have No Name (I Can’t Take My Eyes off You)』、

『Go West』などがある。

 

 

Pet Shop Boys – What Have I Done To Deserve This?

 

Pet Shop Boys – It’s A Sin

 

Pet Shop Boys – Domino Dancing