懐かしの90年代~British Boy Band – Take That

 

 

 

今回は、90年代にデビューしボーイ・バンドの先駆け的

存在として世界的に成功をおさめ、今なお活動を続ける

イギリスのポップ・グループTake That(テイク・ザット)

をご紹介します。

 

 

 

 

 

 

Take That(テイク・ザット)は、イギリスのポップ・グループ。

1990年、マンチェスターで結成される。

ボーイ・バンドの先駆者として認知されており、後の

バックストリート・ボーイズ、スパイス・ガールズ、5ive、

ウエストライフなどのポップ・グループ、そしてボーイ・バンドの

流行を作った。

 

 

Take That

 

 

1990年から1996年の間に2500万枚のセールスを記録、1991年に

初めてシングルをリリースしてから解散する1996年までの間

イギリスのテレビ局、BBCでは「UK音楽史上、ビートルズ以来、

最も成功したバンドで老若男女問わずに愛されている」とたびたび

報じられた。

ダンス・ポップ調やバラードの曲に人気があり、1990年代前半の

チャートを占めていた。一人がメインで歌い(大半の楽曲のメイン

ヴォーカルをゲイリー・バーロウがつとめた)、他のメンバーが

コーラスを担当するという、メンバーの全員が歌うスタイルを

とっている。

初期の楽曲のほとんどはバーロウによって作られたが、他のメンバー

にも作詞作曲の能力があり、再結成後には全員で曲作りを担当して

いる。

ロビー・ウィリアムズの脱退、マネージャーとの関係悪化により

1996年に解散。

メンバーはそれぞれソロ活動などをしていたが、2005年にロビーを

除いた4人で再結成する。同年はテイク・ザット特集のドキュメンタリー

番組が放送されベスト盤を再度リリース。

2006年の再結成ツアーは大成功を収め、2006年末には再結成後初の

アルバムもリリースした。

 

 

イギリスのチェシャーで生まれたゲイリー・バーロウは15歳のときに

イギリスのテレビ局、BBCで主催で開催されたA Song For Christmasと

いうコンテストに出場。Let’s Pray For Christmasをパフォーマンス

した。

そのコンテストで準決勝まで勝ち進むとLondon’s West Health Studios

にレコーディングをしないかと招待される。これがきっかけで、

Northern club circuitというところで彼自身の歌やカヴァー・ソングを

披露するようになった。

18歳のとき、バーロウはマンチェスターでカーティス・ラッシュと

いう名前でレコーディング活動をはじめ、著名な音楽事務所に自身の

デモテープにプロフィールをつけて送り、売り込みを開始する。

プロフィールには有名なプロの写真家であるDoc Brahamが撮った

上半身の写真を添付した。

最終的に、バーロウはDoc Brahamの友人でイギリスで有名な

マネージャーのナイジェル・マーティン・スミスを紹介してもらう。

マーティン・スミスはバーロウの『A Million Love Songs』などの

初期のデモを聴き、そのヴォーカルやソングライティングのスキルの

高さに感銘を受けた。そして、彼をリード・ヴォーカルにして

ボーイ・バンドをつくることを決定する。

1990年、マーティン・スミスはバーロウと2人でオーディションを

開催。ここでランカシャーで生まれたマーク・オーエンとロビー・

ウィリアムズが出会い2人はこのオーディションに合格する。そして

RDS Royalというクラブでブレイク・ダンサー、そしてDJをしていた

ジェイソン・オレンジと画家・室内装飾業者をしながらストリート

ダンサーとしてテレビ番組にも出演していたハワード・ドナルドの

2人はStreetbeatというグループを結成する。マネージャーであった

マーティン・スミスはバックダンサーのオーディションも行い、

この2人がメンバーとなり5人として活動を開始する。

 

 

そろった5人は自らTake That(テイク・ザット)と呼ぶようになる。

この名前はある日読んだ新聞にマドンナについて記事が書かれていて、

そこに書いてあった単語”Take That”からとった。また、バーロウは

「これはいくつもの案の中でも悪いやつ。でも最初のアイディアより

はまし。だって最初のアイディアはKick Itだったんだから」と言って

いる。

最初の2年はイギリスのゲイ・クラブや高校で主にプロモーションを

兼ねたライヴ活動をしていた。ゲイ・クラブでの活動やその

パフォーマンス・ファッションに注目が集まり、「マネージャーの

マーティン・スミス氏はゲイだ」というパロディ・ソングなども

歌われた。

1991年7月、Dance UKよりリリースされたファースト・シングル

Do What U Like』(UKチャート82位)のミュージックビデオでは

メンバーが裸になり、ゼリーを体に塗りつけるという過激な内容で

あった。

こうした活動が報われ、テイク・ザットはRCAレコードに見出され

1991年の下旬、契約を締結する。

 

 

Take That – Once You’ve Tasted Love

 

 

Take That – It Only Takes A Minute

 

 

ゲイ・クラブでのライブの経歴などから「ゲイ・バンド」という

先行したイメージがもたれ、また重要である10代の女性層に人気が

なく、1991年11月、RCAレコードよりリリースされた『Promises

(Graham Stackとの共作)、1992年2月にリリースされた

『Once You’ve Tasted Love』(ゲイリー・バーロウ作詞・作曲)は

UKチャートにやっとランクインする程度であった。

同年5月下旬、RCAレコードより4thシングルとしてタヴァレス

1975年のヒット曲『It Only Takes a Minute』をリリース。

ダンス調のこの曲はたちまちヒットし、UKチャートの7位に達した。

 

 

Take That – I Found Heaven

 

 

Take That – Could It Be Magic

 

 

同年8月、RCAレコードよりデビューアルバム『Take That & Party』を

リリース。『It Only Takes a Minute』の成功に続き、プロデューサーの

Ian LevineとBilly Griffin(スモーキー・ロビンソン)によって作詞・作曲

された『I Found Heaven』、ゲイリー・バーロウ作詞・作曲のバラード

ソング『A Million Love Songs』は両方ともトップ20にランクインした。

そしてバリー・マニロウの曲で1976年にドナ・サマーがカヴァーし

ヒットさせた『Could It Be Magic』をリリースすると大ヒットとなり、

この4曲のヒットでテイク・ザットは公の場でパフォーマンスを行うよう

になる。

 

 

Take That – Relight My Fire(ft. Lulu)

 

 

Take That – Everything Changes

 

 

Take That – Pray

 

 

1993年、アルバム『Everything Changes』をリリース。このアルバムは

ダン・ハートマンの1979年のヒット曲をカバーした『Relight My Fire』

以外はほぼバーロウ単独で書いた楽曲で構成され(『Everything Changes』

はバーロウとMichael Wardの共作)、ドナルドも『If This Is Love』で

作曲に関わった。

このアルバムからの1stシングル『Why Can’t I Wake Up With You』が

UKチャート2位をマークすると、その次のシングル『Pray』が初めて

UKチャート・ナンバー1を獲得する。

 

 

Take That – Love Ain’t Here Anymore

 

 

Take That – Back For Good

 

 

それに続き『Relight My Fire』、『Babe』(作詞はメンバーのゲイリー・

バーロウとマーク・オーウェンが担当しメインヴォーカルはマーク・

オーエン。1993年12月にUKチャート1位を獲得したが、UKクリスマス・

チャートでは2位となった。アイルランドのクリスマス・チャートでは

1位を獲得した)、そして『Everything Changes』が1位をマークする。

5枚目のシングル『Love Ain’t Here Anymore』はUKチャート3位を記録した。

またダイアナ元妃との会談、エルトン・ジョンとのテレビ番組など一時代を

築いた。

1995年、アルバム『Nobody Else』をリリースし、このアルバムからの

シングル『Sure』はUKチャート1位を獲得。次のシングル『Back For Good』

はゲイリー・バーロウが作詞作曲、メインヴォーカルを担当した。

この曲のみがアメリカでトップ10(7位)にランクインした。

 

 

Take That – Never Forget

 

 

Take That – How Deep Is Your Love

 

 

1995年7月にロビー・ウィリアムズがマネージャー、メンバーとの意見

の食い違いからテイク・ザットを脱退する。テイク・ザットはそれでも

アルバム『Nobody Else』のプロモーション活動を続け、特に人気の

あった『Never Forget』をパフォーマンスし続けた。

1996年2月13日、テイク・ザットが解散したと公式発表される。これに

続いて1996年リリースのコンピレーション・アルバム『Greatest Hits』

では、新しい曲やビージーズのカヴァー『How Deep Is Your Love』が

収録されている。

シングルとしてリリースされた『How Deep Is Your Love』は、10年後の

2006年の復帰までバンドの最後のナンバーワン・ヒットとなった。

 

 

解散後、ゲイリー・バーロウはソロ活動を始め、1997年にアルバム

『Open Road』をリリース。タイトルトラック『Open Road』を

含む5曲がシングルとしてリリースされた。また『Forever Love』

はUKシングルチャート1位に達し、アルバムはプラチナ認定を受けた。

この後、2ndアルバム『Twelve Months, Eleven Days』をリリース

するが、このアルバムは前作『Open Road』ほどの成功を収める

ことができなかった。

アルバムから『Stronger』、『For All That You Want 』の2つの

シングルがリリースされたが、3つめのシングルとして考えていた

『Lie to Me』はバーロウとレーベルであるRCAとの議論の結果

リリースは取り消された。バーロウは後に『Lie to Me』をアルバム

のベスト・ソングと呼んでいる。

2000年代に入り、3rdアルバム『Sing』(2012年)、4thアルバム

『Since I Saw You Last』(2013年)をそれぞれリリースしている。

 

 

Gary Barlow – Forever Love

 

 

Gary Barlow – Lie To Me

 

 

Gary Barlow – Let Me Go

 

 

ロビー・ウィリアムズはテイク・ザットを脱退後、自身の薬物中毒の

治療をするためリハビリ施設に入所するなど変動の中ソロ活動を開始。

自分のサウンドを模索していた。

1997年3月、ガイ・チェンバースを紹介されてロンドンのメゾン・

ルージュのスタジオでアルバムのレコーディングを開始する。

4月にファースト・シングル『Old Before I Die』(UKチャート2位)、

7月に2ndシングル『Lazy Days』がリリースされ、ミュージックビデオは

リハビリから復帰後に撮影された。『Lazy Days』はUKチャートで

8位に達したが、プロモーションをしなかったため他のヨーロッパの

チャートの上位に到達できずにいた。3rdシングル『South of the Border』に

至ってはUKチャート14位となり、2006年リリースの『Sin Sin Sin』が

UKチャート22位止まりとなるまで、ウィリアムズにとって本国でトップ10

にも達しなかった唯一の曲となった。

同年9月、アルバム『Life Thru A Lens』をリリース。12月に4枚目のシングル

としてアルバムに収録の曲『Angels』をリリースする。

ウィリアムズはこの曲は叔母と叔父のことを取り上げたもので、チェンバース

とともに約25分で書き上げたと主張している。

 

 

実はこの曲は、アイルランドのシンガーソングライター、Ray Heffernan

書いたもので、彼のパートナーが流産した後、1995年にパリで仕事を

していた時に亡くした子のことを想い『Angels』の最初のバージョンを

書いた。

そして1996年のクリスマス、ダブリンのパブで偶然会ったウィリアムズと

意気投合。彼とともにスタジオに入り『Angels』のデモを収録する。

その後Heffernanは、ウィリアムズのマネージメントから著作権を譲渡する

よう交渉され、見返りとして7,500ポンドを受領した。

『Angels』はアルバム『Life thru a Lens』に収録することになり、

Heffernanはこの曲をリリースする際には自身のクレジットもするよう

求めたが、実際は著作権を買い取ったウィリアムズとチェンバースのみが

作者としてアルバムに記載されている。

『Angels』はシングルリリースすることになり、リリースに踏み切った

理由として、ウィリアムズの将来に懸念を示したレーベル側が今後の

契約続行についての議論をしたことが背景にあった。

この曲は瞬く間に大ヒットし、彼の代表的な曲となった。

『Angels(UK : CD2)』のライナーノーツには「でも、最後に笑うのは

堕天使 – Raymond Heffernanに感謝」という注記がされている。

ウィリアムズはその後『I’ve Been Expecting You』、『Sing When You’re』、

『Winning』、『Escapology』と数々のアルバムをリリースし、

2005年には世界中でトータル4,500万枚を売り上げたとしてUKで

「最も売り上げの多い歌手」、「イギリス音楽史上、もっとも成功した

男性ソロアーティスト」と名づけられた。

 

 

Robbie Williams – Angels

 

 

Robbie Williams – Love My Life

 

 

Robbie Williams – Candy

 

 

マーク・オーエンは、その少年のような美貌と優しげな物腰でテイク・

ザットで最も人気のあるメンバーであった。

解散後はメンバーの中で一番早くソロとしてデビューし、1996年11月、

シングル『Child』をリリース。

ビートルズに影響されたこの曲はUKチャート3位に達し、彼のキャリアの

中で最も成功したシングルとなった。『Child』は20万枚以上のセールス

を記録しシルバーに認定された。

続くセカンドシングル『Clementine』もUKチャートの3位を記録する。

同年12月、他のメンバーに先駆けて1作目のソロアルバム『Green Man』

をリリース。その後もシングル『I Am What I Am』をUKにてリリース

する。

2002年には、テレビ番組Celebrity Big Brother”で勝ち残りナンバー1に

なったことで、再び世間の注目を集める。

2003年にUKシングルチャートで4位に達した『Four Minute Warning』

を含む2作目のアルバム『In Your Own Time』(日本では未発売)を

リリース。その後もシングル『Alone Without You』をUKリリース。

2005年には3作目のアルバムとなる『How the Mighty Fall』をリリース

し、シングル『Hail Mary』も同年UKリリースされた。

 

 

2007年の夏に再びソロアルバムの制作に取り組むという噂があったが、

実際に4作目のソロアルバム『The Art Of Doing Nothing』がリリース

されたのは2013年であった。『Stars』、『Carnival』などを収録した

このアルバムはシングルヒットはなかったものの、UKアルバムチャート

29位を記録した。

ソロでイギリスや、ヨーロッパ各地で何度もプロモーション&ライヴツアー

が行なわれている。すべてのソロアルバムで自身が作詞作曲し

『How the Mighty Fall』では独自のレーベルを立ち上げ制作したほど、

ソングライティングにはとても熱心で意欲的である。

 

 

Mark Owen – Four Minute Warning

 

 

Mark Owen – Stars

 

 

Mark Owen – Carnival

 

 

ハワード・ドナルドはシングル『Speak Without Words』を収録したが、

リリースまでには至らなかった。

その後、イギリス、ドイツでDJとして活躍し評判も良く、クラブをめぐる

ツアーを何度も行なっている。テイク・ザットの活動の合間にもDJとして

活動している。

 

 

ジェイソン・オレンジは音楽という方向性から一転、アクターズスクール

にて演技を学び、俳優としてイギリスのミュージカルやTVドラマに出演

した。

 

 

2005年11月16日、彼らはITVに出演。解散時どのような気持ちであったか、

また解散してから今までの10年間それぞれが何をしていたかなどをテーマに

したドキュメンタリー番組『Take That: For the Record』を放送

(脱退したロビー・ウィリアムズも別撮りで出演)。この番組では

テイク・ザットの本音、関係者や共に共演したアーティストの暴露話が

放送された。

テイク・ザットはデビュー当時からマネージャーの「お酒、タバコは

だめ、ガールフレンドは絶対につくらない」という方針に縛られていた。

そんな中でロビーがドラッグとアルコール中毒になったのは有名な話で

あった。

11月26日には2006年からロビーを除く4人で”The Ultimate Tour”

(再結成ツアー)を開始すると発表。

2006年4月から当初11公演の予定であったがすぐにチケット完売となり、

19公演を追加。2ヶ月に渡るツアーを成功させた。またアメリカの人気

女性グループ、プッシーキャット・ドールズやシュガーベイブスなどが

ゲストとして共にパフォーマンスをした。ツアー中、4人は何度も

「ロビーを迎え入れるドアはいつも開いている。もし何か退屈になって

歌が歌いたくなったらいつでも準備はできている。僕たちは彼のために

1つ余分にマイクを用意しているんだ」と言い続けた。新しくリリース

されたベスト・アルバムには新曲「Today I’ve Lost You」が収録された

(同曲は解散する直前に仕上げられ未発表となっていた)。

 

 

テイク・ザットの再結成、そして成功は他のアーティストに多大な影響を

与えた。ブリット・アワードでは受賞の際、ナレーションで「解散して

から再結成してここまで成功するアーティストはいままでにはなく、

これからもないだろう」と賛辞された。また5ive、ボーイゾーンの再結成に

影響を与えた(5iveは契約できるレコード会社がなく再び解散)。

長期にわたって再結成が噂されていたスパイス・ガールズも2007年6月28日

に正式に再結成を発表し、「テイク・ザットに影響されている」と語った。

 

 

Take That – Patience

 

 

Take That – Rule The World

 

 

2006年5月9日、テイク・ザットは約10年ぶりとなる活動を再開。

11月20日、シングル『Patience』をリリース。2週目にはUKチャート

1位を記録。テイク・ザット9度目のチャート1位を達成した。

また同曲は2006年シングル売り上げランキング8位に輝いた。ドイツでは

1週目のチャートで『Back For Good』以来のチャート1位を記録。

同年11月、彼らにとって11年振りとなる4thアルバム『Beautiful World』を

リリース。メンバー全員が少なくとも一曲以上リード・ヴォーカルを

つとめた初のアルバムとなる。

イギリスとアイルランドでは発売初週にチャート1位になり、批評家から

好意的なレビューを受けた(2011年7月の時点で全世界で400万枚以上の

セールスを記録。現在もイギリスで最も売れたボーイバンドのアルバムと

みなされている)。『Beautiful World』は12月6日にUKチャート1位を記録。

6週間連続でUKチャート1位を保ち、11月の後半にリリースされたにも

関わらず2006年アルバム売り上げランキングでは2位に輝いた。

また同アルバムは『Nobody Else』以来、約11年ぶりのトップ・アルバムに

なった。

2007年の初頭にはアメリカのレコード会社と契約し『Beautiful World』は

カナダでもリリースされることになった。約10年振りのニューアルバム

にも関わらず1ヶ月でイギリス国内のみで150万枚を売り上げ、テイク・

ザットは見事音楽業界にカムバックした。

同年2月『Patience』に続く2ndシングルとして『Shine』がリリース

された。

2007年10月21日、5thシングルとなる『Rule The World』(作詞・作曲は

テイク・ザット名義)をデジタル・ダウンロードとCDシングルでリリース。

このシングルはUKシングルチャート2位を記録し、120万枚を超える

セールスを記録。テイク・ザットの2番目に売れたシングルとなり、BPIに

よりダブルプラチナに認定された。

また同年秋からスタートしたヨーロッパを回る”Beautiful World Tour 2007″は

全日程のチケットは40分で完売。

批評家からは全体的に好意的なレビューを受け、テイク・ザットにとって

最も興行成績がよかったツアーでありイギリス史上最も大きなツアーでも

ある。

ブリット・アワード2007で『Patience』が、ブリット・アワード2008では

『Shine』がそれぞれベスト・ブリティッシュ・シングルに選ばれている。

 

 

Take That – The Flood

 

 

Take That – Happy Now

 

 

2010年7月15日、ロビー・ウィリアムズが正式に復帰。5人そろっての

アルバム『Progress』が同年11月にリリースされた。

アルバムに収録の曲『Underground Machine』(ロビー・ウィリアムズ)、

What Do You Want From Me?』(マーク・オーエン)、『Affirmation

(ハワード・ドナルド)、テイク・ザットとウルトラヴォックスの

ミッジ・ユーロ、ワーレン・キャン、ビリー・カリー、クリス・クロス

との共作『Eight Letters』(ゲイリー・バーロウ)、隠しトラックの

Flowerbed』(ジェイソン・オレンジ)では、メンバーそれぞれが

ヴォーカルをとっている。

エレクトロニック・ミュージックの影響とシンセサイザーが多用された

アルバムは批評家から高く評価され、UKアルバムチャート1位を記録。

発売一週間で52万枚を売り上げ、イギリス音楽史上初週で最も売れた

アルバムとなった。

1stシングルの『The Flood』はUKシングルチャート2位を記録。

イギリス国内のみで5万枚を売り上げ、ヨーロッパ内の9ヶ国のチャートでも

トップ10入りを果たした。

2011年2月には2ndシングル『Kidz』をリリース。UKシングルチャート

28位を記録。2011年開催のブリット・アワードではオープニングアクトと

して同曲をパフォーマンスし、アルバム『Progress』はベスト・グループ賞と

ベスト・アルバム賞を受賞した。

3月18日には3枚目のシングル『Happy Now』をリリース。ミュージック

ビデオにはアラン・カー、ジェームズ・コーデン、ジョン・ビショップ、

デヴィッド・ウォリアムス、キャサリン・テイトの5人のコメディアンで構成

されたテイク・ザットのトリビュートバンドFake That(フェイク・ザット)

が出演している。

4月29日『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』の公式楽曲を手掛けている

ことが発表され、5月11日よりイギリス国内でデジタルダウンロード版の

シングル『Love Love』がリリースされる。

2012年5月、アイヴァー・ノヴェロ賞のOutstanding Contribution to British

Musicを受賞した。

 

 

2013年5月に、オーエンがレコーディングの予定について明かし、ドナルドと

バーロウはスタジオ作業を開始した。この時点では、ウィリアムズが参加するか

どうかは未確定であったが、2014年4月28日、ウィリアムズが2人目の子供を

迎える準備をするため今回のアルバム及びツアーには参加しない旨が明かされた。

ただし、今回の決定は友好的なものであり、いつでもグループに戻ってくることを

歓迎する、とバーロウは語った。

 

 

Take That – These Days

 

 

Take That – Giants

 

 

同年9月24日、オレンジが脱退することが発表された。12月1日リリースの

7thアルバム『III』は初の3人編成での作品となり、アルバムに先駆けて

リリースされた曲『These Days』のミュージックビデオに出演しているのは

バーロウ、ドナルド、オーエンの3人のみである。

2016年2月2日、バーロウはThe Sunとのインタビューでテイク・ザットが

年の後半に8枚目のスタジオアルバムをリリースすることを発表した。

2017年、アルバム『Wonderland』をリリース。シングル『Giants』、

New Day』がリリースされ『Giants』はUKシングルチャートで13位に

達した。

 

 

テイク・ザットはイギリスにおいて7枚のナンバーワン・アルバムがある

他、28枚のトップ40シングル(そのうちの12枚はナンバーワンに達した)

と17枚のトップ5シングルを持ち、世界で56枚のナンバーワン・シングル

と37枚のナンバーワン・アルバムを持つ。

また、イギリスで最もブリット・アワードの栄冠に輝いたグループであり、

ブリット・アワード「ベスト・ブリティッシュ・ライヴ・アクト」、

「ベスト・ブリティッシュ・グループ」を8回受賞した。

 

 

 

 

 

 

彼らを初めて見たのは軽快なダンスナンバーの『Relight My Fire』の

ミュージックビデオでした。

当時リアルタイムで見た時は、若くて今どきのボーイ・バンドという

印象しかなかったのですが、その後リリースされたビージーズの

カヴァー『How Deep Is Your Love』のミュージックビデオを観た時、

ショッキングな内容の映像とともに、ビージーズにも決して引けをとらない

美しいハーモニーが鮮烈に耳にこびりつきました。

ティーンエイジャーならいざ知らず、ボーイ・バンドだからと彼らの

他の曲を聴くことも憚っていましたが、その他の曲も聴いていくうちに

素晴らしい曲が多いことに気づき、そのほとんどがメンバーによる

作詞・作曲によるものと知ってからは、どんどん彼らの音楽に引き込まれて

いって、今ではお気に入りのバンドのひとつとなっています。

 

 

彼らの魅力は、ポップやR&Bやエレクトロニックなサウンドを

取り入れた多様性に満ちた音楽にあり(全員にソングライティングの

才能がある)、メンバーそれぞれの持ち味が生かされそれが見事に

調和しているところでしょう。

そういったところが彼らがティーンエイジャーから大人まで幅広く

支持される理由かと思います。

 

 

ブリット・アワードでは受賞の際、ナレーションで「解散してから

再結成してここまで成功するアーティストはいままでにはなく、

これからもないだろう」と賛辞された通り、彼らは100年に一度出るか

出ないかの確率で出現した、5人の天才が集まった奇跡のバンドと

言っても過言ではないでしょう。