80s New Wave / Synth-pop – Ⅰ

 

 

 

今回は「80s New Wave / Synth-pop – Ⅰ」の第2弾として、

80年代に活動したドイツのバンドをご紹介します。

 

 

 

 

 

 

Camouflage

Camouflage(カモフラージュ)は、ドイツのバンド。

バンドの唯一のヒット曲『The Great Commandment』は1988年、

ビルボードホット100で59位、USダンス・チャートで最高1位を記録、

3週間チャートインし続けた。1989年には、さらに『Love is a Shield』、

One Fine Day』の2曲のシングルがマイナー・ヒットした。

 

 

Marcus Meyn(Vo)、Heiko Maile(Key,programming,Producer)、

Oliver Kreyssig(Key,Programming,Artwork)の3人編成。

1983年、ビーティッヒハイム=ビッシンゲンでMarcus Meyn、Heiko Maile、

Oliver Kreyssig、Martin Kählingの4人の友人でLicensed Technologyを結成。

直後に脱退したMartin Kählingを除く3人のメンバーはイエロー・マジック・

オーケストラの曲『Camouflage』に触発され、同じ名前の(カモフラージュ)

とバンド名を変更する。

1985年ドは2つのデモ・テープをレコーディング。翌年、バンドはローカル・

ラジオ音楽コンテストで優勝。デモのうちの1曲『The Great Commandment』

はフランクフルトのレーベルWestsideの興味を引いたが、バンドは最終的に

Metronomeと契約を締結。

1988年、Atlantic RecordsとMetronomeよりデビューアルバム『Voices & Images』

をリリース。4枚のシングル『The Great Commandment』、『Neighbours』、

『Strangers’ Thoughts』、『That Smiling Face』がリリースされた。

1989年、Dan Lacksmanのプロデュースによるアルバム『Methods of Silence』を

リリース。アルバムチャートで13位に達した。

シングル『Love is a Shield』はドイツのシングルチャートで 9位に達し、6ヵ月以上

チャートインし続け、バンドの最も成功した曲となった。

 

 

1990年、Oliver Kreyssigが個人的な理由でバンドを脱退。

10月、HeikoとMarcusはイングランドのBlack Barn Studioでデビッド・ボウイ、

トーク・トーク、デュラン・デュランを手掛けたプロデューサーColin Thursten

との共同プロデュースによる3rdアルバム『Meanwhile』のレコーディングを

開始する。このアルバムで本物のドラムを採用。ゲスト・ミュージシャンとして

Gavin Harrison(Ds)が参加した。翌1991年『Meanwhile』をリリース。

シングル『Heaven (I Want You)』、『This Day / Handsome』がリリースされ、

『Heaven (I Want You)』はドイツで57位にチャートインした。

1992年にハンブルグに移転後、Marcus MeynとHeiko Maileは自身の音楽出版社

とスタジオを設立し、サイド・プロジェクトAreu Areuのアルバム『Areu Areu』

をリリースする。この間、彼らは4枚目のアルバムのレコーディングを開始した。

1993年、アルバムに先駆けてシングル『Suspicious Love』をリリース。

この曲はラジオ放送で取り上げられマイナーヒットを放ち、MTV上でたびたび

オンエアされた。同年のアルバム『Bodega Bohemia』からシングル『Close

(We Stroke the Flames)』、『Jealousy』がリリースされた。

アルバムはドイツのみでリリースされ、Metronomeからの最後のアルバムと

なった。

 

 

脱退してからもHeikoとMarcusと友好的な関係を継続していたOliver Kreyssigは、

1997年にPolydorからドイツに向けてリリースされた『We Stroke the Flames』

でアルバムのアートワークのデザインを手伝う。1998年には次のスタジオアルバム

に向けて共同作業を開始。そして1999年にバンドに復帰する。

1999年7月にリリースされた『Thief』は、新しいアルバムのシングルとなる予定で

あったが、レーベル側のVirginが興味を示さず、アルバムのリリースは先延ばしに

なる。バンドは3つの制作チームを作り、異なる成果を出すためRob Kirwanと

ドイツのシンセポップバンドToyがロンドン、Gerret Freirichsがハンブルク、

Heiko Maileがシュトゥットガルトのスタジオでそれぞれアルバムの収録を行った。

プロデューサーはそれぞれ、インターネットとバンドのウェブサイトを通じて

トラックを完成させた。

2002年2月ポリドールと契約。バンドは遅れをとりながらもアルバムの制作を続けた。

しかし、Rob KirwanとToyが2002年後半にプロジェクトを中断した。そのことが

アルバムの完成をさらに遅らせた。それでも諦めることなくバンドは耐え、エネルギー

を注ぎ長い時間をかけて2003年、ついにアルバム『Sensor』は完成した。

『Sensor』はIsland Recordsよりリリースされ、『Perfect』、『Harmful』、

Here she comes』、『Lost』、『I’ll Follow Behind』、『Blink』、『Thief』、

Together』、『You Turn』を収録。シングルとして『Me and You』、

I Can’t Feel You』がそれぞれリリースされた。アルバムはドイツのチャートで

26位に達した。

2006年、『Relocated』をリリース。『The Perfect Key』を収録。

Motif Sky』、『Something Wrong』、『The Pleasure Remains』がそれぞれ

シングルとしてリリースされた。

 

 

2014年、コンピレーションアルバム『The Singles』をリリース。オリジナル・

ヴァージョンをリマスタリングしたバンドのシングル20曲を収録。

2015年に『Leave Your Room Behind』、シングル『Shine』、『Count on Me

を収録した8thアルバム『Greyscale』をリリースした。

 

 

Camouflage – The Great Commandment

 

Camouflage – Strangers Thoughts

 

Camouflage – Love is a shield

 

Camouflage – Handsome

 

 

 

 

 

Cetu Javu

Cetu Javuは、1987年から1994年まで活動したドイツのシンセポップバンド。

1984年、ハノーファーでChris Demere(Key)とJavier Revilla Diez(Vo)

により結成された。

1985年、Stefan(Synthesizer)、Torsten(Synthesizer)のEngelke兄弟が

加入する。

リードヴォーカルのRevilla Diezはスペイン出身で、バンドの曲は英語と

スペイン語で歌われている。

バンドは幾多のライヴを行い、1985年にはジュニアコンクールに出場し3位を

獲得。プロのスタジオで『Never-Do-Well』、『Coming Through』、

『Do not Forget』のデモを制作する。しかし、レコード契約を得ることが

できずバンドは自らのレーベルDeme Recordsを設立する。

1987年、デビュー・シングル『Help Me Now!』を限定盤でリリースする。

1988年、2ndシングル『Situations』をリリース。

1990年、ZYX Recordsよりデビューアルバム『Southern Lands』をリリース。

作曲をChris Demere、作詞をJavier Revilla-Diezが手掛けMatthiasHärtlとの

共同プロデュースによるこのアルバムはDepeche Modeの影響が顕著に現れて

いる。『Situations』のリミックスヴァージョンと1989年にシングルとして

リリースされた『A Dónde』、『Have In Mind』を収録。

1992年、Blanco y Negro Musicより『Por Que?』(1991年)、『Dáme Tu Mano

(1992年)、『Una Mujer』(1993年)、『Tiempo』(1994年)のシングルを

含む2ndアルバム『Where Is Where』をセルフプロデュースによりリリース。

これがバンドの最後のアルバムとなった。

2009年、コンピレーションアルバム『Situations – The Very Best Of Cetu Javu』が

Cleopatra Recordsよりリリースされた。

 

 

Cetu Javu – Situations

 

Cetu Javu – Have In Mind

 

Cetu Javu – A Dónde

 

 

 

 

 

Propaganda

Propaganda(プロパガンダ)は、ドイツの シンセポップバンド。

彼らはトレヴァー・ホーンのレーベルZTT Recordsと契約したバンドの

中でも初期の1984年から1986年の間に在籍していたアーティストであり、

アルバム『A Secret Wish』は高い評価鵜を受けた。

 

 

1982年、西ドイツのデュッセルドルフで、Ralf Dörper(ドイツの

インダストリアル・メタルバンドDie Kruppsのメンバー)を中心に結成。

アーティストのAndreas Thein、ヴォーカリストのSusanne Freytagの3人は

イギリスでのリリースに向けてドイツのスタジオでレコーディングを開始する。

クラシックを学んだミュージシャン、コンポーザーのMichael Mertensと

Susanne Freytagと一緒にTopolinosというバンドに在籍していたシンガーの

Claudia Brückenが加入。Claudia Brückenをフロント・ヴォーカリストと

して5人編成となったバンドは1984年、トレヴァー・ホーンのレーベル

ZTT Recordsと契約を締結。バンドはイギリスに拠点を移す。

1984年、シングル『Dr. Mabuse』をリリース。ドイツのシングルチャートで

トップ10(7位)、イギリスでトップ30(27位)、スイスで14位とヒットした。

このリリース直後、Andreas Theinが音楽の違いによりバンドを脱退する

(Andreas Theinは2013年5月30日にがんで死亡した)。

バンドは前に進むべくフォローアップシングルとデビューアルバムのレコーディング

に取り掛かった。しかし、ZTTはFrankie Goes to Hollywoodが予期せぬ大成功を

おさめ、そのプロモーションやマーケティングに専念するためトレヴァー・ホーン

はPropagandaのアルバム制作に十分にかかわることができなかった。

1985年、トレヴァー・ホーン、Stephen Lipsonのプロデュースによるデビュー

アルバム『A Secret Wish』をリリース。『Dr. Mabuse』を収録したアルバムから

『Duel』、『p:Machinery』がリリースされた。『Duel』はUKシングルチャート

で21位に達し、イギリスで最も成功した曲となった。『p:Machinery』はスペイン

で最も成功したシングルとなり1位を獲得。アメリカのダンスチャートでトップ10に

達した。アルバムはUKアルバムチャートで16位となる。

バンドは同年6月、イギリスの音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」に初出演。

11月にはアメリカ市場に向けたリミックス・アルバム『Wishful Thinking』が

リリースされた。

1986年、Claudia Brückenがバンドを脱退する。バンドはZTTとの交渉が決裂。

1988年、ヴァージョン・レコードと契約を締結する。

RalfDörperとSusanne Freytagが脱退し唯一のメンバーとなったMichael Mertens

は、アメリカ人シンガーのBetsi Miller、ベーシストのDerek Forbes、ドラマーの

Brian McGee(両者とも元Simple Mindsのメンバー)を迎え、新しいアルバムの

制作に取り掛かった。

1990年、Ian Stanley、Chris Hughesのプロデュースによる2ndアルバム『1234』

をリリース。シングル『Heaven Give Me Words』はUKチャートのトップ40に達し、

アメリカのアダルト・コンテンポラリー・チャートで22位に達した。

『1234』はUKアルバムチャートで46位となり、これがを最後にバンドは解散。

2005年、Michael Mertens、Ralf Dörper、Susanne Freytagのラインアップで

再結成され、ドイツのインディーズ・レーベルAmontillado Musicと契約を締結した。

2006年、シングル『Valley Of The Machine Gods』がリリースされた。

 

 

Propaganda – Dr. Mabuse

 

Propaganda – Duel

 

Propaganda – p: Machinery

 

 

 

 

 

Modern Talking

Modern Talking(モダン・トーキング)は、ドイツのポップデュオ。

1983年、Thomas Anders(トーマス・アンダース、Vo、Piano、Key)、

Dieter Bohlen(ディーター・ボーレン、G、Producer、Composer)に

より結成された。

彼らは、ドイツで最も成功したポップ・デュオと呼ばれており、

『You’re My Heart、You’re My Soul』、『You Can Win If You Want』、

『Cheri, Cheri Lady』、『Brother Louie』、『Atlantis Is Calling

(S.O.S. for Love)』、『Geronimo’s Cadillac』など、国内外で多くの

トップ5ヒットシングルを持つ。

 

 

1985年、Hansa Recordsよりデビューアルバム『The 1st Album』を

リリース。シングル『You’re My Heart、You’re My Soul』、『You Can

Win If You Want』は25万枚以上のセールスを記録し、ドイツでゴールドに

認定された。

『The 1st Album』は50万枚のセールスを達成。プラチナに認定された。

直後にリリースされた2ndアルバム『Let’s Talk About Love』からの唯一の

シングル『Cheri、Cheri Lady』は西ドイツ、スイス、オーストリア、

ノルウェーのチャートでトップに急上昇した。また、スウェーデンとオランダ

でトップ10入りを果たした。

モダン・トーキングは3rdアルバム『Ready for Romance』も成功を収め、

アルバムから『Brother Louie』と『Atlantis Is Calling(SOS for Love)』

の2枚のシングルがリリースされた。また、4thアルバム『The Middle of

Nowhere』のシングル『Geronimo’s Cadillac』と、5thアルバム

『Romantic Warriors』の『Jet Airliner』で最高位を記録した。

この時、モダン・トーキングはヨーロッパ、アジア、南米、中東、特に

1979年のイスラム革命以来、すべての西洋のポップミュージックが禁止されて

いたイランで成功を収めた。イギリスでは『Brother Louie』でトップ5に1度

入っただけであった。

北アメリカではほとんど知られておらず、1987年にはカナダで『Brother Louie』

が34位に達したときは「一発屋」と言われ、アメリカではチャートに登場する

ことはなかった。

彼らは1985年から1987年までの間、毎年2枚のアルバムをリリースし、1987年

にはヨーロッパ各地でテレビでシングルをプロモーションし、最終的に3年間で

6,500万枚のレコードセールスを記録した。

当時、トーマス・アンダースはNORAと書かれたペンダントを始終身に付けて

いたが、これはアンダースの妻Nora(ノーラ)の名前である。彼女は非常に

アンダースを束縛しており、PVやステージの演出についてひどく口出しするよう

になっていた。ディーター・ボーレンはこれに激怒し、そのことがアンダース

との軋轢を招いた。

最終的に両者は互いを強く罵りあい、10年以上話すことを拒否した。

1987年、モダン・トーキングは解散。アンダースはノーラと1999年に離婚した。

 

 

1987年中頃、モダン・トーキングが分裂直後、ボーレンはBlue Systemという

自身のプロジェクトを立ち上げ『Sorry Little Sarah』、『My Bed Is Too Big』、

『Under My Skin』、『Love Suite』、『Laila』、『Déjà vu』をヒットさせた。

一方、アンダースは1989年の初めまで、いくつかの大陸でModern Talkingという

名のもと、単独でツアーを行っていた。そしてLAやロンドン、母国ドイツで

新しいポップのような曲をレコーディングし始めた。

彼は80年代から90年代にかけて『Different』(1989年)、『Whispers』

(1991年)、『Down on Sunset』(1992年)、『When Will I See You Again』

(1993年)、『Souled』(1995年)、そして初の全曲スペイン語の歌詞のソロ

アルバム『Barcos de Cristal』(1994年)をリリースした。

彼は母国ドイツより海外で多くの成功を収めた。またドイツでもいくつかの曲が

ヒットした。

過去に喧嘩や意見の相違があったにもかかわらず、ボーレンとアンダースは

再び連絡を取り始め、1998年の初めモダン・トーキングを再結成する。

1984年のヒット曲『You’re My Heart、You’re My Soul』のリパッケージ版

としてラップ・ヴォーカルにEric Singletonをフィーチャーしたシングル

『You’re My Heart、You’re My Soul ’98』をリリース。

同年、4曲の新曲に過去のヒット13曲、1曲のメドレーを加えた全18曲の

モダン・トーキングとしては11年ぶりとなるアルバム『Good for Back』を

リリース。ドイツで1,250,000枚のセールスを記録。1999年、BVMIより

5 x Goldに認定された。

ボーレンとアンダースは、1980年代のパターンに従い各アルバムから2枚の

シングルをリリースした。『Alone』(1999年)、『Year of the Dragon』

(2000年)、『America』(2001年)、『Victory』(2002年)と一連の

シングルとアルバムが続き、彼らはすでに全世界で400以上のゴールドや

プラチナを獲得していた。

 

 

4枚のアルバムをリリース後、彼らは再び解散することを決定。

2003年3月、通算12枚目で最終アルバムとなる『Universe』をリリース。

同年8月には、彼らのシングルのすべてを収録したコンピレーションアルバム

『The Final Album』がリリースされた。

解散後、ボーレンは「Das Supertalent」(イギリスで放送された音楽

オーディション番組「Got Talent」のドイツ版)に携わっている。

トーマス・アンダースはモダン・トーキングの終了直後にソロ・キャリアを

再開した。

 

 

Modern Talking – You’re My Heart, You’re My Soul

 

Modern Talking – Cheri Cheri Lady

 

Modern Talking – Brother Louie

 

Modern Talking – Atlantis Is Calling (S.O.S. For Love)

 

 

 

 

 

Alphaville

Alphaville(アルファヴィル)は、ドイツのバンド。

1982年に結成。設立メンバーはMarian Gold(Vo、本名:Hartwig Schierbaum、

1954年5月26日 ヘルフォルト出身)、 Bernhard Lloyd(Key、本名:Bernhard

Gössling、1960年6月2日 エンガー出身)、Frank Mertens(Key、本名:Frank

Sorgatz、1961年10月26日 エンガー出身)。

彼らは最初Forever Youngと名乗っていたが、Alphavilleとバンド名を変更する。

1984年、 Colin Pearson、Wolfgang Loos、Andreas Buddeのプロデュースに

よりデビューアルバム『Forever Young』をリリース。『A Victory of Love』、

Summer in Berlin』を収録。

シングルとして『Big in Japan』、『Sounds Like a Melody』、『Forever Young』

Jet Set』がリリースされ、『Big in Japan』はドイツ、ギリシャ、スイス、

スウェーデンと、アメリカのビルボードダンスチャートでトップに輝き、バンド

最大のヒットとなった。

『Forever Young』をリリース後、Frank Mertensがバンドを脱退。Ricky Echolette

(Key,G)に交代。1985年リリースのアルバム『Afternoons in Utopia』より

参加する。ファーストシングル『Dance with Me』はドイツ、フランス、ノルウェー、

スウェーデン、スイス、南アフリカでトップ20ヒットとなった。

2ndシングル『Universal Daddy』をリリース。3rdシングルの『Jerusalem』

はドイツのみのリリースとなった。4thシングル『Sensations』、最終シングル

Red Rose』をリリース。

1989年の3rdアルバム『The Breathtaking Blue』には『Romeos』、『Love of

Mysteries』が収録され、オリジナルの歌詞にドイツ語の翻訳をつけた、白黒の

静止画を含むCD+Graphicsとしてリリースされた。

1994年、アルバム『Prostitute』はジャズ、ニューウェーヴ、シンセポップ、

スイング、ヒップホップ、クラシックバラード、エレクトロニック・ミュージック

が特徴となっており、Ricky Echoletteが参加した最後のアルバムとなった。

シングル『Fools』、『The Impossible Dream』がリリースされた。

このアルバムのツアー中、Robbie France(2012年1月14日死亡)がドラマー

としてバンドに参加。

1997年、Ricky Echoletteがバンドを脱退する。

1997年9月、ヨーロッパで5thアルバム『Salvation』がリリースされた。

1999年6月にはアメリカで『Life is King』、『Wishful Thinking Physical

(Physical Mix)』、『Monkey in the Moon』のボーナストラックを追加した

アルバムがリリースされた。

2003年、Bernhard Lloydが脱退。バンドのステージメンバーはMarian Goldと

Martin Lister(Key)、David Goodes(G)、Jakob Kiersch(Ds)となった。

2010年11月、13年ぶりのスタジオアルバム『Catching Rays on Giant』をリリース。

ドイツのアルバムチャート9位にチャートインした。この時点で、ツアーメンバーが

バンドの正式メンバーになる。

I Die for You Today』、『Song for No One』の2つのシングルがリリースされた。

アルバムはバンドメンバーのMartin Listerが『Call Me Down』のトラックのリード

ヴォーカルを担当した。

2011年、ベーシストとしてMaja Kimがバンドに参加した。

2014年5月21日、キーボーディストのMartin Listerが死亡したことがバンドの公式

サイトで発表された。後任ドラマーとしてCarsten Brockerが参加する。

2016年、ベーシストのMaja Kimがバンドを脱退。

バンドは長い制作期間を経て2017年、アルバム『Strange Attractor』をリリース。

Heartbreak City』のシングルとミュージックビデオがリリースされた。

 

Alphaville – Big In Japan

 

Alphaville – Sounds Like A Melody

 

Alphaville – Forever Young

 

Alphaville – Dance With Me