Thrash metal Ⅰ

 

 

 

今回は、80年代から活動するブラジル、ドイツ、

アメリカのスラッシュメタル、グルーヴメタルバンドを

ご紹介します。

 

 

 


 

 

Sepaltura(Max Cavalera)

Sepultura (セパルトゥラ) は、ブラジル出身のスラッシュメタル

バンド。

1984年、マックス・カヴァレラ(G,Vo)とイゴール・カヴァレラ(Ds)の

兄弟を中心として結成された。バンド名は、モーターヘッドのアルバム

『Another Perfect Day』収録曲”Dancing on Your Grave”にちなみ、

マックス・カヴァレラが彼らの母国語であるポルトガル語で「墓」を

意味する「セパルトゥラ」と名付けた。

1985年にはパウロ Jr(B)とジャイロ・ガウデス(G)が加入して、

同年、オーヴァードーズとのスプリット・アルバムでレコード・デビューを

果たした。

1986年にはバンド名義でのフル・アルバム『Morbid Visions』をリリース。

2枚目のアルバムをリリースした後の1987年にジャイロが脱退。

後任として、マックスのローディーを務めていたアンドレアス・キッサー(G)が

加入した。

1989年リリースされた3rdアルバム『Beneath the Remains』は、

バンドのスタイルを確固たるものにした。アルバム・タイトル曲

Beneath the Remains』は疾走感あふれる名曲。

ブラジルで活動していた当時はブラックメタル色の強いサウンドで

あったが、ロードランナー・レコードと契約しアメリカに本拠地を

移す中で、洗練されたスラッシュメタルスタイルに変遷。その

音楽性は1991年の『Arise』で頂点に達した(アルバムと同名

シングル『Arise』や『Dead Embryonic Cells』をリリース)。

バンドは同アルバムで全英アルバム・チャートのトップ40入りを

果たし、アメリカのBillboard 200でも初のチャート・インを果たして

119位に達した。

1993年には『Chaos A.D.』をリリース、『Refuse/Resist』、

Slave New World』などのシングルもリリースされた。バンドは本作で、

アメリカのBillboard 200では初のトップ40入りを果たし、世界的に

バンドの名を広めることとなった。

1996年、6thアルバム『Roots』をリリース。

しかし、同年にイギリスで開催されたモンスターズ・オブ・ロックの

ステージに立つ直前、義理の息子であるダナ・ウェルズが

自動車事故で急死したことを知らされたマックスが、妻であり

バンドのマネージャーでもあるグロリアと共に会場を去ってしまう。

土壇場でヴォーカリストを失ったバンドは3人編成でステージに

立つことを余儀なくされた。この出来事がきっかけとなり、

マックスはバンドを脱退した。

2006年にはイゴールが脱退し、自分たちのつくったバンドを

兄弟ともども離れることとなる。

 

 

マックス・カヴァレラはセパルトゥラで培った音楽性を引き継ぎ、

ソウルフライで活動中。

また、マックスとイゴールはかつて長年に渡って確執があり、

マックスが1996年にセパルトゥラを脱退してから10年近く顔を

合わせることすらなかったが、マックス主催Dana “D-Low” Wells

(ディー・ロウ)10周年メモリアルパーティーで、マックスが

10年ぶりに彼の弟であるイゴールとステージで再び一緒になリ、

セパルトゥラの曲『Roots Bloody Roots』、『Attitude』を

演奏したことは話題を呼んだ。

その後カヴァレラ兄弟は和解し、2007年にカヴァレラ・コンスピラシー

というバンドを立ち上げ、兄弟での音楽活動を再開している。

 

(※2022年追記)2017年10月頃、マックス・カヴァレラはある

インタビューで「デイヴ・グロールがセパルトゥラをニルヴァーナとの

ツアーに参加させようとしていた」というのは本当かどうか尋ねられ、

次のように答えた。

「ええ、デイヴ・グロールはそれについて話していました。

彼ら(ニルヴァーナ)は私たちとデッド・ケネディーズを連れて

行きたかったと思います – おそらくこれまでで最高のツアーの1つに

なったでしょう。

しかし、カートが亡くなったため、残念ながら実現することは

ありませんでした。

デイヴは私の作品の大ファンです。私は彼に私の本の導入部分を

書いてもらいました。彼は、私が彼に依頼したことを本当に光栄に

思っていると言った。彼は『Roots』が大好きです。『Roots』は彼の

お気に入りのレコードの1つです。ずっと。だから、私は彼に会えたことを

とてもうれしく思います。彼は本当にクールです」。

 

カート・コバーンに会ったことがあるかと尋ねられたマックスは、

次のように答えた。

「私は彼に2回会った。私たちはヘッドバンガーズ・ボールのスペシャルで

会った。彼は衣装を着ていたが、ほとんどの時間寝ていた – 彼は当時、

ヘロインでヘヴィな状態だった。そしてある時、彼はブラジルで

ライヴをやっていて、私の友人の一人が私にブラジルからフェニックスに

電話をかけてきて、そこにカートが電話に出た。私たちは子供たちについて

少し話しました。彼は娘が生まれたばかりで、私も息子のZyonが生まれた

ばかりでした。とてもクールでした。それから彼は、ブラジルのどこで

ヘロインを手に入れることができるか私に尋ねました。

私は本当に知らなかったので、彼の力にはなれませんでした。そして

私は彼に言った「ブラジルには良いコークはたくさんある。私はヘロインに

ついて何も知らない…でもコークを試してみるべきだ」とね(笑)。

 

この約1か月前、Mojo Magazineによるインタビューで、セパルトゥラに関し

デイヴ・グロールは次のように語った。

「私が若い頃、親友のジミーと一緒にいい音楽を探し続けていましたが、

私はDevo、彼はLoverboyと道が分かれてしまい、その時は互いに

有益な情報を得られませんでした。

だから私がGBHのシングルを買っていたとき、ジミーはメタリカの

レコードを注文した。3週間後、彼から「おい、今すぐここに来てくれ」と

電話がかかってきた。彼は『Kill ‘Em All』のカセットを手に入れた

ところだった。ここがジミーと私が道を同くした場所でした。

ある時、彼はセパルトゥラを発見しました。『Arise』は彼が最初に

手に入れたものでした。私はそれらを愛していました。

彼らが初めてシアトルでプレイしたとき、彼らは強烈だった。

周りはドレッドヘアだらけ、ヘヴィメタルの美学を

備えていたわけではありませんでしたが、ダウンチューニング

されたギターは圧巻でした。

クリス・ノヴォセリックも彼らに夢中になり始め、彼らとの

ツアーにより、ニルヴァーナへの門戸が開くことを

心待ちにしていた。でもそれは実現しなかった… 」。

その後、Andy Wallace(『Chaos A.D.』)、Ross Robinson(『Roots』) に

よるミックス: 音響的には、私が今まで聞いた中で最もパワフルな

アルバムです。あのレコードは、フー・ファイターズが10年間の

キャリアの中の、すべてのスタジオ・アルバムの基準となった。

 

Sepultura – Dead Embryonic Cells

 

Sepultura – Desperate Cry

 

 

 

 

 

 

Sodom

Sodom(ソドム)は、ドイツのスラッシュメタルバンド。

1982年、ドイツのゲルゼンキルヒェンでトム・エンジェルリッパー

(Vo,B) クリス・ウィッチハンター (Ds) 、アグレッサー (G) に

より結成される。

彼らはMotörhead、Venom、Accept、RainbowやAC/DCといった

バンドから多大な影響を受けてきたという。80年代初期にバンドを

始めたころは、Motörheadの3ピーススタイルにインスピレーション

を受け、3人編成でバンドをスタート。Steamhammerというレーベル

と契約、2本のデモ・テープをリリースした。

1986年、デビューアルバム『Obsessed by Cruelty』をリリース。

初期のソドムの歌詞は、Venomなどに影響をうけていたトム・

エンジェルリッパーによる、恐怖やオカルト、悪魔をテーマにした

ブラック・メタルだったが、さまざまなプレス筋が彼らを

「Venomのクローンの二流バンド」と批評した。ソドム側は最初は

まともに受けとめていなかったが、ギタリストのデストラクターの

脱退後、後任として加入したフランク・ブラックファイアはバンドに

ソングライティングの面で変化をもたらした。彼に政治的、社会的な

ものを絡めた「戦争」をテーマに詞を書くことをすすめられたトムは

これにインスピレーションを受け、歌詞も宗教的なものから政治と

戦争に重点をおいたものに変わっていった。音楽スタイルもスラッシュ

メタルにシフト・チェンジし、2ndアルバム『Persecution Mania』

をリリースする。トラック9の『Bombenhagel』の終盤1分30秒の

ギター・ソロはドイツの国歌 ” Das Lied der Deutschen “。

他『Nuclear Winter』、Motörheadのカヴァー『Iron Fist』を収録。

このアルバムが今後のバンドの方向性を位置づけるものとなった。

1989年、3rdアルバム『Agent Orange』をリリース。タイトルトラック

Agent Orange』、『Magic Dragon』、『Don’t Walk Away

Tank cover)を収録。

このアルバムのライナーノーツには「このアルバムは世界中の無意味な

戦争によって死んだ兵士や民間人すべての人に捧げられている」という

メッセージが掲載されている。このアルバムを最後にフランク・

ブラックファイアがバンドを脱退。同年Kreatorに加入する。

『Agent Orange』は、ドイツのアルバムチャート36位に達した。

 

リーダーのトム・エンジェルリッパー以外のメンバーは流動的で

結成から現在に至るまで一貫して3人編成であることが特徴的。

また、リーダーのトムはスレイヤーの大ファンで、そのことが

バンドの音楽の方向性に大いに影響している。

 

Sodom – Napalm In The Morning

 

Sodom – City Of God
;

 

 

 

 

Anthrax

Anthrax(アンスラックス)は、アメリカのヘヴィメタル・バンド。

1981年、ニューヨークにてスコット・イアンとダン・リルカによって

結成される。

同時期にデビューしたメタリカ、メガデス、スレイヤーと並んで、

スラッシュメタル四天王(Big4)と称された。現在はスラッシュ

メタルのジャンルにとどまらない独自の音楽性によって全世界に

多くのファンを得ている。

当時の音楽性は他の多くのメタル・バンドと同様、NWOBHMを

アメリカ流に解釈して表現したものであったが、そこに

ニューヨーク・パンクの雰囲気を加えることにより独自の音楽性

を確立していった。

1983年、アルバム『Fistful of Metal』でデビュー。全米ツアーを

行う。ところが、メンバーとの確執によってダン・リルカが脱退。

さらに、歌唱力にやや難のあったニールも解雇される。後任は、

ベーシストとして、ドラムスのチャーリー・ベナンテの甥にあたる、

バンドのローディを務めていたフランク・ベロが、ヴォーカルとして

実力派ジョーイ・ベラドナが加入した。1985年、2ndアルバム

『Spreading the Disease』を発表。

1987年には3rdアルバム『Among the Living』発表。アルバムから

のシングル『Indians』は、UKチャート最高44位。

新ヴォーカルのジョーイは、豊かな歌声と正確な音感に裏付け

られた、優れた歌唱力の持ち主であったが、それだけが彼の

持ち味ではなかった。アメリカ先住民(いわゆるインディアン)の

血を引くジョーイは、ステージ上でもインディアンの衣装や飾りを

着用するなど強烈なアイデンティティを見せつけ、バンドのフロント

マンとして存在感を発揮した。

バンド全体としてもこの時期、その音楽にファンクやインディアン

のビートを取り入れるなどして新しいスタイルの構築に成功した。

これにより、バンドは、後に登場するミクスチャー・ロックの

先駆的な役割を果たすことになる。1991年にはヒップホップ

グループの雄パブリック・エナミーと共演し、シングル

Bring the noise』をリリース。

ヘヴィ・メタルとヒップホップという異なるジャンルを見事に

融合させ、ラップメタルという新たなジャンルを開拓した。

しかし、1992年にジョーイが脱退してしまう。友好的な脱退とする

報道がある一方で、ジョーイの内向的な性格に問題があったとも

言われている。後任にはアーマード・セイントのヴォーカルだった

ジョン・ブッシュが加入。アーマード・セイントは正統派ヘヴィメタル

バンドであり、前任のジョーイと比べるとジョンのヴォーカルは

ストレートでよりヘヴィ・メタル然としたものであった。しかし、

ちょうどこの頃から時代の中心はヘヴィ・メタルから、彼らがその

先鞭をつけたオルタナティヴ・ミュージックへと移行し始める。

その結果、彼らの音楽性は時代に翻弄されていくことになった。

ジョン加入後最初のアルバム『Sound of White Noise』は、彼らが

持っていた攻撃性とモダン・ヘヴィネスを融合させた作品で、

ビルボードのアルバムチャート7位というバンド史上最大のヒットと

なるものの、1990年代中期以降はメジャーレーベルが彼らとの

契約を切り、バンドは地道な活動に終始せざるを得なくなる。

この間にダン・スピッツが脱退。後にロブ・カッジアーノが加入

するまで4人編成で活動を行う。

2005年、ジョーイとダンが復帰し、1987年の『Among the Living』

リリース時のラインナップで活動を再開。2006年10月14日には

「LOUD PARK 06」で来日を果たすが、翌年には再びジョーイと

ダンが脱退する。

2008年、新ヴォーカリストとしてダン・ネルソン(ex-Disciplineなど)

が加入し、ロブ・カッジアーノも復帰。一夜限りの来日公演も開催

された。

2009年、7月にダン・ネルソンが脱退。バンド側はダンの病気を

理由のひとつに挙げているが、本人はこれを否定している。

これにより秋に予定されていたニューアルバム『Worship Music』の

発売は延期となり、急遽ジョン・ブッシュを呼び戻してフェスティバル

のスケジュールを切り抜けた。2010年、5月にジョーイが三度目の

加入、入れ替わる形でジョン・ブッシュが脱退した。

2013年、1月にロブ・カッジアーノが脱退。同年に行われるライヴ

ツアーには、代役としてシャドウズ・フォールのリード・ギタリスト、

ジョナサン・ドネイズが参加。8月14日、ラジオ番組でスコット・イアン

がジョナサン・ドネイズが正式に加入することを発表。

 

Anthrax – Madhouse

 

Anthrax – Deathrider

 

 

 

 

 

Exodus

Exodus (エクソダス) は、アメリカのスラッシュメタルバンド。

1980年頃にカリフォルニア州サンフランシスコで高校生だった

カーク・ハメット(G)、トム・ハンティング(Ds)らによって結成

される。

1982年にゲイリー・ホルト(G)、ジェフ・アンドリューズ(B)、

ポール・バーロフ(Vo,2002年2月2日、ドラッグの後遺症による

脳卒中が原因で41歳で死去)が加入し地元のクラブなどで

本格的に活動を始める。

1983年にカーク・ハメットがメタリカへデイブ・ムステインの後任

として加入するために脱退すると、後任にリック・ヒューノルト(G)

が加入し、続いてベースがロブ・マッキロップに交代する。

1985年、トリッド・レコードと契約し、デビュー・アルバム

『Bonded by Blood』をリリース。1986年、ポール・バーロフが脱退。

地元のローカル・バンドのレガシー(後のテスタメント)の

スティーヴ・スーザ(Vo)を後任に迎えるが、印税の支払いを

めぐってトリッド・レコードとの間にトラブルが起こり活動が停滞

してしまう。翌年、新たにコンバット・レコードと契約し、2nd

アルバム『Pleasures Of The Flesh』をリリース。

1989年には3rdアルバム『Fabulous Disaster』をリリース。

しかし、ヨーロッパツアー中にトム・ハンティングが脱退。ツアー

終了後にアンスラックスのローディーをやっていたジョン・テンペスタ

が加入する。

1990年にキャピトル・レコードより4thアルバム『Impact Is Imminent』

でメジャーデビューを飾る。このアルバムではゲイリー・ホルトと

リック・ヒューノルトの二人がH-Teamとしてプロデュースを行った。

1992年にジューダス・プリーストなどのプロデュースを手掛けた

クリス・タンガリーディスをプロデューサーに迎え、5thアルバム

『Force Of Habbit』をリリースするが、ニルヴァーナ、パンテラの

台頭や、メタリカのブラックアルバムのヒットに影響され、メタル・

シーンがヘヴィでグルーブ重視の方向に進む中、彼等もスピードを

抑え目でグルーブ主体の曲に路線を変更してしまい、ファンの

不評を買ってしまう。また、レコード会社のサポートも得られない

まま、活動が停滞してしまい、ジョン・テンペスタの脱退もあって

バンドは解散状態に陥ってしまう。

1993年5月に予定されていた日本公演のため、モードレッドの

ギャノン・ホールをヘルプに迎え来日公演を行い、その後解散。

1997年に一時再結成を行う。2001年に再々結成し、以後継続して

活動中である。

スラッシュメタル黎明期より活動を行い、メタリカ、メガデス、

アンスラックス、スレイヤーなどと共にスラッシュメタルの確立に

大きく寄与した。

エクソダスの特徴的なザクザクとしたソリッドな独特のリフの

カッティングはベイエリア・クランチと呼ばれ、世界中のスラッシュ

メタルバンドはもとより、デスメタルバンド達にも大きな影響を

与えた。しかし、メタリカ、メガデス達が商業的に成功する中、

所属レコード会社とのトラブルなどの不運が重なったこともあり、

商業的に成功する事は無かった。

また、アメリカ西海岸で一緒に活動していたテスタメント、フォビドゥン

といったスラッシュメタルバンドはいずれもベイエリア・クランチを

特徴としていたこともあって、他のスラッシュメタルとの差別化を

図る意味でベイエリア・スラッシュと呼ばれている。

 

Exodus – Bonded By Blood

 

Exodus – A Lesson In Violence
     

 

 

 

 

 

Testament

Testament (テスタメント) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州

バークレー出身のスラッシュメタルバンド。エクソダスと共に、

ベイエリアクランチと呼ばれるシーンの中核を担った。

1983年、エリック・ピーターソン(G)を中心に”レガシー(LEGACY)”

として活動開始。1986年、ヴォーカルのスティーヴ・スーザが

エクソダスに加入するため脱退。スティーヴの紹介で友人である、

地元のGuiltというバンドにいたチャック・ビリーが加入する。

その後、同名のジャズバンドがすでにデビューしていたことが

判明し、バンド名を「テスタメント」に改める。

1987年、前身バンドの名を冠した1stアルバム『The Legacy』で、

メガフォース・レコードよりデビューする。アルバムからはシングル

Over the Wall』がリリースされる。

1988年、核戦争後の地球の出来事をコンセプトにした2ndアルバム

『The New Order』をリリース。1989年には3rdアルバム『Practice

What You Preach』を発表リリース。アルバムタイトル『Practice

What You Preach』のシングルがリリースされ、ビルボード・

アルバムチャートで77位となる。

1990年4thアルバム『Souls Of Black』を発表。ビルボード・アルバム

チャートで最高73位を記録した。アルバムタイトル曲『Souls of Black』、

The Legacy』がシングル・リリースされた。

1992年に5thアルバム『The Ritual』を発表。ビルボード・アルバム

・チャートで初登場55位を記録し、シングル『Electric Crown』、

Return To Serenity』をリリース。

1992年、ルイ・クレメンテ(Ds)と、バンドサウンドの中核を担って

いたアレックス・スコルニック(G)がツアー中に脱退。

1993年に元フォビドゥンのグレン・アルヴェライス(G)、ポール・

ボスタフ(Ds)が加入。

このラインナップで1993年のライブEP『Return to the Apocalyptic

City』をリリース(tracks 5-6についてはアレックス・スコルニック、

ルイ・クレメンテが参加)。

直後に、グレン・アルヴェライスが脱退、また、ポール・ボスタフが

脱退したデイヴ・ロンバードの後任としてスレイヤーに参加する

ため脱退。後任ギタリストとして、エージェント・スティールやデス、

オビチュアリーといったヘヴィメタルバンドを渡り歩いたジェームズ・

マーフィが加入。また、ドラマーとしてエクソダスを脱退したジョン・

テンペスタが加入する。

1994年、6thアルバム『Low』を発表。1995年にライブアルバム

『Live At The Fillmore』をリリースするが、レーベルからの離脱、

度重なるメンバーチェンジなどで身動きの取れない状況に陥り、

活動停止を経て一時解散する。

1997年に再始動し、7thアルバム『Demonic』をリリース。ギタリスト

としてグレン・アルヴェライスが再加入、ドラマーとしてダーク・

エンジェルやデスで活躍したジーン・ホグラン(1997年、Strapping

Young Ladの活動に戻るため脱退)が迎えられる。

以降のテスタメントはバンドというよりも、チャックとエリックの

プロジェクトとして活動していくようになる。

1998年、グレン・アルヴェライスが脱退。1999年には8thアルバム

『The Gathering』を発表。ギタリストとして『Low』に参加した

ジェームズ・マーフィーを、ベーシストとして、セイダスやデスで

活動していたスティーヴ・ディジョルジオを、ドラマーとして

元スレイヤーのデイヴ・ロンバードを迎える。

『The Gathering』リリース後まもなくジェイムズ・マーフィーが

脳腫瘍に倒れ、手術の末に一命を取り留める。ほどなくして、

2001年に今度はチャック・ビリーが精上皮腫と診断される。

治療費をまかなうためのチャリティ・コンサートが開かれるなど

支援の輪が広がり、その甲斐もあってビリーは難病を克服した。

2005年5月には、チャック、エリック、アレックス、グレッグ・

クリスチャン(B)、ルイ・クレメンテというオリジナルライン

アップで、期間限定のリユニオンツアーをヨーロッパで行った。

2007年、ポール・ボスタフがドラマーとして復帰。2008年4月、

9年ぶりの新作となる9thアルバム『The Formation Of Damnation』

をリリース。『More Than Meets The Eye』など11曲を収録。

2011年、ポール・ボスタフが再び脱退。ジーン・ホグランの再加入

を経て、2012年7月に10thアルバム『Dark Roots of Earth』を発表。

一週間で2万枚以上を売上げ、全米12位を記録する。

2014年1月13日には、グレッグ·クリスチャンが再び脱退。

スティーブ・ディジョルジオが後任としてバンドに復帰している。

 

 

Testament – Electric Crown

 

Testament – Low

 

 

 

 

Slayer

Slayer(スレイヤー)は、1981年に結成されたアメリカのスラッシュ・

メタルバンド。

1981年にケリー・キング(G)とデイヴ・ロンバード(Ds)が意気投合

し、ケリーが以前に「Quits」というバンドで一緒にプレイしていた

チリ出身のトム・アラヤ(Vo,B)と、ジェフ・ハンネマン(G,2011年

より壊死性筋膜炎のため療養していたが、2013年5月2日 肝不全に

より死去)を勧誘し結成された。

メタリカ、メガデス、アンスラックスらのバンドと共に「BIG 4(スラッシュ

メタル四天王)」の1つであり、他の三者が音楽性を変えた後も

スラッシュ・メタルの道を突き進んでいる。1986年にリリースされた

アルバム『Reign in Blood』はイギリスの音楽情報誌”Kerrang!”に

the heaviest album of all time by Kerrang!”と評された。

歌詞やアルバムのジャケットに用いられる、死、自殺、精神異常、

死体、サタニズム、連続殺人犯、戦争などといったテーマが

しばしば議論を呼び、アルバムの発売禁止及び延期、訴訟に発展

し、80年代にはペアレンタル・アドバイザリーの標的にもなった。

1983年のデビュー時から2枚のライヴ・アルバム、1つのボックス

セット、4つの映像作品、2枚のEP、11枚のアルバムをリリースし、

4枚のゴールドディスクを獲得している。グラミー賞には3回ノミネート

され、2007年には『Eyes of the Insane』が、2008年には『Final Six

が最優秀メタル・パフォーマンスに選ばれた。全米でのアルバム

総売上は350万枚を超え、『Ozzfest』や『Unholy Alliance Tour』

などのロックフェスティバルではヘッドライナーを務めるほどの

人気を有している。

現在のメンバー

・トム・アラヤ (Vo,B,1981-現在)

・ケリー・キング(G,1981年-現在)

・ポール・ボスタフ(Ds,1992-1996,1997-2001,2013-現在)

・ゲイリー·ホルト(G,2011年-現在)

 

※2018年2月24日追記

2018年1月22日、スレイヤーは最後のワールド・ツアーを行う

ことを発表した。

北アメリカのツアーにはラム・オブ・ゴッド、アンスラックス、

ベヒーモス、テスタメントなどが参加するという。

ギタリストのゲイリー・ホルトはスレイヤーの解散にともなう

アルバムのリリースはないと述べた。

 

Slayer – Angel of Death

 

Slayer – Dittohead

 

 

 

Metallica

Metallica (メタリカ) は、アメリカのヘヴィメタルバンド。

1981年にロサンゼルスで、ジェイムズ・ヘットフィールド

(Vo,G) とラーズ・ウルリッヒ (Dr) らが中心になって

結成された。

初期はスレイヤー、アンスラックス、メガデスと共に

「スラッシュメタル四天王」の一角と言われたが、その後

グルーヴ・メタル、オルタナティヴ・ロックなどへの

接近を経て、現在の立ち位置を確立。「問題作」の多さが

取りざたされることも多いが、1990年代に全米アルバム

総売り上げ4位を記録するなど、商業的な成功を得ている。

ラーズの友人であるサンフランシスコ地区メタル・プロモーターの

ロン・クインターナが新しいメタル雑誌の名前を、ラテン語で

「金属」を意味する『Metallica』にしようとした際、ラーズが

すぐに別の名前『Metal Mania』を提案し、『Metallica』という

名前は自分とジェイムズが始めたバンド名にすることを決めた。

スラッシュメタルというジャンルの先駆者としても知られ、1st

アルバムではNWOBHMとモーターヘッドの両者の影響を存分に

受けた、ハードコア的でもあるヴァイオレントさの横溢する

スピードメタルであったが、2nd~4thアルバムでは叙情的な

フレーズと冷徹なリフのコントラストを練られた構成の楽曲の

なかで表現する、オーセンティックな美意識にも通ずる

ヘヴィメタルへと変化した。

歌詞の題材は、自己の内面や死、孤独、狂気、核戦争、

司法システムの矛盾、表現の自由などシビアな内容が多く、

その中で文学作品や映画からのインスパイアも少なくない。

 

Metallica – Metal Militia

 

Metallica – Master Of Puppets

 

 

 

 

Pantera

Pantera(パンテラ) は、アメリカのヘヴィメタル・バンド。

1981年、テキサス州ダラスで、ギタリストのダレル・ランス・アボット

(後のダイムバッグ・ダレル,1966年8月20日-2004年12月8日)と

ドラマーのヴィンセント・ポール・アボット(後のヴィニー・ポール)

のアボット兄弟を中心に結成される。当初は「Pantera’s Metal Magic」

と名乗っていたが、1982年にバンド名を短くし「Pantera」と改名

した。なお、Panteraとはラテン語、イタリア語、ポーランド語、

スペイン語、ポルトガル語などでヒョウを意味すると同時に彼らの

出身地であるテキサス州パンテゴ(Pantego) に由来するもので

あった。

同年にヴォーカリストとしてテリー・グレイズ、ベーシストとして

Rexx Rockerことレックス・ブラウンが加入しメンバーが固定化

される。バンドはドッケンやクワイエット・ライオットなどのサポート

を務め、各地でライヴを行う。1983年、地元パンテゴのスタジオで

デビューアルバム『Metal Magic』をレコーディングし、自主レーベル

「メタル・マジック」よりリリース。プロデューサーはアボット兄弟の

父であるジェリー・アボットが務めた。

1984年、二枚目のアルバム『Projects in the Jungle』を同じレーベル

とプロデューサーの下でリリース。また、収録曲『All Over Tonight

のミュージック・ビデオが制作された。1985年、三枚目のアルバム

『I Am the Night』をリリース。収録曲『Hot and Heavy』が、2作目の

ミュージックビデオとして制作された。

音楽性の相違から1986年にテレンスが脱退。バンドは新しい

ヴォーカリストを探し、1987年にニューオーリンズ出身のフィル・

アンセルモと出会い、バンドに迎える。1988年、新体制のもとで

アルバム『Power Metal』をリリース。同作は1980年代のハード

ロックとスラッシュメタルを融合したサウンドを持ち、彼らの

過去の作品と比較して最もヘヴィなものに仕上がる。これには

アンセルモの重く鋭いヴォーカル・スタイルが影響していた。

これに手応えを感じたバンドはそれまでのグラムメタルの音楽性や

イメージを捨て去ることを決意。後にグルーヴ・メタルと称される

独自の音楽性を追求し始める。

1990年7月24日、アルバム『Cowboys from Hell』をリリース。

1992年2月25日、『Vulgar Display of Power』をリリース、全米チャート

44位を記録する。アンセルモによる歌唱はハイトーンボイスから

力強いハードコア系へと変わり、ギターサウンドもより重いものと

なった。セールス面ではダブル・プラチナムを記録し、収録曲の

Walk』や『Mouth For War』、『Fucking Hostile』は代表曲となった。

この時期からダレルはダイムバッグ・ダレル、レックスはレックス・

ブラウンと名乗るようになる。

1994年3月22日、『Far Beyond Driven』をリリース、アメリカ、

オーストラリアでチャート1位を獲得する。翌年、アルバム

『Far Beyond Driven』からのシングル『I’m Broken』が

バンドとしては初のグラミー賞、『ベスト・メタル・パフォーマンス』

部門へのノミネートを獲得する。

アンセルモが酒とドラッグにのめり込むようになり、同時に、

自身のサイドプロジェクト「Down」や「Superjoint Ritual」に

時間を費やすようになったことから、アンセルモとアボット兄弟が

次第に距離を置くようになる。

1996年5月7日、『The Great Southern Trendkill』をリリース。

7月13日、アンセルモがヘロインの過剰服用により心停止、何とか

一命を取り留めるも、バンドメンバーとの溝が更に深まる。

1997年、『Official Live: 101 Proof』をリリース。2000年3月14日、

『Reinventing the Steel』をリリース。2003年、サイドプロジェクト

に注力するアンセルモとパンテラの活動継続を望むアボット兄弟の

溝が決定的になり、解散に至った。

 

※2018年6月23日追記

2018年6月23日未明、元パンテラ、ヘルイェーのドラマーの

ヴィニー・ポールが54歳で死去した。

死因についての詳細はなく、遺族はプライバシーの配慮を

求めている。

 

 

Pantera – Cowboys From Hell
     

 

Pantera – Mouth For War