ハードロックやへヴィメタルバンドのフロントマンが
ヴォーカリストの場合、実力ももちろんですが、
できれば見た目も美しいほうがイイと思いませんか?
ということで、今回はそんな実力と美貌を兼ね備えた
アメリカ、ヨーロッパ出身のアーティストをご紹介します。
Sebastian Bach
Sebastian Bach(セバスチャン・バック、1968年4月3日-)は
バハマ生まれ。
Skid Row(スキッド・ロウ)の元リード・シンガー。
ソロのヘヴィメタル・ミュージシャンとして並行して活動も
行っている。通称バズ。身長193cm
父親は画家のデイビット・バーク(カナダの有名な画家)。
息子が在籍するSkid Rowの2ndアルバム『Slave to the Grind』
及びセバスチャンのアルバム『Angel Down』のアートワークを
手がけた。
妻マリア(現在は離婚)との間に息子2人(パリス、ドラマーと
して活動中、ロンドン)、娘1人(セバスティアナ、2007年生)
がいる。
2011年8月、彼の住んでいたニュージャージー州リンクロフトの
自宅が大型ハリケーンアイリーンによって破壊された。
Skid Rowのマスターテープを含みKISSのガーゴイルなどの
アーティファクトは破壊されたが、画家だった父親による
Skid Row『Slave To The Grin』のジャケットの壁画、漫画本の
コレクションは運び出されて無事であった。
現在、彼はカリフォルニア州ロサンゼルスに住んでいる。
Skid Row
Skid Row(スキッド・ロウ)はアメリカのハードロックバンド。
1986年、ニュー・ジャージーで結成された。
1986年ニュージャージー州のトムズリヴァーで、ギタリストの
デイブ・スネイク・セイボと、ベーシストのレイチェル・ボラン
を中心に結成された。
後にスコッティ・ヒル、ロブ・アフューソが加わり、ヴォーカル
は元アンスラックスのマット・ファローンからセバスチャン・
バックに代わり、1987年に初期のラインアップが揃う。
バンドはアメリカ東部やクラブでのショー等を通して活動し、
知人であったジョン・ボン・ジョヴィが運営するレーベル
「New Jersey Underground」の協力を得てアトランティック・
レコードからプロダクターであるマイケル・ワグナー(オジー・
オズボーン、ホワイトライオンやエクストリームのサポートでも
知られる)のサポートを受け、1989年にデビューした。
代表曲は『Youth Gone Wild』、『Monkey Business』、
『I Remember You』、『18 And Life』など。
Skid Row – Youth Gone Wild
Skid Row – Monkey Business
Michael Sweet
Michael Sweet(マイケル・スウィート,1963年7月4日生まれ)
は、アメリカ、カリフォルニア州ホイッティアー出身の
シンガー・ソングライター、ギタリスト。
クリスチャン・メタルバンドStryper(ストライパー)の
フロントマンとして知られている。
また、Bostonのリード・シンガーのブラッド・デルプが2007年
からの全米ツアー直前に急逝したことにより、2008年、急きょ
マイケル・スウィートがツアーに参加した。Bostonには2011まで
在籍していたが、同年8月、ストライパーの活動再開にともない、
バンドに専念したいという理由で脱退を発表している。
Robert Sweet
ストライパーは当初、マイケル(ヴォーカル・ギター、弟)と
ロバート(ドラム、兄)のスウィート兄弟と、オズ・フォックス
(ギター)を中心に、Roxx Regimeというバンド名で活動していた。
ティム・ゲインズ(ベース)の加入後バンド名をストライパーに
変更、1984年7月10日、デビューEP『The Yellow And Black Attack』
をリリースした。
Stryper
Stryper(ストライパー)は、アメリカ・カリフォルニア州出身の
ヘヴィメタルバンド。
1983年の結成から1992年の解散まで、主に1980年代に活躍し、
クリスチャン・メタルの先駆者として知られる。
キリストを賛美するような歌詞や、ライヴではステージ上から
聖書を投げるといったパフォーマンスで知られておりLAメタル
シーンの中でも異色のバンドであった。
ストライパーというバンド名は、イザヤ書53章5の文中の”stripe”
という単語に由来する。なお、イザヤ書53章5(ISAIA 53:5)の文字
は、彼らの幾つかのアルバムジャケットにバンドロゴと並んで
見ることができる。
1984年7月21日、デビューEP 『The Yellow And Black Attack』
をリリース。
しかし、ボン・ジョヴィやラットらと同じカテゴリーのバンドと
して世に出たため「彼らは本物のクリスチャン・バンドではない」
などの批判を浴びせられていた。
1985年3月15日、彼らは初のフルレンクス・アルバムである
『Soldiers Under Command』をリリースした。このアルバムは
初のゴールド・ディスクに輝き、50万枚以上のセールスを記録
した。この成功を受け、彼らのレコードレーベル、エニグマ・
レコードはデビューEPの 『The Yellow And Black Attack』を
20万枚と極めて少ないセールスを補うため、トラック2曲を
追加し新しいカバーアートで1986年8月10日に再リリースした。
1986年10月24日、3rdアルバム『To Hell With The Devil』を
リリース。アルバムはRIAAよりプラチナに認定された。
『Calling On You』や、彼らの中でも最もよく知られた曲の一つ
である『Honestly』のヒットも手伝って100万枚以上のセールス
を記録。
彼らの中で最も成功したアルバムというだけでなく、クリスチャン・
メタルバンドとして初の成功を収めるという偉業を達成した。
1988年7月28日、4thアルバム『In God We Trust』をリリース。
アルバムはゴールドを獲得し『Always There For You』が大ヒット
した。しかし、このアルバムは以前にも増してポップなサウンドと
なり売れ線に走ったと批判された。
1990年、5thアルバム 『Against The Law』をリリース。しかしこの
アルバムは従来のストライパーのイメージとは著しく変化しており、
アルバムジャケットに必ず黒と黄色のカラーが含まれていたり、神を
賛美するような歌詞というような彼ら独特の要素が一切排除された。
その一方でバンドは黒い革のパンツやレザーというようなオールド・
メタルのイメージに一転し、サウンドもより重厚かつヘヴィなものに
変貌した。この大きな変化に関して、ドラマーのロバート・スウィート
は「前作のポップなイメージを払拭したかった」と語っている。
そして1992年2月までのツアー終了後、ソロ活動を理由にマイケルが
バンドを脱退。その後オズ・フォックスがギターとヴォーカルを兼任
してヨーロッパを回ったが、アメリカへ帰国後に自然消滅という形で
バンドは解散する。
1993年、ギタリストのレックス・キャロル(元Whitecross)を中心に
結成されたスーパーグループKing Jamesにロバート・スウィートと
ティム・ゲインズが参加。1994年『King James』をリリースした。
また、ゲインズはオズ・フォックスとともにSinDizzyというバンドを
結成。1998年、アルバム『He’s Not Dead in 』をリリースした。
2003年、バンドはHollywood Recordsから20周年記念に向けてオリジナル
メンバーによるコンピレーションアルバムをレコーディングするよう依頼
を受けた。そしてアルバムのリリースに向け、オリジナルメンバーにより
ストライパーが再結成される。同年『7: The Best of Stryper』をリリース。
フロントマンの マイケル・スウィートは、アルバムに収録するため2曲を
書いた。バンドはアメリカで36回の公演を行い、プエルトリコのサンフアン
でツアーを終えた。
翌年『7 Weeks: Live in America, 2003』というライブアルバムがリリース
された(2006年にはジャック・エドワード・ソーヤーズ製作・監督による
プエルトリコ公演の模様を収録したDVD『Greatest Hits-Live In Puerto Rico-』
がリリースされた)。
2004年、オリジナルメンバーのティム・ゲインズが脱退。2010年のゲインズ
の復帰まで、このプエルトリコでの公演がオリジナル・ラインアップでの
最後の活動となった。後任にはTracy Ferrie(ボストン)が迎えられた。
2005年、彼らにとって15年ぶりのオリジナル・アルバム 『Reborn』が
リリースされた。
この作品はオルタナティヴ・ミュージックやグランジの側面を取り入れた
モダンなサウンドに仕上がっており、全ての曲がマイケル・スウィートに
よって書かれ、歌詞は以前のような神を賛美するようなものに戻った。
2008年の6月よりマイケル・スウィートはボストンに加入。リード・シンガー
としてサマーツアーに参加している。
2010年、バンドはオリジナル・メンバーで25周年記念ワールドツアー
「Rocking the Hell Out of You for 25 years」に乗り出し、オープニングアクト
としてManic Drive、マイケル・スウィートの息子マイケル・スウィートJrが
在籍するバンドFlight Patternsが出演した。
Stryper – Soldier under command
Stryper – Calling On You
Tom Keifer
Tom Keifer(トム・キーファー、本名:カール・トーマス・キーファー
1961年1月26日-)はアメリカ、ペンシルベニア州スプリングフィールド
出身のミュージシャン、ソングライター。
へヴィメタルバンド、シンデレラのリード・シンガー、ギタリスト。
1983年、キーファーはベーシストのEric Brittingham
(エリック・ブリッティンガム)とロックバンド、シンデレラ
を結成すべくバンドのヴォーカル探しをしたが結局見つからず、
キーファーがリード・シンガーの役割を引き受けた。
ハスキーな声質でブルージーな彼独自のヴォーカル・スタイルは
ジャニス・ジョプリンに強く影響を受けたものである。
また、彼は音楽一家に育ち、子供のころよりギターを弾き始め
ブルースに親しんできたという。
そういう背景もあり、ブルースに強い影響を受けた彼の音楽性は
のちの音楽活動に強く反映されることとなる。
Cinderella
Cinderella(シンデレラ)は、アメリカのハードロック、
グラムメタルバンド。
1983年、ペンシルベニア州フィラデルフィアでトム・キーファー
(Vo,G )とエリック・ブリッティンガム(B)を中心に
Michael Kelly Smith(Michael Smerick,ex-Britny Fox,G)、
Tony Destra(Ds、ex-Britny Fox、1954年9月20-1987年2月8日)
により結成された。
1985年、彼らはフィラデルフィアのEmpire Rock Clubで
ジョン・ボン・ジョヴィの目にとまることとなる。
同年、ギタリストのマイケル・ケリー・スミス、ドラマーの
トニー・デストラがBritny Foxに参加するためバンドを脱退。
後任としてギタリストのジェフ・ラバー、ドラマーのジム・
ドルネックがバンドに加入する。
ジョン・ボン・ジョヴィによって発掘されたバンドは、彼らと
同じレーベルに所属し、アルバムをレコーディングする。
Bon Joviとの全米ツアーを果たし、1986年、デビュー・アルバム
『Night Songs』をリリース。アルバムはビルボード200で3位に
達し、RIAAよりトリプル・プラチナに認定された。
1988年、脱退したジム・ドルネックの後任ドラマーとして
フレッド・コーリー(Arcade, London)が加入。同年2ndアルバム
『Long Cold Winter』をリリース。アルバムからは4枚のシングル
『Gypsy Road』、『Don’t Know What You Got (Till It’s Gone)』、
『The Last Mile』、『Coming Home』がリリースされた。
アルバムはビルボード200で10位に達し、1997年1月23日、RIAAに
よりトリプル・プラチナに認定された。
2022年追記
ジェフ・ラバーが2021年7月14日、テネシー州ナッシュビルのアパートで
58歳で亡くなった。
妻のデビニーク・サラザール・ラバーは、彼が意識を失っているのを発見した。
死因は明らかにされていない。
ラバーの家族は、PR担当者を通じて次の声明を発表した。
「シンデレラは、日本で非常に強力なファンベースを持っていました。
ジェフにとっても、彼の母親ジューンが生まれ育った場所として特別な
国でした。彼はいつも彼女とその家族を日本でのバンドのライヴに
連れて行き、母と息子の両方にとって人生のハイライトでした。
ジェフが年をとるにつれて、音楽への愛情は料理芸術への情熱に変わり、
彼の料理はジューンの日本の伝統に触発されました。
彼は、ラバー家の標準的な料理を再解釈し、独自のセンスを加えました」。
ラバーには、以前の結婚でセバスチャンという名前の息子がいる。
セバスチャンは、Mach22とTantricというバンドでリードギターを担当
している。
Cinderella – Nobody’s Fool
Cinderella – Somebody Save Me
Nelson
Nelson(ネルソン)は、アメリカのロックバンド。
1990年、マシュー(弟)とグンナー(兄)の双子のネルソン兄弟を
中心に結成された。
アイドルカントリー歌手であるリッキー・ネルソンを父に持つ。
2人は幼いころから音楽に関心を示し、グンナーはかつて
インタビューにおいて、マシューとともに6歳のころから曲を
書いていたと語っていた。
飛行機墜落で彼らの父が亡くなったことをきっかけに、マシュー
とグンナーは本格的に音楽活動を開始。祖父や父に続き音楽の
世界で必ず成功をすると決意する。
父の死から一年後、彼らのマネージャーはサタデー・ナイト・
ライヴのローン・マイケルズにマシューとグンナーを紹介。
マイケルズは音楽の才能があるゲストとして番組で取り上げた。
ネルソン兄弟はショーでプレイする最初の無契約バンドとなった
(グンナーがドラムを、マシューがリードヴォーカルとベースを
担当)。兄弟はひらめきを共有することができ、バンドとして
ブレイクすると直感したマイケルズは、グンナーにエレキギターを
学ぶよう伝えた。
彼らはレコード契約を獲得するべく、ゲフィン・レコードのA&R
(アーティスト・アンド・レパートリーの略)のエグゼクティヴ
であるジョン・カロドナーと接触する。
ジョン・カロドナーはマーク・タナーを紹介。彼らにアルバムの
ための十分な曲を準備する期間、彼らの持って来た曲をフィルター
にかけ、ソングライティングのスキルを磨くよう勧める。
1年後、彼らの『(Can’t Live Without Your) Love and Affection 』の
アコースティックバージョンを聴いたカロドナーは感銘を受け、
彼らはすぐにゲフィン・レコードと契約する。
マシューとグンナーは高校時代に一緒にギターをプレイしていた
ジョーイ・キャスカートに声をかけた。また、2人はMTVミュージック・
アワードでドラマーのボビー・ロックに出会い、彼がまだヴィニー・
ヴィンセント・インヴェイジョンに在籍していたころ連絡を取り合い、
ヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョンが解散した後バンドに加入。
ギタリストとしてブレット・ガーストが加入。そしてキーボーディスト
として以前一緒にアルバムのデモセッションをしたポール・マーコビッチ
に連絡をとり声をかけた。このラインアップでネルソンとして活動を
スタートする。
1990年、デビューアルバム『After the Rain』をリリース。
ビルボードホット100で1位となった『(Can’t Live Without Your)
Love and Affection』、タイトルトラック『After the Rain』(6位)、
『More Than Ever』(14位)、『Only Time Will Tell』(28位)の
4枚のシングルを収録。アルバムはビルボード200で17位に達し、
64週にわたってチャートインした。『After the Rain』はRIAAにより
ダブル・プラチナに認定された。
アルバムごとにサウンドは変わるが、基本にあるのはカントリー・
ミュージックとハードロック。それらを融合させたキャッチーかつ
透明感に溢れた楽曲が魅力である。 また、双子ならではのツイン・
ヴォーカルによる一糸乱れぬハーモニーも魅力のひとつである。
ネルソン兄弟は父親譲りの優れた容姿のため、デビュー当初アイドル
として売り出された事から、イロモノ的に見られることもあるが、
父親と同様に優れたメロディメーカーでもある。
Ricky Nelson
ネルソン一家は祖父のOzzie Nelson(オジー・ネルソン、
1906年3月20日-1975年6月3日)、父のRicky Nelson
(リッキー・ネルソン、1940年5月8日-1985年12月31日)、
そしてネルソン兄弟と「親子三世代に渡り全米1位を獲得した
家族」としてギネスブックに登録されている。
Ozzie Nelson Orchestra『Dream A Little Dream Of Me』
Ricky Nelson『Hello Mary-Lou』
Nelson – (Can’t Live Without Your) Love And Affection
Nelson – After the Rain
Charlie Sexton
Charlie Sexton(チャーリー・セクストン,1968年8月11日-)は
アメリカ、テキサス州出身のギタリスト、シンガー・ソングライター。
テキサス州サンアントニオで生まれる。そのとき彼の母はまだ16歳
であった。
幼い頃にオースティンに移る。少年時代にブルーグラスやブルースの
影響を受け、ギターを弾くようになる。
16歳の時、ドン・ヘンリー(イーグルス)のソロ・アルバム
『Building The Perfect Beast』(1984年)にギタリストとして参加。
また、映画『Wild Life』(日本未公開)のサウンドトラックで
ロン・ウッドと共演。
1985年、17歳の時ビリー・アイドルを手掛けたキース・フォージー
をプロデューサーに迎えMCA Recordsよりデビュー・アルバム
『Pictures for Pleasure』をリリース。
アルバムに収録の『Hold Me』は、1933年にLittle Jack Little,
Dave Oppenheim,Ira Schuster(ジャック・リトル、デイビッド・
オッペンハイム、アイラ・シュスター)によりリリースされた
ポピュラーソングのカヴァー。
キース・フォージーとの共作『Beat’s So Lonely』はビルボード・
ホット100で17位、アルバムはビルボード200で15位に達した。
彼のルーツであるブルース・ロックとは異なるニューウェーヴという
ジャンルで商業的にも成功を収めた。
その音楽性の高さと端正なルックスから日本でも人気を獲得し、
1986年に初の日本公演を行う。
1989年、自己の名前を冠したアルバム『Charlie Sexton』をリリース。
ビルボード200で104位となる。
1990年、ドイル・ブラムホール(テキサス州オースチン出身、R&Bの
音楽シーンで活動していたドラマー、シンガー・ソングライター)の息子
ドイル・ブラムホールII(Vo,G)、スティーヴィー・レイ・ヴォーン
(1990年8月27日、演奏終了後搭乗したヘリコプターが墜落し35歳の
若さで事故死した)のバンド、ダブル・トラブルのクリス・レイトン
(Ds)、トミー・シャノン(B)とブルース・ロックバンドArc Angels
(アーク・エンジェルス)を結成。Geffen Recordsよりセルフタイトルの
デビューアルバム『Arc Angels』をリリース。
プロデューサーにSteven Van Zandt(スティーヴン・ヴァン・ザント)
を迎えたアルバムはビルボード200で127位に達し、ファンや評論家より
好評を得たが、バンドはメンバー間のコミュニケーションの欠如
(特にブラムホールの薬物問題)により軋轢が生じ、活動から3年ほどで
解散してしまう。
1995年、Charlie Sexton Sextetを結成。『Under the Wishing Tree』を
リリース。アルバムは肯定的なレビューを受けたが、商業的に成功を
収めることができなかった。
1998年、チャーリーは弟のウィル・セクストンとの活動に時間を割く
ようになり、Will and the Killというバンドで活動した。
1999年、ボブ・ディランのバック・バンドに加入。
2002年には、セクストン、レイトン、ブラムホールのオリジナルメンバー
(シャノンは不参加)でアーク・エンジェルスを再結成。オースティンや
ダラス周辺でライヴを行った。
2005年、Back Porchより通算4枚目となるアルバム『Cruel and Gentle
Things』をリリース。
2014年、セクストンは映画『Boyhood』にイーサン・ホークの友人役で
出演した。
Arc Angels
Arc Angels(アーク・エンジェルス)はアメリカ、テキサス州
オースティンで1990年初頭に結成されたブルース・ロックバンド。
1993年にいったん解散するが、2002年より時々集まりライヴ
活動をしていた。
バンドは2005年に撮影されたコンサートやツアーの映像、音源
などをライブアルバム/DVDとしてリリースするための作業を
開始すると発表。
2009年に2ndアルバム『Living in a Dream CD/DVD』がリリース
された。以降、バンドは表立った活動はしていない。
現在のメンバーはドイル・ブラムホールII(Vo,G)、
チャーリー・セクストン(Vo,G)、クリス・レイトン(Ds)、
マーク・ニューマーク(B,ツーリングメンバー)。
、
Charlie Sexton – Hold Me(Little Jack Little,David Oppenheim,Ira Schuster)
Arc Angels – Living in a Dream
Jani Lane
Jani Lane(ジェイニー・レイン、本名:ジョン・ケネディ・
オズワルド、1964年2月1日-2011年8月11日)はアメリカ、
オハイオ州出身のシンガー・ソングライター。レコーディング・
アーティスト。ロック・バンドWarrantのリード・シンガーと
して知られている。
Warrantのリードシンガーとして、またバンドの全ての楽曲を
手がける中心的存在であった。LAメタルのロックアンセムと
されている『Cherry Pie』(1990年)のミュージック・ビデオ
に出演していたモデル、ボビー·ブラウンと1992年に結婚。
一女をもうけるが1993年に離婚。
その後も2度の再婚をし、2人目の妻との間に娘(マディソン、
1997年-)がいる。
2004年、ソロ活動のためバンドを脱退。スタジオアルバム、
カヴァー・アルバムをリリース。
2010年にはSiam Shadeのトリビュート・アルバムで『1/3の純情な感情』
をカヴァーしている。
2011年8月11日、カリフォルニア州、コンフォートインホテルウッド
ランドヒルズで急性アルコール中毒により47歳で死去した。
Warrant
Warrant(ウォレント)は、アメリカのハードロック、ヘヴィメタル
バンド。
1984年にギタリストのエリック・ターナーを中心に結成された。
結成後程なくしてベーシストのジェリー・ディクソンが参加。
1986年、Plain Janeで活動していたシンガーのジェイニー・レインが
引き抜きを経て参加。その後スティーヴン・スウィート(Ds)、
1987年にはジョーイ・アレン(G)が加入しデビュー時のラインアップ
が完成する。
1989年リリースのデビュー・アルバム『Dirty Rotten Filthy Stinking
Rich』はビルボード200で10位に達し、ダブル・プラチナを獲得した。
アルバムから『Down Boys』、『Big Talk』、『Sometimes She Cries』、
『Heaven』の4枚のシングルがリリースされた。
ミュージック・ビデオもつくられた『Heaven』は、メインストリーム・
ロックチャートで3位、ビルボード・ホット100で2位となり、バンド
最大のヒットとなる。
1990年に2ndアルバム『Cherry Pie』をリリース。ビルボード200で
7位に達しRIAAよりダブル・プラチナに認定された。タイトルトラック
『Cherry Pie』(メインストリーム·ロックトラックチャート19位)や
『I Saw Red』、『Uncle Tom’s Cabin』(メインストリーム・ロック
チャート19位、ビルボードホット100で78位)、『Blind Faith』の
シングル、ミュージック・ビデオがリリースされた。
80年代初期頃より、彼らのような、大きく立てた髪に革着用と
いったスタイルのバンドが多く出現するようになり、Poison、
Mötley Crüe、Queensrÿche、Cinderella、Kingdom Comeと
いった一連のバンドによるミュージック・ビデオは、彼らを認めた
巨大メディアであるMTVが多くの聴視者に配信するようになり、
LAメタル、グラムメタル(ヘアメタル)は一大ムーヴメントとなった。
1992年、3rdアルバム『Dog Eat 』をリリース。ビルボード200で
25位に達した。『Machine Gun』(メインストリーム・ロックチャート
36位)、『The Bitter Pill』がシングル・リリースされ、バンドは
90年代前半まで成功をおさめた。
その後、折からのグランジ・ブームや、長年のマネージャー
Tom Huletの死により、バンドはレーベルから契約解除される。
また、2004年ジェイニー・レインがアルコールと薬物の問題に
よりバンドを脱退。
長らくバンドを離れていたスティーヴン・スウィートとジョーイ・
アレンがバンドに復帰、シンガーを除いたデビュー当時のライン
アップが結集。バンドは元ブラック・アンド・ブルーのジェイミー・
セント・ジェイムズをシンガーに迎え、2006年にディクソン、
ターナー、ジェイムズの三人が中心となって制作しL.A.メタル然と
したデビュー当時の音楽性を復活させたアルバム『Born Again』を
リリースした。
2008年、ジェイニー・レインが再びバンドに復帰。十数年ぶりとなる
オリジナル・ラインアップでの活動を再開したもののライヴでの
パフォーマンスの悪さを理由にバンドはレインを解雇。後任として
元リンチ・モブのロバート・メイソンが加入した。
Warrant – Heaven
Warrant – Uncle Tom’s Cabin
Michael Monroe
Michael Monroe(マイケル・モンロー、本名:Matti Fagerholm
(マティ・ファーゲルホルム)、1962年6月17日 – )は、
フィンランド出身のロック・ミュージシャン。
1980年に結成されたフィンランドのロックバンド、Hanoi Rocks
(ハノイ・ロックス)のリード・シンガーとして知られる。
一部の曲ではサックスも担当。
ストレート・エッジを貫いており、体調管理には最善の注意を
払っている。
環境問題の観点から、自動車は所持せず自転車を主な移動手段
としている。戦争や貧困問題にも興味があり、インタビューの
際には環境問題や戦争、貧困問題について語ることがある。
そういった真摯な姿勢からファンも多く、彼をリスペクトする
ミュージシャンは多い。
Hanoi Rocks
Hanoi Rocks(ハノイ・ロックス)は、1980年ヘルシンキで
マイケル・モンローとアンディ・マッコイを中心に結成された。
1981年のデビュー以来、メロディアスで小気味の良いロック・
ナンバーをリリースする。
本格的な全米デビューを控えていた矢先の1984年、ドラマーの
ラズルがヴィンス・ニール(モトリー・クルー)の運転する車に
乗車中、事故に遭い死亡。代役を入れるなどしたが上手く
いかず、翌1985年に解散した。
活動当時はあまり知名度が高くなかったが、解散後、ガンズ・
アンド・ローゼズやスキッド・ロウ、日本ではZIGGYなどが彼らに
影響を受けたと話すようになり、次第に有名になっていった。
往年のメンバーはそれぞれの道を歩んでいたが、2001年に
マイケルとアンディによって復活。3作のアルバムをリリースし、
ファンの期待も大きかったが2008年に再び解散した。
Hanoi Rocks – Tragedy
Hanoi Rocks – Malibu Beach Nightmare
Vince Neil
Vince Neil(ヴィンス・ニール,本名:Vincent Neil Wharton,
1961年2月8日-)は、アメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルス
出身のヴォーカリスト、航空会社社長。
アメリカのヘヴィメタルバンド、モトリー・クルーのリードシンガー
として知られている。
1981年、モトリー・クルーの初代リードシンガーとしてデビュー。
新曲を含むベスト・アルバム『Decade of Decadence』(1991年)を
最後に、モトリー・クルーを一度脱退。
1992年、映画『Encino Man(邦題:原始のマン)』に、ダム・ヤンキース
のジャック・ブレイズとトミー・ショウと共作した楽曲『You’re Invited
(But Your Friend Can’t Come)』を提供。
2枚のソロ・アルバムをリリース後、1997年にモトリー・クルーに復帰。
モトリー・クルー復帰後もソロ・ツアーは続けている。
Nikki Sixx
モトリー・クルーのリーダー、ニッキー・シックス(1987年12月23日、
ヘロインの過剰摂取により心停止を起こし生死をさまようが、緊急
医療によりなんとか一命を取り留め、それを機にヘロインから手を引いた)
やモトリー・クルーのメンバー同様、かつてはかなり破天荒な問題児と
してロック・シーンにその悪名を轟かせた。
過去に何度もバンドを実質的にはクビになっている。
しかし、彼のパワフルかつ秀逸なヴォーカル、特にその独特で唯一
無二の声質がモトリー・クルーのイメージを決定付けているため、
舞い戻っている。ライヴでも数多くの伝説的なパフォーマンスを
残している。
音楽活動だけでなく他のビジネスにも手を広げ、クラブ経営から
タトゥー・ショップ経営、2010年3月には近距離航空会社Vince Neil
Aviation社を設立した。
Mötley Crüe
Mötley Crüe(モトリー・クルー)は、1981年にロサンゼルスで結成
されたヘヴィ・メタルバンド。
結成以降「セックス、ドラッグ&ロックンロール」を地で行くキャラクター
でロックシーンを数々のゴシップで騒がせている。
現在までに全米だけでアルバム総売り上げ2500万枚以上、全世界で
8000万枚以上を売り上げている。
代表作は『Shout At The Devil』、『Smokin’ In The Boys Room』、
『Home Sweet Home』、『Wild Side』、『Girls,Girls,Girls』、
『Dr.Feelgood』、『Without You』など。
Mötley Crüe – Kickstart My Heart
Vince Neil – Siste of Pain
Phil Lewis
Phil Lewis(フィル·ルイス,1957年1月9日-)はイギリス、
ロンドン出身。イギリスのグラム・ロックバンドGirl、
アメリカのヘヴィ・メタルバンド、L.A.Gunsのリードシンガー
として知られている。
1980年にグラム・ロックバンド、Girlでデビュー、ヴォーカル
をつとめる。バンドはIron Maiden、Def Leppardなどのバンド
と同時期にデビューした。
1982に解散後、フィル・コリン(G)はデフ・レパード、
フィリップ(フィル)・ルイスはL. A. Gunsに加入し活動中。
Girl
Girl(ガール)は、1979年に結成されたイギリスのグラムメタル
バンド。
フィリップ・ルイス、ジェリー・ラフィー(G)、フィル・コリン(G)、
サイモン・ラフィー(B)、デイブ・ゲイナー(Dr)のメンバーに
より結成された。
1980年デビューアルバム『Sheer Greed』をリリース。
アルバムはUKアルバム・チャートで33位に達し、アルバムに
収録されている『Hollywood Tease』は、後にLA. Guns
(フィル・ルイスのバンド)とSheer Greed(ジェリー・ラフィーと
サイモン・ラフィー、ピート・バーナクルのバンド)によって
カヴァーされた(日本で1992年にリリースされたSheer Greed
のアルバム『Sublime to the Ridiculous』にフィル・ルイス、
フィル・コリンがゲスト参加している)。
1982年にリリースの2ndアルバム『Wasted Youth 』では、
ドラマーがピート・バーナクルからブライソン・グラハム
(1993年に死亡)に交代。ソングライティング·プロセスに貢献した。
アルバムはUKアルバム・チャートで92位に達した。
1982年にバンドは解散。解散後にリリースされた、バンドの通算
3枚目となるアルバム『Killing Time』は1997年、未発表曲に以前
のアルバムからの数曲と、カヴァー曲を追加してリリースされた。
最終メンバー
・フィル·ルイス(Vo)
・フィル・コリン(G)
・ジェリー・ラフィー(G)
・サイモン・ラフィー(B)
・ピートバーナクル(Ds)
・ブライソン・グラハム(Ds)
L.A.Guns
L.A.Guns(L.A.ガンズ)はアメリカのヘヴィメタルバンド。
1980年代に隆盛したLAメタルの末期、1988年にデビュー。
ロサンゼルスのクラブ・シーンでアクセル・ローズとともに
「ガンズ・アンド・ローゼズ」を結成していたギタリストの
トレイシー・ガンズが自らのバンドを組むため離脱。
イギリスのバンド「Girl」のリード・シンガーだったフィリップ・
ルイスとともに新バンド「L.A.ガンズ」を結成する。
ギターに元ガンズ・アンド・ローゼズのトレイシー、ヴォーカルに
元ガールのフィリップ、ベースに元ファスター・プッシーキャットの
ケリー・ニッケルズと名のあるメンバーで構成されたバンドは
デビュー前から注目を集めていた。
その勢いのまま1988年リリースのデビュー・アルバム『L.A. Guns』、
翌1989年の2ndアルバム『Cocked & Loaded』もRIAAよりゴールド
認定された。
Girl – Hollywood Tease
L.A.Guns – I Wanna Be Your Man