今回は、80年代に主に活動した、お気に入りの
ハードロック、グラムメタルバンドをご紹介します。
Shark Island
Shark Island(シャーク・アイランド)は、アメリカのハードロック、
グラムメタルバンド。
ロサンゼルスの高校で出会ったリック・チェルニー(Vo、のちの
リチャード・ブラック)とスペンサー・サーコム(G)は1979年、
Sharksの名の下、ジム・ボルピチェルリ(B)、デイヴ・ビショップ
(Ds)のラインアップで活動を開始。
Sharksは1980年に『Kid Sister』(Side.A)/『Your Car or Mine』
(Side.B)、1981年に『Hey』(Side.A)/T.レックスのカヴァー曲
『Get It On』(Side.B)、1983年に『I’m Electric』(Side.A)/
『Santa Claus Is Coming to Town』(Side.B)の3枚のシングルと、
1982年にアルバム『Altar Ego』をリリース。
数年の間に、SharksはLAのロック・シーンから出現した、最も
人気のあるバンドの一つとなった。
1985年、バンド名をShark Island(シャーク・アイランド)に変更。
バンドは、ドアーズ、ヴァン・ヘイレンやモトリー・クルーなどを
輩出したことで有名なロサンゼルスのサンセット・ストリップにある
ナイトクラブ、Gazzarri’sでのレギュラー出演を果たした。
1986年、リチャード・ブラック(リック・チェルニーから変名)、
スペンサー・サーコム、ウォルト・ウッドワードⅢ(Ds、1959年
2月10日-2010年6月8日)、トム・ルッチ(B、Key)、マイケル・ガイ
(G)のラインアップでインディーズ・レーベルよりデモ『S’cool Buss』
をリリース。このアルバムは1,200枚のみ生産された。
1989年、リチャード・ブラック、スペンサー・サーコム、
クリス・ハイルマン(B)、グレッグ・エリス(Ds)のラインアップ
でエピック・レコードよりデビューアルバム『Law of the Order』を
リリースする。アルバムから『Paris Calling』のシングル、ミュージック
ビデオがリリースされた。
シャークアイランドは、ロサンゼルスのナイトクラブでも、
ラフでエッジの効いた音でありながら、メロディアスであり、
同様に印象に残るキャッチーな曲を持つことで広く知られて
いた。
アルバムはプロモーションなしのためセールスは思わしくなく、
バンドメンバーのほとんどが他のプロジェクトに参加して
シャーク・アイランドはシーンから消えていった。
2004年11月、フランスのインディーズ・レーベルBad Reputation
Recordsから『Law of the Order』が『July 14, 1989 Bastille Day
Alive At The Whiskey』(1989年)に『Spellbound』、『Sanctuary』
のライヴヴァージョンとボーナストラック3曲を追加収録した2枚組
CDとして再リリースされ、トラック1『Father Time』、トラック2
『Dangerous』は1989年公開のアメリカ映画「Bill & Ted’s Excellent
Adventure(邦題:ビルとテッドの大冒険)」のサウンドトラックに収録
された。また、トラック3『My City』は1991年公開のアメリカ映画
『Point break』のサウンドトラックに収録された。
2005年、リチャード・ブラック、スペンサー・サーコム、
クリス・ハイルマン、グレン・ソーベル(Ds)という
ラインアップで再結成。以前に書かれた様々なデモ曲を
再収録したアルバム『Gathering of the Faithful』を
リリースした。
Shark Island – Paris Calling
Shark Island – Bad for each other
Shark Island – Shake For Me
Steeler
Steeler(スティーラー)は、アメリカのへヴィメタルバンド。
1981年、テネシー州ナッシュビルで結成された。
ロン・キール(Vo)、Michael Dunigan(G)、ボビー・エヴァ(Ds)、
ティム・モリソン(B)のオリジナル・メンバーで1982年、シングル
『Cold Day in Hell』をリリース。
バンドはカリフォルニア州イーストロサンゼルスに拠点を置き、
大きな倉庫で生活、リハーサルを行った。
1983年2月、当時19歳であったスウェーデン出身の凄腕ギタリスト、
イングヴェイ・マルムスティーンが加入。
ロン・キール、イングヴェイ・マルムスティーン、マーク・エドワーズ(Ds)、
リック・フォックス(B)のラインアップでアルバムのレコーディングを
開始する。
同年、バンド名を冠した『Steeler』をリリース。『No Way Out』や、
3分半に及ぶイングヴェイ・マルムスティーンのギター・ソロから始まる
『Hot on Your Heels』などを収録。
『Steeler』は一定の商業成果を収め、後にイングヴェイや
キールの多くのファンに珍重されるアルバムとなった。
イングヴェイはグラハム・ボネットとアルカトラズを結成する
ためにわずか1か月ほどでバンドを脱退した。
イングヴェイの損失や、バンドのメンバー・チェンジにより
バンドはレーベルとの契約ができず、ロン・キールは1984年に
バンドを解散。新しいプロジェクトを始めることを決意。
カリフォルニア州ロサンゼルスに拠点を移し、同年キールを
結成する。
最終メンバー
・ロン・キール(Vo、G、Keel、元Iron Horse)
・グレッグ・チェイソン(B、元バッドランズ)
・ボビー・マークス(Ds,元Keel)
・ミッチ・ペリー(G、元マコーリー・シェンカー・グループ)
Steeler – Cold Day In Hell
Steeler – No Way Out
Steeler – Serenade
Leatherwolf
Leatherwolf(レザーウルフ)は、アメリカのヘヴィメタル、
プログレッシヴ・パワーメタルバンド。
1981年、カリフォルニア州のハンティントンビーチで
マイケル・オリヴィエリ(Vo,G)、キャリー・ハウ(G)、
ジェフ・ゲイヤー(G)、ディーン・ロバーツ(Ds)、
Matt Hurich(B、1986年脱退。ポール・カーマンが加入)に
より結成された。
1980年代初め、ティーンエイジャーだった彼らは南カリフォルニア、
オレンジ・カウンティのメタルシーンに登場し、ウッドストックや
ラジオシティなどのライヴ会場でメタリカ、スレイヤーなどの
バンドと人気を共有した。
彼らに注目したエニグマレコード傘下のインディーズレーベル、
Tropical Recordsはバンドと契約を締結。
1984年、ランディ・バーンズのプロデュースにより、バンド名を
冠したアルバム『Leatherwolf』をリリースする。
1986年、メジャー・レーベルIsland Recordsと契約。
1987年、再びセルフタイトルのアルバム『Leatherwolf』を
リリース(すでにリリースされている『Leatherwolf』とは全く
別のアルバムで、彼らがなぜ2枚のセルフタイトル・アルバムを
持っているかについて尋ねられるとき、彼らはIsland Recordsと
契約の際、レーベル側にデビュー・アルバムにセルフタイトルを
つけるよう要求され『Leatherwolf』としてリリースしたことを
語った)。
『Rise or Fall』、『The Calling』、『Share a Dream』などが
収録されたアルバムからは『Bad Moon Rising』(クリーデンス・
クリアウォーター・リバイバルのカヴァー)のシングルがリリース
された。
1988年『Alone In The Night』が、映画「Return of the Living Dead
Part II」のサウンドトラックに収録された。
1989年『Street Ready』をリリース。タイトルトラック『Street Ready』を
はじめ『Wicked Ways』、インストゥルメンタルの『Black Knight』、
『Thunder』、『The Way I Feel』、『Lonely road』を収録。
シングル、ミュージックビデオ『Hideaway』がリリースされた。
しかし、90年代に入るとアメリカのミュージックシーンはグランジ、
オルタナティヴ・メタルに取って代り、80年代に主流であった
L.A.を発祥とするハードロックやグラムメタルバンドの多くは
人気を失っていった。
Leatherwolfは80年代の多くのハードロック、ヘヴィメタルバンドの
ファンにとって、その年代の最も過小評価されたメタルバンドの一つと
されている。
1991年、Grand Slamm Recordsから『Leatherwolf』のCDが
再リリースされた。
2003年の春にマイケル・オリヴィエリが脱退を発表。
2004年、キャリー・ハウが脱退(2008年に復帰するも、2013年に
再び脱退する)。
2006年、ウェイド・ブラック(Vo)、ジェフ・ゲイヤー、
ディーン・ロバーツ、Eric Halpern(G)、Pete Perez(B)の
ラインアップでロバーツとゲイヤーの共同プロデュースによる
アルバム『World Asylum』がリリースされた。
プロモーションビデオ『Behind the Gun』もリリースされ、
アルバムは高い評価を受ける。
2007年にマイケル・オリヴィエリが復帰。ジェフ・ゲイヤー、
ディーン・ロバーツのオリジナル・メンバーと、ピート・ペレス(B)、
Eric Halpern(G)のラインアップで『World Asylum』の
再録音バージョン『New World Asylum』をリリースする。
同年ジェフ・ゲイヤーが脱退。
2015年5月、元Leatherwolfのギタリスト、キャリー・ハウは、
元メンバーのジェフ・ゲイヤーとウェイド・ブラックをフィーチャー
した新しいLeatherwolfの名の下、スタジオ・アルバムをリリース。
これに対しオリジナル・メンバーであるディーン・ロバーツと
マイケル・オリヴィエリは同年6月、バンド名Leatherwolfの
法的所有権を主張する抗議状を元メンバーに宛てて発行した。
Leatherwolf – The Calling
Leatherwolf – Rise or Fall
Leatherwolf – Hideaway
Vain
Vain(ヴェイン)は、アメリカのスリーズロック、グラムメタル
バンド。
1986年カリフォルニア州サンフランシスコのベイエリアで
デイヴィ・ヴェイン(Vo,G)を中心に、ジェイミー・スコット
(G)、ダニー・ウエスト(G)、アシュリー・ミッチェル(B)、
トム・リカード(Ds)のラインアップで結成された。
1989年、アイランド・レコードよりPaul Northfieldとの共同
プロデュースによるデビュー・アルバム『No Respect』をリリース。
アルバムタイトル曲『No Respect』を収録。
『Beat The Bullet』、『Who’s Watching You』のミュージック・
ビデオがリリースされ、アルバムはビルボード200で154位に達した。
1991年、ヴェインは2ndアルバム『All Those Strangers』の
制作に入るが、アイランド・レコードがポリグラムの買収により
ポリグラムの傘下となり、バンドは契約を解除された
(『Do You Sleep With Strangers?』、『Shouldn’t Cry』など11曲を
収録した実質2ndアルバムとなる『All Those Strangers』は
2009年、自身のレーベルJackie Rainbow Recordsよりリリース)。
同年、ウエストとリカードがバンドを脱退する。
その後ヴェインはアシュリー・ミッチェル、ジェイミー・スコット
スティーブン・アドラー(Ds、元ガンズ・アンド・ローゼズ)、
Shawn Rorie(G)とともにRoad Crewとバンド名を変更、活動を
再開する。バンドはレーベルからの注目を集めるも、アドラーの
薬物問題により解散となる。
1993年、ウエストが復帰。ヴェインはスコット、ウエスト、
ミッチェルのオリジナル・メンバーに新たにダニー・フューリー
(Ds)を加えたラインアップでヴェインの活動を再開。
1994年、Heavy Metal Recordsより『Move On It』をリリースする。
『Breakdown』、『Ivy’s Dreams』、『Family』、『Get Up』など
を収録。
だが、グランジの影響もあり以前のアルバムのような成功を収める
ことができなかった。『Move On It』リリース直後、スコット、
ウエスト、フューリーがバンドを脱退。
1995年、ヴェインはアシュリー・ミッチェルと、新たにルイ・セニョール
(Ds)を加えたラインアップでSaraya Recordingsより『Fade』を
リリースする。ヴェインはヴォーカルとギターのほか、アルバムの
プロデュースも手掛けた。
2000年に、ジェイミー・スコットがバンドに復帰。ヴェインの
ソロアルバム『In From Out of Nowhere』の制作に貢献した。
2005年、ダニー・ウエストが復帰。Perris Recordsよりアルバム
『On The Line』をリリースする。
2011年、Jackie Rainbow Recordsより『Enough Rope』をリリース。
2016年、通算7枚目となるアルバム『Rolling With The Punches』を
リリースした。
幼少の頃はThe Isley Brothersの『Fire And Rain』など
モータウンのブラックミュージックを好んで聞いていた
デイヴィ・ヴェインは、歌手であった母からビートルズの
レコードをプレゼントされる。
それをきっかけに、エアロスミスなどのハードロックに
傾倒し始める。
17歳の時バンドに参加。彼らはあるベテランのギタリストと
セッションする機会があり、彼に「君の独特の声には光るものが
ある」と言われヴェインは自信を持つようになる。
その後バンドを転々としながら本格的に作曲とギターの練習も
始める。
自身の声で歌う曲をデモとしてレコーディングしたいという
彼の意思を尊重したバンドの女性マネージャーは友人でメタリカの
ギタリスト、カーク・ハメットを紹介する。
サンフランシスコ・ベイエリアでデモをレコーディングし、カーク・
ハメットの称賛を得た彼は自身のバンドをつくることを決意。
バンドを脱退する。
1986年、自身の名を冠したバンド、ヴェインを結成、地元
サンフランシスコでライヴなどの活動を開始する。
翌年、ヴェインは当時ティーン・エイジャーであった
ベイエリアのスラッシュメタルバンド、デス・エンジェルの
デビュー・アルバム『The Ultra-Violence』(1987年)の
プロデュースを手掛ける。
1986年から1987年にかけてロサンゼルスで定期的にプレイする
ようになり、ガンズ・アンド・ローゼズより前にロサンゼルスでの
成功を勝ち取った。そして音楽情報誌Kerrang!の表紙を飾り、
ゲフィン・レコードなど、数あるメジャー・レーベルの目に止まる
ようになる。
しかし、多くのレーベルが彼らの作った曲ではなく外部のソングライター
によるポップソングを作り、万人受けするようなミュージック・ビデオを
制作するというアイデアを持っていたため、ヴェインのヴィジョンが
反映されたアルバムをリリースさせてくれるレーベルを探した。
1988年、バンドはアイランド・レコードと契約。
デイビー・ヴェインは後にこのときのことを振り返り「我々が
アイランド・レコードと契約してしまった時、副社長なる人物に、
私はリアルで粗野でハングリーなアルバムを制作したいと言った。
そうしたら彼は「それは良い。我々はすでにU2という世界的に
有名なバンドを持っている。私はあなたがたが大物バンドになる
と期待していない。あなたはスタジオに入って、金もなく
ハングリーな、セックスのことばかり考えている若者の音楽を
作ってくれればいい」と言った」と明かした。
1989年『No Respect』リリース後にアイランド・レコードは買収
され、バンドは契約を失ってしまう。その後Road Crewの名の下
活動を続けるがすぐに解散。
1993年、ヴェインでの活動を再開。現在まで活動を続けている
2000年、ヴェインはソロアルバム『In From Out of Nowhere』を
リリース。バンドメンバーのスコット、ミッチェル、セニョールが
参加した。
※追記
2017年、オリジナルメンバーでギタリストのジェイミー・スコットは、
Dylana Novaと名前を変更したこと、トランスジェンダーであること、
そして今後は、本来の自分の性である女性として生きていくことを公表した。
Vain – Beat The Bullet
Vain – Who’s Watching You
Vain – Without You
Baton Rouge
Baton Rouge(バトン・ルージュ)は、アメリカのハードロック、
グラムメタルバンド。
1986年、ルイジアナ州パールリバーで、Voicesの名の下
バンド活動をしていたケリー・キーリング(Vo)、
Lance Bulen(G,Key)、キース・ハリソン(B)、
Harold Knappenburger III(Ds)はバンド名をチーターに変更。
最終的にBaton Rouge(バトン・ルージュ)と変更する。
1987年にロサンゼルスに移動。
1989年に、アトランティック・レコードと契約。
1990年『Shake Your Soul』をリリースする。『Doctor』、
『Walks Like A Woman』、『There Was a Time (The Storm)』
を収録。アルバムはビルボード・チャートで160位に達した。
1991年『Lights Out on the Playground』をリリース。
『Slave to the Rhythm』、『Desperate』などを収録。
だが、ケリー・キーリングがジョン・サイクスのバンド、
ブルー・マーダーの加入を承諾したため、バンドは1991年に
解散する。
バンドは2009年にオクラホマで開催されたロックの音楽祭
Rocklahomaのため再集結するが、現在は活動をしていない。
ケリー・キーリング(1968年6月25日-)は14歳の時、GEDを
取得。アメリカのヘヴィメタルバンド、バトンルージュのリード・
シンガーとして音楽活動を開始した。
レコーディングアーティスト、シンガー・ソングライター、
マルチプレイヤー、そしてプロデューサーとしても活動していた
彼はアリス・クーパーのアルバム『Hey Stoopid』の『Snakebite』
という曲に取り組んだ。また1991年の映画『Rich Girl』で曲を
提供した。
キーリングはカーマイン・アピスとトニー・フランクリンと出会い
ブルー・マーダーに参加を要請されたためバンドを脱退
(ブルー・マーダーは1993年に脱退)。バトンルージュは
1991年に解散した。
1994年、キーリングはイングヴェイ・マルムスティーンとともに
ディープ・パープルのトリビュート・アルバム『Smoke on the
Water: A Tribute to Deep Purple』に参加。『Speed King』の
レコーディングをした。
また、彼は世界中のバンドでリードシンガー、ミュージシャンと
して活動。
ヨーロッパのギタリスト、ジョン・ノーラム(1995-1997)、
マイケル・シェンカー(1999)、エリク・ノーランダー(2003)、
ドッケン(2004)、ジョージ・リンチのツアーに参加(2004)。
ミュージシャンやヴォーカリストとしてソロ活動もしている。
2006年には、Trans-Siberian Orchestraにヴォーカリストとして
参加した。
Baton Rouge – Doctor
Baton Rouge – Walks like a woman
Baton Rouge – There Was A Time (The Storm)
Silent Rage
Silent Rage(サイレント・レイジ)は、アメリカのハードロック、
へヴィメタルバンド。
1985年にロサンゼルスで結成された。
1987年『Shattered Hearts』をリリース。アルバムに収録の
『Make It or Break It』は『※KNAC Pure Rock』と題された
同年リリースのコンピレーション・アルバムに収録された
(※KNACは、Pure Rockをスローガンにカリフォルニア州ロング
ビーチで1986年に開局された、へヴィメタル、ハードロック、
オルタナティヴロックのFMラジオ局)。
バンドはHouse of Lords(以前のジェフリア。ヴォーカルを交代後、
バンド名を変更)が所属するキッスのジーン・シモンズのレーベル、
シモンズ・レコードの第2弾アーティストとしてデビュー・アルバム
1989年『Don’t Touch Me There』をリリース。
タイトルトラック『Don’t Touch Me There』をはじめ、ほとんどの
曲はリードシンガー、ギタリストのティミー・ジェームズ・ライリー
(ジェシー・デイモン)と、ギタリストのマーク・ホーキンスによって
書かれたが、ジーン・シモンズの提案でエレクトリック・ライト・
オーケストラのカヴァー曲『Can’t Get Her Out Of My Head』も
収録されている。
収録曲『Rebel With A Cause』のミュージック・ビデオは
MTVなどでたびたびオンエアされ、アルバムは成功をおさめた。
このアルバムをリリース後、配布元のRCAはシモンズ・レコード
との契約を破棄。バンドは解散し、他のプロジェクトに着手する。
2001年に再結成。翌2002年アルバム『Still Alive』をリリース。
2008年には『Four Letter Word』がリリースされた。
現在のメンバー
・ジェシー・デイモン(Vo,G)
・マーク・ホーキンス (G)
・ EJ・カース(EJ Curcio,B)
・ロドニー・ピノ(Ds)
Silent Rage – Rebel With a Cause
Silent Rage-Tonight You’re Mine
Y&T
Y&T(ワイ・アンド・ティー)は、アメリカのハードロック、
ヘヴィメタルバンド。
オリジナル・ラインアップはデイヴ・メニケッティ(Vo,G)、
レナード・ヘイズ(Ds)、ジョーイ・アルヴェス(G)、
フィル・ケネモア(B)の4人。
1972年、カリフォルニア州オークランドでボブ・ガードナー、
Wayne Stitzer(カヴァーバンドのみ)、レナード・ヘイズらは
無名のカヴァーバンドで演奏していた。
同年、ジミ・ヘンドリックスに強く影響を受け独学でギターを
習得したギタリストのデイヴ・メニケッティがバンドに参加。
当初は、ヘイズがドラム、Stitzerがピアノ、ガードナーがベース、
メニケッティがリードギターとヴォーカルでカヴァー曲だけを
プレイしていたが、Stitzerが脱退し、ガードナーはベースから
リズムギターに切り替えを希望。彼らの友人でベーシストの
フィル・ケネモアが加入する。バンドはガードナーを解雇し、
新たなサイド・ギタリストとしてライバル・バンドで活動して
いたジョーイ・アルヴェスを引き抜く。
このラインアップの変更後、バンドはマテリアルを書きためて
いった。
1974年、彼らは初のライヴ演奏のオファーを受けた。
しかし、彼らのバンドには名前が必要であったため、レナードは
ターンテーブルで聴いていたビートルズ の コンピレーション・
アルバム『Yesterday and Today』の名前をとってバンド名を
Yesterday and Today(イエスタデイ・アンド・トゥデイ)とした。
1976年、London Recordsよりデビュー・アルバム『Yesterday
and Today』をリリース。『Beautiful Dreamer』などを収録。
1978年には2ndアルバム『Struck Down』をリリース。
1981年にA&Mレコードへ移籍。バンド名をY&Tに変更する。
この名前はアンコールの際、ファンが彼らのことを
「Y&T、Y&T、Y&T」と呼んでいたことに由来する。
これについてはメニケッティが数多くのラジオ、テレビ、雑誌の
インタビューで長年にわたり語り継いでいる。
1981年、移籍後初となる、バンドの3枚目となるアルバム
『Earthshaker』をリリース。このアルバムには、一般にライヴ
でよく歌われる曲『Rescue Me』、『Hurricane』、およそ8分
の曲『I Believe In You』が収録されている。
1982年、4thアルバム『Black Tiger』をリリース。『Forever』
などを収録。当時、イギリスの音楽シーンがNWOBHMが主流と
いうことも追い風となり、アルバムはイギリスのチャートで53位
に達した。この頃、デイヴ・メニケッティはオジー・オズボーン
から、事故死したランディ・ローズの後任ギタリストとして
オファーを受けるが、これを辞退している。
1983年、5thアルバム『Mean Streak』をリリース。
タイトルトラックの『Mean Streak』、1982年8月1日の東京での
ライヴからインスパイアされたという『Midnight in Tokyo』、
『Sentimental Fool』を収録したこのアルバムは、アメリカの
アルバムチャートで103位、イギリスのアルバムチャートで35位に
達し大ヒットとなった。
この3枚のアルバムは多くのファンや音楽評論家から支持されている。
1984年、6thアルバム『In Rock We Trust』をリリース。
『Do not Stop Runnin』、『She’s a Liar』を収録。Geoffrey Leibを
コンポーザーに迎えたこのアルバムはビルボード 200で46位に達し、
バンド最高のチャート、セールスを記録したアルバムとなった。
1985年、ライヴアルバム『Open Fire』をリリース(『Summertime Girls』のみスタジオ収録)
同年11月、7thアルバム『Down for the Count』をリリース。
『Your Mama Don’t Dance』(Kenny Loggins, Jim Messina)、
『Face Like An Angel』、ライヴアルバム『Open Fire』に
収録のバンドの最大のヒットシングル『Summertime Girls』
(ビルボード・ホット100で55位)を収録。
1987年、8thアルバム『Contagious』をリリース。タイトルトラック
『Contagious』、『L.A. Rocks』、『Temptation』を収録。
1986年に脱退したレナード・ヘイズの後任としてジミー・デグラッソ
(Ds)が加入。これがバンドのデビュー以来異なるラインアップで
収録した最初のアルバムとなった。
1989年にはジョーイ・アルヴェスが脱退。後任ギタリストとして
ステフ・バーンズが加入(デグラッソとバーンズは1990年代にアリス・
クーパーと共にプレイした)。
1990年、9thアルバム『Ten』をリリース。
前回のアルバム『Contagious』に続き、エアロスミスの『Cryin’』や、
セリーヌ・ディオンの『Where Does My Heart Beat Now』などの
ヒットで知られるTaylor Rhodes、Robert White Johnsonが参加。
2人の共作による『Don’t Be Afraid Of The Dark』や、ジェフ・パリと
Moon Calhounの共作による『Let It Out』など、外部のソングライター
が多数参加しており、アメリカン・ハードロックの『Hard Times』、
『Lucy』、『Red Hot & Ready』、『She’s Gone』、パワー・バラード
の『Come In From The Rain』、『Don’t Be Afraid of the Dark』、
『Ten Lovers』、『Surrender』など、キラーチューンと呼べる曲は
ないにしても、どの曲も秀作でありバンドのアルバムの中でも最高傑作
との声も高い。
これが最後のスタジオアルバムとなり、バンドは1991年ライヴアルバム
『Yesterday&Today Live』をリリース後一時的に解散する。
1995年、『Ten』を収録時のラインアップ、メニケッティ、ケネモア、
デグラッソ、バーンズで再結成。通算10枚目となるアルバム
『Musically Incorrect』をリリースする。
1997年、11thアルバム『Endangered Species』をリリース。
バンドは2009年、イタリアのレーベルFrontiers Recordsと契約。
2010年、新しいメンバーとしてJohn Nymann(G)、Mike Vanderhule
(Ds)が加入。前作から13年ぶりとなる12thアルバム『Facemelter』
をリリース。フィル・ケネモアの参加した最後のアルバムとなった
アルバムからは唯一のミュージックビデオ『I’m Coming Home』が
リリースされた。この『I’m Coming Home』はYouTubeでの再生
回数がバンドの過去最多となる100万回を超えた。
2011年1月7日、デイヴ・メニケッティとともに唯一の創設時からの
メンバーであったフィル・ケネモアが肺がんのため57歳で死去した。
『Summertime Girls』、『Mean Streak』、『Contagious』、
『Rescue Me』、『Forever』などはバンドの最も広く知られて
いる曲ともに、ファンのお気に入りとされている。
ミュージックビデオ『Summertime Girls』、『Mean Streak』、
『Lipstick&Leather』、『Do not Stop Runnin』、『Don’t Be
Afraid of the Dark』、『Contagious』はMTV Classicで頻繁に
オンエアされ話題を呼んだ。
※追記 2016年9月11日、元ドラマーのレナード・ヘイズが
慢性閉塞性肺疾患で長きにわたる闘病の末61歳で死亡した。
2017年3月12日、元ギタリストのジョーイ・アルヴェスが潰瘍性
大腸炎の合併症(炎症性腸疾患)で63歳で死亡した。
バンドのオリジナルメンバー4人のうち3人が亡くなり、唯一の
オリジナルメンバーはデイヴ・メニケッティだけとなった。
Y&T – Face Like An Angel
Y&T – Contagious
Y&T – Don’t Be Afraid Of The Dark
Great White
Great White(グレイト・ホワイト)は、アメリカのハードロック、
へヴィメタルバンド。
1977年、シンガーのジャック・ラッセルは、ギタリストの
マーク・ケンドールと出会い、ケンドールは彼をバンドに誘う。
彼らはHighwayからLivewire、Wiresとバンド名を変更し活動。
しかし、1979年にラッセルは強盗に入った先の家の住み込みの
メイドを撃ち、殺人未遂、強盗未遂の罪で逮捕され懲役8年を
言い渡された。バンドはゼロからのスタートを余儀なくされ、
ケンドールはメンバーを募集しダンテ・フォックスとしてバンド
活動を再開する。
そしてジャック・ラッセルがわずか18ヶ月で出所。
ケンドールはオーディションを行い、ラッセルを新しいシンガー
として迎える。
1982年にバンド名をグレイト・ホワイトへと改名する。
マーク・ケンドールがホワイト・ブロンドの髪と白い肌を
持つことから、皆にグレイト・ホワイト(ホホジロザメ)という
ニックネームで呼ばれていたことから、マネージャー、
アラン・ニベルとケンドールはそれをバンド名とすることを
決めた。
1984年、セルフタイトルのデビューアルバム『Great White』を
リリース。
1986年『Shot in the Dark』をリリース。シングルとして
The Angelsののカヴァー『Face The Day』がリリースされた。
1987年『Once Bitten』をリリース。
1989年『…Twice Shy』をリリース。『The Angel Song』、
『Mista Bone』、1975年のイアン・ハンターのカヴァー
『Once Bitten Twice Shy』などを収録。
1991年『Hooked』をリリース。アルバムはビルボード200で
18位に達し、1991年4月ゴールド認定された。
1992年『Psycho City』をリリース。タイトルトラック
『Psycho City』、『Love Is a Lie』などを収録。
アルバムから『Old Rose Motel』、『Big Goodbye』のシングルが
リリースされ、アルバムはビルボード200で107位に達した。
2000年、バンドは解散。
ジャックは自らの名を冠したソロプロジェクト「ジャック・
ラッセルズ・グレイト・ホワイト」として活動を続けていた。
しかし、2003年2月20日、ツアー先のロードアイランド州
ウェストウォリックのナイトクラブ「ザ・ステーション」で、
演出に使用した花火がカーテンに引火し火災が発生。
ギタリストのタイ・ロングリーを含む100名が犠牲となった。
2005年後半、バンドはラッセルのアルコールとコカインの
依存症が原因で、夏のツアーの後半をキャンセルした。
2006年に、ジャック・ラッセル、マーク・ケンドール、
マイケル・ラーディ(G)、ショーン・マクナブ(B)、
オーディー・デスブロウ(Ds)のラインアップで再結成。
2007年『Back to the Rhythm』をリリース。
2009年にはアルバム『Rising』をリリースして完全復活を果たし、
ライヴ活動を続けていた。
しかし2010年、ジャック・ラッセルが胃穿孔のため休養に入り
そのまま脱退。この間バンドはジェイニー・レイン(ウォレント)
ヴォーカルに立ててツアーを続行。ジャックは回復後再び別バンドの
ジャック・ラッセルズ・グレイト・ホワイトを結成した。
マーク・ケンドールはXYZのテリー・イロウスを後任リード・シンガー
に迎えて、グレイト・ホワイトのデビュー30年目となる2012年、
新ラインナップによるアルバム『Elation』をリリースした。
※追記 2018年、テリー・イロウスが他のプロジェクトに参加するため
脱退。後任としてミッチ・マロイ(Vo)が加入したことが発表された。
Great White-Lady RedLight
Great White – Save your love
Great White – The Angel Song