今回は、以前にもご紹介した「Viva!! 80s – Hard rock / Glam metal」の
続編として、アメリカで80年代に活動していた
ハードロックバンド、グラムメタルバンドをご紹介します。
Hurricane
Hurricane(ハリケーン)は、アメリカのハードロック、
へヴィメタルバンド。
1980年、カリフォルニア州ロサンゼルスでロバート・サーゾ(G)、
トニー・カヴァーソ(B)は、ケリー・ハンセン(Vo)、
ジェイ・シェレン(Ds)を得てハリケーンを結成する。
カヴァーソとサーゾは、クワイエット・ライオットの
カルロス・カヴァーソとルディ・サーゾの弟。
1985年、エニグマ・レコードよりデビュー・アルバム
『Take What You Want』をリリース。
アルバムタイトル曲『Take What You Want』、『Take Me In
Your Arms』、『The Girls Are Out Tonight』、『Hurricane』、
『It’s Only Heaven』、『Hot and Heavy』の6曲を収録
(2008年、『I’m On To You』、『Baby Snakes』、『Over The
Edge』、『L.A. Luna』(インストゥルメンタル)の4曲を含む
『Take What You Want』が再リリースされた)。
1988年、2ndアルバム『Over the Edge』をリリース。
『We Are Strong』やアリス・クーパーのカヴァー曲『I’m Eighteen』
を収録。
タイトルトラックの『Over The Edge』やトップ40ヒットとなった
シングル、ミュージックビデオI’m on to You』
(ウォレントの『Cherry Pie』にも出演したジェイニー・レインの
元妻ボビー・ブラウンが出演している)がリリースされた。
アルバムはビルボード200で92位に達し、バンドの最も成功した
アルバムとなった。
1989年、ロバート・サーゾが脱退。後任ギタリストとしてダグ・
アルドリッチ(元ライオン、バッド・ムーン・ライジング)が
加入する。
1990年『Slave To The Thrill』をリリース。オールミュージックの
Alex Hendersonは「バンドの最も集束されたアルバム」と称えた。
しかし、レーベルの倒産やロックミュージック・シーンもLAメタル
からグランジへと移行していき、活動が困難になっていった
バンドは1991年に解散する。
バンドはロバート・サーゾとトニー・カヴァーソを除くオリジナル・
メンバー、ケリー・ハンセンとジェイ・シェレンでバンドを再結成。
ショーン・マニング(G)、カルロス・ヴィラロボス(G)、
ランドール・ストローム(G)、ラリー・アントニーノ(B)の
ラインアップで11年ぶりのアルバム『Liquifury』をリリースする。
1990年代後半から2000年代前半、バンドメンバーはそれぞれの
活動に着手する。
ジェイ・シェレンは現在、Unruly Child、Asia Featuring
John Payneで活動中。
ケリー・ハンセンは2005年、フォリナーにリードシンガーとして
加入。現在活動中。
ダグ・アルドリッチは1998年、シンガーのキース・セント・ジョンと
バーニング・レインを結成。2002年、ホワイトスネイクに参加する
(2014年脱退)。その他、ジャック・ブレイズ(ナイトレンジャー)、
ディーン・カストロノヴォ(元ジャーニー、バッド・イングリッシュ、
ハードライン)とともにスーパーグループRevolution Saintsを
立ち上げて活動中。
2010年、創設メンバーのロバート・サーゾ、トニー・カヴァーソは
新しいメンバーでバンドを再結成した。
Hurricane – Hurricane
Hurricane – Over The Edge
Hurricane – I’m On To You
Keel
Keel(キール)は、アメリカのへヴィメタルバンド。
1984年、カリフォルニア州ロサンゼルスで、ロン・キールを中心に
デヴィッド・マイケル・フィリップス(David Henzerling,G)、
マーク・フェラーリ(G)、ケニー・チェイソン(B)、
ボビー・マークス(Ds)のラインアップで結成された。
デヴィッド・マイケル・フィリップスがキング・コブラに
参加するためすぐに脱退。後任としてブライアン・ジェイ(G)
が加入する。
1984年、ロン・キールとシュラプネル・レコーズのマイク・
ヴァーニーとの共同プロデュースによるデビュー・アルバム
『Lay Down the Law』をリリース。このアルバムを最後に
ボビー・マークスが脱退。後任としてドウェイン・ミラー(Ds)が
加入。以降、彼はバンドの恒久的なドラマーとなった。
1985年、プロデューサーにキッスのジーン・シモンズを迎え
2ndアルバム『The Right to Rock』をリリース。
ローリング・ストーンズのカヴァー『Let’s Spend the Night
Together』などを収録。
タイトル曲『The Right to Rock』のミュージックビデオは
「1989年、アメリカ。 ロックは地下へと追いやられた。
当局は海賊放送局の追跡をした。
そして、とらえられた彼らの信奉者たちの結末はひどい
ものであった」の前置きで始まるこの曲はたびたびMTVで
オンエアされ80年代のロック・アンセムとされている。
1986年、ジーン・シモンズのプロデュースにより3rdアルバム
『The Final Frontier』をリリース。
タイトル曲『The Final Frontier』や『No Pain No Gain』などを
収録したアルバムからはミュージック・ビデオ『Tears of Fire』、
ブルース・スプリングスティーンとパティ・スミスの共作で、
パティ・スミスが1978年にヒットさせた曲のカヴァー
『Because the Night』がリリースされた。
バンドは同年、Metal Edge誌の読者投票でアイアン・メイデンや
ジューダス・プリーストを破り、年間ベストバンド賞に輝いた。
1987年、セルフタイトルアルバム『Keel』をリリース。
『United Nations』、『Cherry Lane』を収録。シングルとして
『Somebody’s Waiting』/『I Said The Wroing Thing To The
Right Girl』がリリースされた。
1988年、ギタリストのマーク・フェラーリがアルバムのサポート・
ツアー後に脱退。フェラーリはパンテラのアルバム『Power Metal』
(1988年)に参加。楽曲『Proud To Be Loud』を提供している
(この曲はのちにキールの1998年のアルバム『Keel VI:Back in Action』
に収録された)。同年、もうひとりのギタリスト、ブライアン・ジェイ
も脱退する。
バンドはTony Palamucci(G)、スコット・ウォーレン(Key)を
迎え1989年『Larger Than Live』をリリース。ミュージックビデオ
『Dreams Are Not Enough』がリリースされた。このアルバムを
最後に、ロン・キールはバンドの解散を発表する。
ロン・キール(本名:Rynia Lee Keel Jr 1961年3月25日-)は、
Lustというバンドで音楽のキャリアをスタート。
1981年、地元であるテネシー州ナッシュビルでSteelerを結成。
カリフォルニア州イーストロサンゼルスに拠点を移す。
1982年、ドラマーが脱退しマーク・エドワーズ(Ds)が加入。
1983年、脱退したベーシストとギタリストの後任として
リック・フォックス(B)、イングヴェイ・マルムスティーン(G)
が加入する。
バンドはシュラプネル・レコーズよりセルフタイトルのアルバム
『Steeler』をリリースするが、マルムスティーンはグラハム・ボネット
(元レインボー、インペリテリ)とアルカトラズを結成するために
レコーディング直後バンドを脱退。レーベルはバンドとの契約を
解除する。
Steelerは80年代のロサンゼルスで人気の波に乗ることができなかった
1バンドに終わり、1984年に解散する。
この失敗を踏まえロン・キールは、シンプルに名をキールとし、
新たにバンドを立ち上げる。
1984年から1989年まで、キールは世界をツアーし、200万枚の
レコード・セールスを記録。
キッスのヴォーカリスト/ベーシストのジーン・シモンズは、
彼らの2枚のアルバムを手掛けた。
バンドは一度の解散を経てアルバム『Keel VI: Back in Action』
のレコーディングのため、1985年以来のラインアップで再結成。
1998年『Proud To Be Loud』などのアルバム未収録曲で
構成された『Keel VI: Back in Action』をリリースする。
これがケニー・チェイソンの参加した最後のアルバムとなった。
2008年、ケニー・チェイソンを除く1998年再結成時のラインアップ
で再々結成。ロン・キールの長年の友人であるジェノ・アルセが
加入した。そして2009年1月24日、カリフォルニア州ハリウッドで
バンドの25周年記念のショーが行われた。
2010年『Streets of Rock & Roll』をリリースした。
現在のメンバー
・ロン・キール(Vo)
・マーク・フェラーリ(G)
・ブライアン・ジェイ(G)
・ジェノ・アルセ(B)
・ドウェイン・ミラー(Ds)
Keel – The Right to Rock
Keel – Because The Night
Keel – Somebody’s waiting
King Kobra
King Kobra(キング・コブラ)は、アメリカのハードロック、
グラムメタルバンド。
1984年、カリフォルニア州ロサンゼルスでカーマイン・アピス
(元オジー・オズボーン)を中心に、当時無名だったマーク・フリー
(Vo、元シグナル、Unruly Child)、デヴィッド・マイケル・
フィリップス(G、元キール、リジー・ボーデン、バング・タンゴ)、
ミック・スウェーダ(G、元ブレットボーイズ )、ジョニー・ロッド
(B、元W.A.S.P.)の4人のミュージシャンにより結成された。
1985年、デビュー・アルバム『Ready to Strike』をリリース。
『Hunger』、『Breakin’ Out』、『Dancing with desire』、
『Second Thoughts』を収録。
1986年、キャピトルレコードより2ndアルバム『Thrill of a Lifetime』を
リリース。このアルバムは前作の『Ready to Strike』とはうって変わり、
メロディアスなハードロック、AOR、ダンスミュージックと多様な
音楽性を織り込んだ。『Dream On』、『Iron Eagle(Never Say Die)』
を収録。『Iron Eagle (Never Say Die)』は、1986年の映画
「Iron Eagle」のテーマソングとなった。これがリード・シンガー、
マーク・フリーの最後のアルバムとなった。
1988年『King Kobra III』をリリース。ヴォーカルがマーク・フリー
からジョニー・エドワーズ(元フォリナー)に交代。
また、ギタリストとしてジェフ・ノースラップ、ベーシストとして
ラリー・ハートが参加する(ジョニー・ロッドはこのアルバムでの
クレジットはされていないが、バッキング・ヴォーカルとして参加
している)。『Redline』、『Take It Off』を収録。
アルバムは80年代のへヴィメタルを強調し主流に乗ろうとしたが、
セールスは伸び悩み、このアルバムを最後にバンドは解散する。
1989年、カーマイン・アピスはジョン・サイクスが結成した
プロジェクト・バンド、ブルー・マーダーに参加する。
2010年、アピスはキング・コブラを再結成。
ポール・ショーティーノ(元ラフ・カット)をヴォーカルに迎え、
ミック・スウェーダ、デヴィッド・マイケル・フィリップス、
ジョニー・ロッドのラインアップで2011年、セルフタイトル・
アルバム『King Kobra』をリリース(日本で2011年4月4日に
リリース、ヨーロッパで4月15日、北米で2011年5月5日リリース)。
2013年、アルバム『King Kobra II』をリリースした。
King Kobra – Hunger
King Kobra – Iron Eagle(Never Say Die)
King Kobra – Take It Off
Danger Danger
Danger Danger(デンジャー・デンジャー)は、アメリカの
ハードロック、グラムメタルバンド。
ニューヨーク州クイーンズで結成された。
1983年に活動していたニューウェーヴ・カヴァーバンド、
ホット・ショットが母体となり、メンバーのマイク・ポン(Vo)、
ブルーノ・ラヴェル(B)、スティーヴ・ウェスト(Ds)は
アル・ピトレリ(G)、ケイシー・スミス(Key)とともに
1987年、デンジャー・デンジャーを結成する。
マイク・ポンは直後にバンドを脱退。後任としてProphetの
ドラマーであったテッド・ポリーが加入する。
1988年、アル・ピトレリが脱退。のちにマイク・ポンとホット・
ショットを結成する(ピトレリはデンジャー・デンジャーの
スタジオ・アルバムに参加していなかったが、2003年リリース
のコンピレーション・アルバム『Rare Cuts』にメンバーとして
クレジットされている。
また、メガデスのドラマー、ジミー・ディグラッソからの高い
評価を聞いたデイヴ・ムステインの誘いを受けて2000年、
メガデスに加入。その他、エイジア、アリス・クーパー、
トランス・シベリアン・オーケストラなど多くのバンドや
プロジェクトに参加した。1995年、サヴァタージに加入)。
1989年、後任としてアンディ・ティモンズ(G)が加入。
同年、セルフタイトルのデビュー・アルバム『Danger Danger』を
リリース。『Under The Gun』、『Saturday Nite』、
『Rock America』、『One Step From Paradise』、
『Feels Like Love』を収録。
3枚のシングル『Naughty Naughty』、『Don’t Walk Away』、
『Bang Bang』がリリースされ、アルバムはビルボード200で
88位に達した。
1991年『Screw It!』をリリース。『Monkey Business』、
『I Still Think About You』などのヒットを生み出したこの
アルバムは、ビルボード200で123位、日本のオリコンアルバム
チャートで67位に達した。
Danger Danger – Bang Bang
Danger Danger – Beat The Bullet
Danger Danger – I Still Think About You
Vinnie Vincent Invasion
Vinnie Vincent Invasion(ヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョン)は、
アメリカのヘヴィメタル、グラムメタルバンド。
1984年、カリフォルニア州ロサンゼルスで、ハードロックバンド、
キッスの元2代目リード・ギタリストであったヴィニー・ヴィンセントは、
ダナ・ストラム(B)、ボビー・ロック(Ds)、ロバート・フライシュマン
(Vo、元ジャーニー)というラインアップでヴィニー・ヴィンセント・
インヴェイジョンを結成する。
1986年、セルフタイトルのデビュー・アルバム『Vinnie Vincent
Invasion』をリリースする。アルバムからシングル『Back on the
Streets』、『Boyz Are Gonna Rock』のシングルとミュージック・
ビデオがリリースされた。『Back on the Streets』はのちに
ジョン・ノーラム(元ヨーロッパのギタリスト)の1987年のソロ・
アルバム『Total Control』でカヴァーされた。
1988年、2ndアルバム『All Systems Go』よりヴォーカルが
ロバート・フライシュマンからマーク・スローター(スローター)に
交代。シングル『Love Kills』、『That Time of Year』をリリースした。
『Love Kills』は、映画「エルム街の悪夢4 ザ・ドリームマスター
最後の反撃」のサウンドトラックに収録され、アルバムも
ビルボード200で64位に達したが、このアルバムが最後となり、
バンドはツアーの終了後に解散した。
Vinnie Vincent Invasion – Boyz Are Gonna Rock
Vinnie Vincent Invasion – That Time of Year
Vinnie Vincent Invasion – Love Kills
Tuff
Tuff(タフ)は、アメリカのハードロック、グラムメタルバンド。
1985年にアリゾナ州フェニックスでJorge DeSaint
(本名:ジョージ・マノス G)、トッド・チェイス
(本名:トッド・チェイソン B)を中心に結成された。
トッド・チェイスは、Keelのケニー・チェイソン(B)、
バッドランズのグレッグ・チェイソン(B)の弟。
バンドは地元のドラマーがだめになったためメンバーを
募集。マイケル・リーン(本名:マイケル・レイモンド Ds)を
獲得する。
1986年、アイス・スケートの道にすすむためバンドを脱退した
ヴォーカルのテリー・フォックスの後任としてJimmy L’mour
(ジム・ジレット)が加入。『Glamour Girls』、『Forever Yours』、
『Candy Coated』、『Dressed For Dancing』の4曲を収録した
EP『Knock Yourself Out』をセルフ・リリースする。
しかし、ジレットはマイケル・アンジェロとニトロを結成
するため脱退。
バンドは成功を求めて、アリゾナからロサンゼルスに移動する。
そして「デイヴィッド・リー・ロス、ヴィンス・ニール、
ブレット・マイケルズタイプのシンガー求む」と書いた
募集チラシをサンセット・ストリップで配った。
そして1987年、X-iterのフロントマンだったスティーヴィー・
レイチェル(本名:Steven Howard Hanseter)が加入する。
彼はのちに「1987年6月26日、飛行機の片道切符を買い
ウィスコンシン州からLAに飛んだとき、私はオーディションに
受かる自信が充分にあった」と語っている。
スティーヴィー・レイチェル、Jorge DeSaint、トッド・チェイス、
マイケル・リーンの新しいラインアップとなったバンドは、
8月にはロキシー・シアターでウォレントのオープニング・
アクトをつとめた。またスティーヴィー・レイチェルの
地元であるウィスコンシン州や、ウエストコーストなどの
いたるところで精力的にライヴを行った。
長年の努力が報われ、1990年、バンドはAtlantic/Titanium
recordsと契約。
1991年、デビューアルバム『What Comes Around Goes
Around』をリリース。パワーバラード『I Hate Kissing You
Goodbye』のミュージック・ビデオはDial MTVで3位となった。
アルバムにアリス・クーパーのギタリスト、ケイン ロバーツ、
Pretty Boy Floydのギタリスト、クリスティ・メイジャーズ、
アクセプト、フィフス・エンジェル、House of Lordsの
ケン・メアリー、QuireboysのSpike(本名ジョナサン・グレイ)、
Keelのベーシスト、ケニー・チェイソンが参加。バッキング・
ヴォーカルをつとめた。
1994年、スティービー・レイチェルによって設立されたレーベル、
RLS Recordsより2ndアルバム『Fist First』をリリース(RLSは
「Record Labels Suck」の略)。
アルバムセールスは少なくとも1万枚を超え、結果的にバンドは
メジャー・レーベルのBMGと契約。
1995年にMMS/Mausoleumより『Fist First』の9曲に
『Daddy’s Money』、『Follow The Loser』のボーナストラックを
加えた『Religious Fix』が再リリースされた。
アルバムからは『Tied To The Bells』、『Better Off Dead』、
『In Dogs We Trust』のミュージック・ビデオがリリースされた。
1996年、コンピレーション・アルバム『Decade of Disrespect』を
リリース。1995年のライヴ『Tied To The Bells』、1989年のデモ
未収録曲『Down On Sinner Street』、『So Many Seasons』、
1988年の初期のデモ『Summertime Goodbye』、1989年のデモ
未収録曲『Good Guys Wear Black』などを収録。
1997年、アルバム『Regurgitation』が、RLSレーベルから
非公式のコレクションとしてリリースされた。
アルバムには『Ain’t Worth a Dime』、『Another Man’s Gun』、
『Round ‘em Up』、『A Place Where Love Can’t Go』、
『Forever Yours』、『Want Trouble You Got It』、
『People They Change』、『Don’t Complain』、
『Follow the Loser (live) 』、『In Dogs We Trust (live)』、
『God Bless This Mess (live)』、『Spit Like This (live) 』、
『Stop Pulling My Chain』、『Put Out or Get Out』 、
『Alone With You』、『Don’t Know Where I’m Going』、
『Money Talks』、『School Bell Hell』、
『What Comes Around Goes Around』の1985年から1995年の間に
録音されたライヴ、デモ・トラック全19曲が収録されている。
このアルバムは、1997年にポルトガルで海賊版でリリースされ、
2000年、リマスター版がRLSレーベルからリリースされた。
2001年、コンピレーションCD『The History of Tuff』をリリース。
アルバムに収録の『American Hair Band』はグランジや
オルタナティヴ・ロック、80年代の多くの類似した
グラムメタルバンドへ言及した内容となっている。
「善い人ほど若くして死にます。これは我々のメタル・ヒーロー
に捧げたものです」というスティーヴィー・レイチェルの
ナレーションで始まるステインドの曲『It’s Been Awhile』に
乗せたミュージック・ビデオ『Metal Heroes』は、今は亡き
ミュージシャン達へのトリビュートとなっている。
2012年、『What Comes Around Goes Around』に再録音
された4曲のトラックを含む『What Comes Around Goes
Around Again』をリリースした。
現在のメンバー
・スティーヴィー・レイチェル(Vo,1987-1995,2000–)
・トッド・チェイス(B,1985-1991,2008–)
・ビリー・モリス(G,2004,2012–)
・Todd “T” Burr(Ds,2001-2012,2015)
・Boris “BC” Chudzinski(G,2013–)
Tuff – Good Guys Wear Black
Tuff – The All New Generation
Tuff – Another Man’s Gun
Nitro
Nitro(ニトロ)はアメリカのへヴィメタル、グラムメタルバンド。
1987年にカリフォルニア州ハリウッドでJim Gillette(ジム・ジレット)、
Michael Angelo Batio(マイケル・アンジェロ・ベティオ)を中心に
T. J. Racer(T・J・レーサー、B)、Bobby Rock(ボビー・ロック、Ds)の
ラインアップで結成された。
1987年、ジム・ジレットはマイケル・アンジェロとT・J・レーサーを
フィーチャーした初のソロ・アルバム『Proud to Be Loud』を
リリース(2003年、ボーナストラック5曲を収録したリマスター盤が
リリースされた)。タイトルトラック『Proud To Be Loud』、
『Angel In White』を収録。
アルバムリリース後ジレット、マイケル・アンジェロ、T・J・レーサー
は、ヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョンの解散後、
スローターのツアー・メンバーとして参加していたボビー・ロックに
声をかけ、ニトロを結成する。
ボビー・ロックはバンドに加入した時のことを振り返り、彼らに
「今まで誰もやらなかったようなド派手なへヴィメタルのアルバムを
作ってやろうぜ」と誘われたことを語った。
1989年、ライノ・エンタテインメントよりデビューアルバム『OFR』を
リリース。『Freight Train』のミュージック・ビデオは、中盤
マイケル・アンジェロがクアッド・ギター(4ネックギター)を驚異の
速弾きによるパフォーマンスを展開(残念ながらそのギターは、
テキサス州エルパソのツアーで何者かに盗まれてしまう)。
かたやジム・ジレットは、6オクターヴといわれるそのヴォーカルで
グラスを割るといったパフォーマンスを展開するという内容と
なっている。伝えられるところによると、ジレットは自身の
(アンプを通した)声だけを使って、それまで3つのワイングラスを
割ったといわれている。
ボビー・ロックはレコーディング完成直後にバンドを脱退。
プロモーション・ツアーのためのドラマーとしてK. C. Cometが
参加する。
その後、T・J・レーサーとK. C. Cometが脱退。
1991年、ラルフ・カーター(B)、ジョニー・サンダー(Ds)を
加えたラインアップで2ndアルバム『Nitro II: H.W.D.W.S.』を
リリースするが、1993年にバンドは解散する。
1998年、マイケル・アンジェロのレコード・レーベルM.A.C.E. Music
より、ニトロの初期のデモを収録したコンピレーション・アルバム
『Gunnin’ for Glory』がリリースされた。
2008年、あるインタビューでジレットは「ニトロの再結成の可能性は
あるか?」と聞かれたところ「それができれば素晴らしいことだ」とした
上で「ただし、声の回復にはかなりの時間がかかるだろう」と答えた。
Nitro – Freight Train
Nitro – Long Way From Home
Nitro – Love strikes back
Rough Cutt
Rough Cutt(ラフ・カット)は、アメリカのへヴィメタル、
グラムメタルバンド。
1981年、カリフォルニア州ロサンゼルスで結成された。
最初のラインアップはポール・ショーティノ(Vo)、
ジェイク・E・リー(G)、クロード・シュネル(Key)、
ジョーイ・クリストファニリ(B)、デイヴ・アルフォード(Ds)。
ジェイク・E・リーとデイヴ・アルフォードは、ラットのメンバー
であった。
他の2人の元ラットのメンバー、クリス・ヘイガー(G)と
脱退したジョーイ・クリストファニリに代わり、マット・ソーアー
(B)もすぐにラフ・カットに参加する。
1982年、ジェイク・E・リーはスローターのベーシスト、
ダナ・ストラムからの推薦で、彼の長年の友人である
オジー・オズボーンのバンドの、故ランディ・ローズの
代わりのギタリストのオーディションに参加する
(オズボーンはジェイク・E・リーの前に元ドッケンのギタリスト、
ジョージ・リンチを選んでいたというが、気が変わりジェイクを
選択する)。
後任としてクレイグ・ゴールディー(G)が加入。
当時ロニー・ジェイムス・ディオの妻ウェンディ・ディオが
バンドのマネージャーをしていたため、ディオ自身も1曲
書いておりバンドの発展に大きな影響を与えた。
また、1983年にリリースされたコンピレーション・アルバム
『LA’s Hottest Unsigned Rock Bands』に『A Little Kindness』
と、ジェイク・E・リーをフィーチャーしたディオのプロデュースに
よる『Used & Abused』の2つのトラックが収録された。
ゴールディーはジェフリアに参加するためバンドを脱退。
後任としてAmir Derakh(アミル・デラク、G)が加入する。
1984年、ラインアップはショーティノ、アルフォード、デラク、
ヘイガー、ソーアーで固め、バンドは1984年にワーナー・
ブラザーズ・レコードと契約。セルフタイトルのデビュー・
アルバム『Rough Cutt』をリリースする。
ロニー・ジェイムス・ディオとの共作による『Take Her』、
また、ロニーの妻ウェンディ・ディオとの共作による
『Dreamin’ Again』、ジャニス・ジョプリンがカヴァー
してヒットしたアーマ・フランクリンの曲『Piece of My Heart』、
『You keep breaking my heart』、オーストラリアのロックバンド、
クワイヤボーイズの1983年のヒット曲『Never Gonna Die』
などを収録。
1986年、アリス・クーパー、チープ・トリック、エアロスミスなどの
バンドやミュージシャンを手掛けるベテランプロデューサー、
ジャック・ダグラスのプロデュースで『Wants You!』をリリース。
しかし、このアルバムをリリース後、メンバー間との方向性の
違いを理由にヴォーカルのポール・ショーティノが脱退。解雇
されたケヴィン・ダブロウの代わりにクワイエット・ライオットに
加入する。後任としてパラモア・マッカーティが加入。
ラフ・カットは80年代に2枚のアルバムをリリース後解散。
バンドはその他の多くのLAバンドのように商業的な成功を
おさめることができなかったが、メンバーのポール・ショーティノ
(元クワイエット・ライオット、キング・コブラ)、
ジェイク・E・リー(元ラット、オジー・オズボーン、バッドランズ)、
クレイグ・ゴールディー(B、元ジェフリア、ディオ)、
クロード・シュネール(元ディオ)、アミル・デラク(オージー、
デッド・バイ・サンライズ)は他のバンドにおいて成功をおさめた。
Rough Cutt – Piece of My Heart
Rough Cutt – Dreamin’ Again
Rough Cutt – Double Trouble
XYZ
XYZ(エックス・ワイ・ズィー)は、アメリカのハードロック、
グラムメタルバンド。
もともとはパット・フォンテーヌ(B)とテリー・イロウズ(Vo)が
生まれ育ったフランスのリヨンで結成された。
オリジナルメンバーはパット・フォンテーヌ、テリー・イロウズ、
ボビー・ピーパー(G)、Joey Pafumi(Ds)。
その後、1986年に彼らはロサンゼルスに移り、ナイトクラブ、
ウィスキー・ア・ゴーゴーで非公式のハウスバンドとして
XYZの音楽のキャリアをスタートした。
1989年、パット・フォンテーヌ、テリー・イロウズ、
Marc Diglio(G)、ポール・モンロー(Ds)のラインアップで
ドン・ドッケンのプロデュースによるセルフタイトルの
デビュー・アルバム『XYZ』をリリースする。
テリー・イロウズのヴォーカルスタイルは、ドン・ドッケンに
非常に似ていた。
『Maggy』、『Take What You Can』、『Souvenirs』、『Tied Up』、
『Nice Day To Die』、『After the Rain』を収録(2001年再リリース
バージョンには『On the Blue Side of the Night』のボーナス
トラックを収録)。
アルバムからの2つのヒット曲『Inside Out』、『What Keeps Me
Loving You』のミュージック・ビデオは1989年と1990年の間、
MTVでオンエアされ、アルバムはビルボード200で99位に達し
バンドは成功をおさめた。
1991年『Hungry』をリリース。『When The Night Comes Down』、
『When I Find Love』、『Face Down in the Gutter』を収録。
アルバムは以前のような商業的成功を収めることができず、
アルバムリリース後、Marc Diglio、ポール・モンローが
脱退。ツアーの後、バンドは1992年に解散する。
2002年、テリー・イロウズ、パット・フォンテーヌ、トニー・マーカス
(G)、ジョーイ・シャピロ(Ds)のラインアップで再結成。
現在も活動を続けている。
2005年にはタイトル・トラック『Rainy Days』、『Lonely Without
You』などを収録したアルバム『Rainy Days』をセルフ・リリース
した。
ヴォーカリストのテリー・イロウズはXYZの他、2010年から
グレイト・ホワイトのリード・シンガーとして活動している。
彼は最近、アルゼンチンのロックジャーナリスト、ルーカス・
H・ゴードンのインタビューを受け、2011年に日本で起きた
東北地方太平洋沖地震の津波による被災者を支援する
ため、赤十字社への資金調達を目的としたイロウズ主催の
チャリティー・プロジェクト”80’s Rockers for Japan”を
立ち上げたことを語った。
ジェフ・パリス、トニー・マーカス(XYZ)、ドン・ドッケン
(ドッケン)、ボビー・キンボール(元トト)、エディー・マネー、
ロビン・マッコーリー(マッコーリー・シェンカー・グループ、
元サヴァイヴァー)、ジミ・ジェイミソン(サヴァイヴァー、
1951年8月23日-2014年8月31日)、リッチー・コッツェン
(ポイズン、Mr.Big)、ポール・ショーティノ(元ラフ・カット、
キング・コブラ)、ルディ・サーゾ(元クワイエット・ライオット、
オジー・オズボーン)、ロバート・サーゾ(ハリケーン)、
マイケル・T・ロス(元ハードライン)、ジョン・ペイン
(エイジア・フィーチャリング・ジョン・ペイン)、
カーマイン・アピス(ヴァニラ・ファッジ、キング・コブラ)、
ヴィニー・アピス(ディオ、ブラック・サバス)、ロレーヌ・ルイス
(ファム・ファタール)、ブライアン・ティッチー(ホワイトスネイク、
B’z)、スティーヴン・アドラー(元ガンズ・アンド・ローゼズ)等、
おもに80年代に活動した多数のミュージシャンが集結。
テリー・イロウズとジェフ・パリスが書いた曲『One family』の
レコーディングが行われ、ミュージック・ビデオも作成された。
テリー・イロウズは「日本は常に我々のロック音楽を支持してくれた。
これは日本への我々のささやかな恩返しです」と述べ、コンサートや
ライヴなどの収益金はすべて赤十字社へ寄付され、地震による津波被害
の救済に充てられた。
XYZ – Inside Out
XYZ – What Keeps Me Loving You
XYZ – Face Down in the Gutter